1ヶ月の乳児と3歳半の幼児のワンオペ育児体験記

 やっと一週間に及ぶワンオペ育児が終了。私の体質として睡眠時間が削られると体調不良に直結するので、今回、中間で高齢の親にも上の子の相手という形でサポートしてもらった。かなり助かったのは間違いないが、夜の授乳で睡眠時間が確実に一定時間削られることには変わりないので、その部分のしんどさはあった。深夜の授乳は本当につらく、哺乳瓶片手に寝落ちとか、ゲップさせるための姿勢のまま寝てしまうこともあり、大事には至らなかったからよかったものの、深夜の授乳は交代制にするのがやはり現実的だと感じた。

 がっつり一人で全責任を背負って1ヶ月の乳児を世話した感想として最初に出てくるのは、ホンマにここまできちんと消毒だの調乳だのをせんならんのか、ということ。この部分の手間が一番堪えた気がする。直感的に思うが、ここまでのことを海外では先進諸国も含め、まずやっていないのではないか。日本の夏場の高温多湿という気候条件を考えると、特に新生児~3ヶ月ぐらいまではやっとくと無難と思わせられるし、大変面倒ではあるが、なんとか出来ないことはない程度の面倒さなので、日本の多くの親は可能な範囲でやってることと思う。ただ、二人目以降とか端折ってる家庭は多いだろうなぁとも思ったし、実際、そういう声も聞いた。

 今回、消毒には購入したけど未開封だったミルトンを使った。煮沸よりは面倒さは少ないが、電子レンジ式がやはり楽。ミルトンにしたのは、せっかく買ってあった、というのと、ミルトンを一定期間使用してみたかったため。容器は4Lのを使うのが基本のようだが、手近にそのような容器がなく、私は3L容器でやった。しかし、底が十分に深くなく、哺乳瓶を横に寝かせる形となったため、気泡を出来るだけ少なくして漬けるのが意外と手間でちゃんと底の深い4L容器で行うのが効率的だと感じた。

 消毒についてググルとやはり海外ではそんなに手間はかけていないようで。食洗機で洗うだけとか当たり前。食洗機はすすぎが高温のお湯で行われるので、これだけでも十分消毒可能という意見もあり、今後、この部分の手抜きを検討中。

(追記:検討したが、日本の場合、これで消毒になると考えるのは止めたほうが無難、というのが結論。日本の高温多湿環境と乾燥地域とは条件が違うと認識した方がよさげ。)

 調乳については、一人目のときは説明書通りに70度のお湯で溶かした後、冷ますということをやっていたが、夜中にギャン泣きしてる中、そんなことやってられっか! ってことで、試行錯誤の結果、ツイッターで@sararicoさんに教えてもらった、70度保温出来るポットの湯で粉ミルクを溶かし、その後、冷蔵庫保管の湯冷ましで割ることで調温、というところに落ち着いた。一応、毎回、腕の内側にかけて温度をチェックしたが、熱すぎたり人肌というにはやや冷たかったりということがままあり、このリカバリーがこれまた面倒で(場合によっては粉ミルクを足したりもした)、この部分の効率化には限界があるなぁ、と思った。毎回、200mlとかになる頃には腕も上達してるのだろうけれど。

 斯様に面倒な調乳だが、この調乳が不要な液体ミルクというものが海外では売られている。今知ったのだが、哺乳瓶も使い捨てなのだとか。エコではないし、その分高価なのだけれども、こういう選択肢があってもよいと思う。東京オリンピックまでに間に合うのかどうか。日本の各メーカーはとうに研究開発に入っているだろうが、海外メーカーのを輸入してもいいんじゃないの? 東日本大震災のときにはフィンランドから緊急輸入がなされたと聞くし、これなしで海外からやってくる子連れの人たちをおもてなしだなんて、どうかしてると思う。

 乳児を連れての買い物を2回ほどしたが、1回目のときは折悪しく途中で泣き出して、店内に響き渡る声で大泣き。買い物を終えて出ていったら、雨が降ってて、やや遠くに止めた車を見て、あ~困ったなぁ、と思っていたところ、「お手伝いしましょうか?」という子連れの若いお母さんから声を掛けられた。おっさんの慣れない育児ぶりを見るに見かねてということなのだろう、ここはお言葉に甘えて、赤子を預けて、車を雨のかからないところに一時停車させてもらうことで事なきを得た。こういう時に声をかけるのは躊躇するものだが、さらっと声をかけられる人でありたいものだ。

 2回めのときはレジのおばさんに声をかけられ、「ちょっと今、訳あって一人で見てますねん」ゆうたら、誤解を産んでしまったようで、開口一番に「あかんで、離婚したらあかんで」と強い調子で言われてしまった。幼児連れの場合、もうあまりこういうことはなくなったのだが、やはりまだ新生児に近い赤子連れの場合、強い関心を示されるようで、親切にしてもらえる機会がなんどもあった。以前、海外に比べ、日本は子連れに冷たいというような主旨のことを当ブログに書いたが、意外とそうでもないのかもしれない。田舎と都会とではまた違うのかもしれないが……。

 一人目のときは私の幼少時からの持病である円形脱毛症が再発したが、今回上の子も赤ちゃん返り状態になっているところがあって、なすべき作業は量として増えており、大変さは増しているといえる。しかし、メンタル的には同等か、一人目でいろいろとわかっている分、やや楽といえるかもしれない。もっとも、また円形脱毛症が再発したら、同等以上ということになるので、バロメーターとして観察しておくとしようw

 今回、下の子よりも上の子対策が大変だったのだが、そのあたりはまたおいおい書きます。

「日本は地形が厳しいから欧米のような林業はできない」についての考察

 「田植え」はこれから不要になるかもしれないという刺激的なタイトルの記事が出ていた。

 農業分野ではITの導入が各所でなされており、自動選別とかレタス工場とか、最近ではコマツのような取り組みもなされており、農業とITとの意外な相性のよさが注目されている。

 林業分野でもGISを使った森林管理などが注目され始めているが、まだまだ時間と手間とコストがかかるらしく、一応、すでにオンデマンドでの受注に対応し始めているところが出ていると聞いたことがあるが、現場にITが導入されている例は多くはないようだ。

 先の記事で以下のような発言がある。

日本の林業の実情はもっとひどくて、世界と比べて本当に遅れています。たとえば、スウェーデンの林業は20年以上前からIT化されています。伐採する機械に「こういう木材の値段が上がっているから、それをこの長さ、太さで切ってくれ」という指令が来たら、自動で木をつかんで太さを計測し、枝払いして、切ってパイル化(束にする)します。(中略)残念なことに現在の日本の林業はまったくそういう次元からかけ離れています。「日本は地形が厳しいから欧米のような林業はできない」なんて言う人がたくさんいるのですが、やろうと思えばできないはずはないのです。

 コマツ幹部の方の心意気は心強いし、是非製品などを通じて林業に貢献していただきたいと考えるが、林業について勉強したての私でもなかなか欧米と同様の仕組みで林業に従事するのは困難だと思わざるをえない。

 地形についていえば、ドイツや北欧などの林業先進地の地形はU字谷が多く、道をつけるのがたやすく、幅員の大きい道路をひくことができ、結果として、様々な重機を導入するのが容易になり、効率化しやすくなる。

 一方、日本の地形は急峻で道をつけるが簡単ではない。山の地形を読み、どこにどう道を通すかを決める技術は、現場を知り尽くした方の話を聞いていると、本当に職人芸の世界だと思わざるをえない。

 また、日本の場合、多雨という条件も林道敷設をより困難にしている。多雨ということは水の流れを制御しなくてはならないことを意味するが、これがうまく出来ないと大規模崩落・地すべりが発生してしまう。達人の皆さんはだいたい一度ならずこの崩落を経験されていて、様々な工夫を凝らさないとこれを防ぐことはできないという。

 さらに、積雪地帯の場合は急峻であるがゆえに、根雪が徐々に落ちてきて木の根本を圧迫するため根曲がりが発生し、材木としての価値が下がったりするし、苗を育てる場合も最初のうちは雪で倒れてしまうため、起こしてやらないといけないなど大変な労力が必要となる。苗については、高温多雨であるため、下草の繁茂がすさまじく、下草刈りの手間も地味に大変だったりする。

 もう一つ、あまり指摘されないように思うが、私が大きな要因だと思うのは、日本はドイツ・北欧などと比較すると高緯度地域ではないため、冬の期間が短く、材木を燃料として利用する文化が発達しにくい、という問題があるのではないか。ドイツや北欧は極端にいうと年の半分が日本でいう冬に相当すると思うが、日本の多くの地域ではせいぜい12月下旬から3月上旬までの3ヶ月程度が冬であり、せいぜい年の四分の一でしかない。この差は大変大きいと思う。なぜなら、年の半分のためなら設備投資しようという気になるが、四分の一程度なら我慢して灯油でやりくりしようか、という風になってしまうだろうから。

 とはいえ、私見では、衰退日本の中にあって、林業は有望な産業になりうると思っている。外材が高くなり、国産材への回帰が起きるのではないかと思っているのだがどうだろうか。また、最近では林業従事者の高齢化が行き着くところまで行ってしまい、全体として低年齢化し始めているデータがある。また、都会で無駄に疲弊する生活に飽き飽きした若い人たちが山の仕事に入り始めている実態もある。冒頭で指摘されているように効率化の余地が山ほどあるため、うまく回していければ、面白いことが出来る可能性がある。

 私は諸事情で林業に携わることが困難になってしまったが……、これからIT導入で林業復興が起きればおもろいなと思う。

チャイルドシートやジュニアシートを助手席に置くことの是非

 チャイルドシートは後部座席に装着することが推奨されている。

 自動車総合安全情報という国交省のサイトで「チャイルドシートは、安全のためにできるだけ後部座席に取り付けましょう。」と書かれているし、こちらの滋賀発祥の某メーカーのサイトにも「エアバッグの付いている座席」では取り付けないでください、と書かれている。

 乳児の場合、後ろ向きの装着になるので、チャイルドシートを助手席に設置するのはやめるべきだが、前向きの場合、どうなのか。もちろん、一般論として、後部座席の方が事故率は低くなるし、助手席というのは最も死亡率の高い場所であり、避けるべきというのは正論であるだろう。

 私もずっとチャイルドシートは後部座席につけていた。後部座席の左右どちらがよいか問題については、やや運転手席側の方が死亡率はいくらか低くなるものの、先程のメーカーでは歩道から乗り降りさせることが出来るから、という理由で助手席側を推奨している。私も信号待ちのときなどに運転席から世話がしやすい、ルームミラーをやや斜めにすることで常時監視することができる、などの理由で助手席側に置いていた。

 ただ、何度か助手席に仕方なくチャイルドシートを設置した経験から、前向き装着なら助手席に乗せるのもアリではないかと思うようになった。子供としては前に乗った方が小さいうちからいろんなものをより多く見ることが出来、これはこれで立派な理由になるんじゃないかと。

 もちろん、これは親の自己責任である。多くの人は後部座席に乗せているのも知っているし、安全性も一般的には高くなるだろう。昨年、3歳の子がエアバッグで圧死する、という痛ましい事故が起きたが、こちらの「エアバッグで圧死」3歳児死亡事故、運転の母親に有罪判決という記事によると、後部座席にチャイルドシートがあったが、近所だったのでチャイルドシートのない助手席に乗せたとのことで、運転していた母親は有罪判決を受けている。

 上記のようなエアバッグでの圧死を避けるためにどうすればよいか。出来るだけ座席を後ろに引いておくぐらいしかないのだが、これで100%安全が保証されるわけではない。また、車両に助手席エアバッグ・カットオフ・スイッチというのがある場合、エアバッグ機能をオフに出来るが、多くの機種は未対応らしい(私の車種も未対応)。

 ここから先はもうリスクとベネフィットをそれぞれが判断する、という話になると思う。後部座席にいたら絶対安全でもないわけだし。

 うちの場合、4人家族になるにあたって、乳児を含む子供二人を後ろに乗せて、親二人が前、というのは、ちょっと考えられない、ということで、上の子を助手席に乗せるのを検討するきっかけとなった。そして、実際に乗せてみて助手席に乗せることのメリットがそれなりにあることがわかった。まず、子供にとって、景色がよく見えること、親としては子供の状態が後部よりもよくつかめること、子供の急な「お茶ちょうだい」などに対応出来ること、子供との会話を楽しめること、などなど。デメリットは死亡や怪我をする危険性が高くなる、ということだが、危険性をいうのであれば、車に乗ること自体なし、っていうのもありうる。そういう人も実際いるだろうし。

 私は他の人には推奨しないし、子供が一人だったら、そのまま後部座席に乗せてたかもしれないなとも思いつつ、助手席絶対危険で思考停止するのもよくないな、とも思った次第。JAFの海外のシートベルト着用・チャイルドシート使用義務というページによると、諸外国では前部座席に子供を乗せることを禁止しているところもあるようなのだが、細かい点がこのページだけではわからなかった。早いところ、自動運転車が主流になって、事故激減って世の中になってほしい、なんて思ったりもするが、まだまだ先の話ではあろうし、ともかく常日頃から安全運転を心がけるしかない。

新生児訪問と乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)は義務として受ける必要があるのか

 早いものでもう次男が生まれて一週間が経過した。すでに家の中に赤ちゃんがいることが普通になっていて、第一子もいろいろと協力的に動いてくれている。

 出生届を出してきたのだが、いろいろとトラップがあって、訂正印を幾つか押すことになった。本籍の筆頭者については提出後に間違えて提出したことに気づいたのだが、後日、訂正に行くと、すでに役所の方で訂正済みとのこと。なんのこっちゃ。訂正できるということは特に書く必要がないということではないのか。本人確認の意味があるのかもしれないが、私のように忘れてしまっている人が結構いるようだし。一体、どういう意図でこの項目があるのか。

 母子手帳には新生児訪問依頼書というハガキがついている。第一子のときは義務的なものだと思い、受け入れたが、第二子であること、産科の指導で必要十分であること、今のところ、母子ともに健康であることなどから、訪問は受けないでもいいのではないかと考え、役所で聞いてみた。結論としては、自治体としては受けてほしいが、受けなかった場合は数ヶ月後にまたハガキが来て、別の訪問事業を受けてもらうことになる、とのことだった。

 よく理解してなかったのだが、新生児訪問以外に乳児家庭全戸訪問というのもあって、私の自治体では新生児訪問を受けなかった人が対象となっているようだ。新生児訪問は母子健康法、乳児家庭全戸訪問は児童福祉法が根拠となっていて、それぞれ以下のような文言がある。

母子保健法の第11条

当該乳児が新生児であつて、育児上必要があると認めるときは、医師、保健師、助産師又はその他の職員をして当該新生児の保護者を訪問させ、必要な指導を行わせるものとする。

児童福祉法の第六条の三の4項

乳児家庭全戸訪問事業とは、一の市町村の区域内における原則として全ての乳児のいる家庭を訪問することにより、厚生労働省令で定めるところにより、子育てに関する情報の提供並びに乳児及びその保護者の心身の状況及び養育環境の把握を行うほか、養育についての相談に応じ、助言その他の援助を行う事業をいう。

 前の自治体では新生児訪問は家の居間に保健師さんに来てもらっていろいろ指導を受けるという形で、もう一つの方は地域の民生委員の人が玄関先で様子を尋ねる、という感じだったので、今回、新生児訪問はパスして、全戸訪問の方を受けることにすることにした(対応が楽だからというのが主な理由だったりw)。

 ちなみに厚生労働省サイトにやや古いが平成22年度実績の乳児家庭全戸訪問事業の実施状況(PDF)というのがあり、見てみるとこの事業は92.3%の市町村で実施されたとのこと。残りの7.7%の市町村で実施しなかった理由としては「母子保健法に基づく訪問事業で対応可能である」や「乳児家庭全戸訪問事業以外の同様の事業を既に実施している」などが挙げられており、この事業を必要としていない自治体も少なからずある模様。

 国としては早期に「問題家庭」の把握をすることで未然に虐待やネグレクトを防ぐなどの目的があるのだろうと思う。個人的にはこうした事業は「孤育て」が当たり前の時代にないよりはあった方がいいとは思うが、多様な有り様を一律に「全戸訪問」することで把握しようとするのは少々無理があるようにも思える。こういう事業では得てして現場が様々な工夫をして訪問率をあげようとしているものと想像するが、実施できなかった理由に「訪問者が足りない」「訪問の同意が得られない」というのもあり、今の時代にあったやり方があるのではないかと思ったりもした。

 子育ては今や家庭の範疇の事柄となっているが、人類の歴史を鑑みるに集団で育ててきた、というところがあり、集団での子育てのデメリットも多少有るものの、メリットの方が大きいと思われる。その効用をどのように取り入れるか。おそらく今の行政では出来ることが限られており、期待すべきではない。ではどうするか。私が思う一つの答えは子供が属す集団を複数にし、多様な集団での経験ができるように準備することぐらいしかないのではないか。この場合、習い事とかになってしまいがちだが、それだけではなく、いろんな形で工夫の余地があるように思う。

 なんか、思ってた方向と違う方向に論を進めてしまった。私も上記のことは十分に出来ていないが、方向性を今、確認したので、これから考えていきたいと思っている。

 最後に、うちの自治体は「乳児家庭全戸訪問及び新生児訪問の際に配付している人形に縫い針が混入した事案についてお詫び」がなされるような自治体だったりして、これが新生児訪問を躊躇した理由の一つではあったのかも、なんてね。

2児の父親になりました

 もうすぐ3歳半になる子の世話だけで精一杯な今日この頃ですが、その子が寝ているうちに一つエントリーを。

 そういうわけで、二人の男児の父親になった。オムツ替えや授乳も早速やってみたが、最初は戸惑いがあるものの、えらいものでなんとなく身体が覚えていて、特に問題なく出来た。一人目の子の時は産まれるまでにいろいろ調べていたが、今回はなかなか余裕がなく、ぶっつけ本番感がある。私はまだ良くわからないけれども、嫁さんに言わせると一人目と二人目でいろいろと違いを感じるようで、さすがにお腹の中ですでに長い付き合いがあるだけのことはある。

 上の子はお腹の中に赤ちゃんがいることがわかったときから赤ちゃん返りを始めていたので、生まれてから今のところ、そういうのが強くなった感じはない。むしろ、ダッコさせてとか言うほどで、こういうのは3歳半の差があるがゆえではないかと思ったりもしたが、その辺りどうなのか。

 思うに、魔の二歳児あたりのタイミングで次の子が産まれると、やはり結構いろいろ大変なんじゃないかとは思った。あっちもぐずり、こっちもぐずり、っていうのは一人だけでもしんどいのに、二人となるとちょっともう対応できなくなりそうで。ただ、私にも2歳違いの兄弟がいるのでわかるが、もう少し大きくなると一緒に遊べるので、年の差が小さいことがプラスとなるようにも思う。子供時代に3,4歳も年が離れていると一緒に遊ぶというよりは上の子が遊んでやってる感が出るように思うので。

 とはいえ、いろいろ聞いてると、年が多少離れていてもそれはそれでよろしくやっていくらしいので、もうこうして生まれてきたのだから、なるようになるものとして、やっていくしかない。

 「上の子可愛くない」というのは時々聞くが、これからそういう気持ちになるのかどうか。今のところ、上の子が最近かなり意思疎通が出来るようになってきてて、いろいろと変な日本語文法で変な質問を繰り出してくるので、おもろいもんやなぁ、と飽きる感じはないのだが。

 便利なので、「お兄ちゃんらしくしろ」的なことをすでに何度か言ってしまったが、これはあまりよくない言葉だと思うので、封印した方がいいのかも。それぞれ別人格が二人いることを肝に銘じ、それぞれに対し同程度の気配りと適当さで接していこうと思う。また、差が多少出ても気にしないぐらいでいるのがちょうどいいようにも思う。

Yoshiro Miyagoshi Website