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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

子育てについて思うこと 「親があっても子は育つ」

 我が家は私も嫁さんも他の家の子供についてよく知らないので、うちの子供がよその子供に比べてどうなんか幾分気になるものの、どこがどうだとかよく分からない。散歩してて出くわす同じ集落の人たちの言から、年齢の割に身体つきがまあまあしっかりしてるらしいことは分かるが、まだ話したりは出来ないので、どんな子なのかまだようわからん。

 親としてのささやかな願い(?)はあまりお互いに依存しすぎないようにし、時期が来たら自立出来るように育って欲しいし、こちらも可能な限りそうなるようにサポートしようと思っている。ただし、あまりに距離を取り過ぎるのもよくないだろうし、しんどい時はしんどいと弱音も吐けるようにもしておきたいところ。

 方針としては、過保護でもなく、自由放任でもないところで、親がある程度、方向性を押し付けることでそっちに向かうもよし、反発するもよし、ぐらいを考えている。

 最近思うのは、子育てはどうしても自分自身が育ってきた環境が大きく影響してしまう、ということで、私自身が5人兄弟の4番目という、現代日本ではかなり特殊な環境下で育っていて、自分の育ち方を自分の子供の子育てに適用してもいいのか悪いのか、ちょっとまだ答えは出せていない。

 一般的にはまだ1歳半程度の段階で個性がどうとか見極めるのは早過ぎるので、基本的にはしつけはせいぜい二段階程度にして、紙を破ったり、ティッシュを散らかしたりするようなのはアカンといいつつも大目に見るが、道路で車に向かって飛び出すとか、アツアツのやかんやストーブとかに手を伸ばそうとした時など本気でアカンやつは、ややきつめに言う、という程度にしている。こんなんでええのんかもようわからんが。

 しつけについて、ロシア語圏では「日本では3歳まではうるさくしつけせずに自由にさせて育てる」という神話が広がっているらしく、何度か聞かれたことがあるが、何なんだろう、あれは。「三つ子の魂百まで」がねじまがって解釈されて伝わっているのか。

 ただ、自分で実際に育ててみて、結局、それに近いことを自分がしている、という自覚がある。好奇心旺盛ということはよいことであり、その芽を摘むようなことは出来るだけしないようにしたい、というのがあり、包丁やお湯など危険なものがあるキッチンスペースや風呂・トイレ・玄関などには入れないようにしているが、それ以外は割りと自由にさせている方だと思う。

 都市部在住なら同月齢の子供がわんさかいるだろうから、うちの子が比較的どうなのか、よくよく分かってしまって、焦ったりするのかもしれないが、幸か不幸か、そういう環境になく、あまりそういう方面では心配することはない。ただ、保育園に行きはじめている同月齢の子供はすでに他の子供とのふれあいに慣れている、というのはあって、うちの子供はまだまだ子供同士でのコミュニケーションはうまくできない、ということには気づいているが、また別の日、街中のショッピングゾーンにある子供スペースで積極的に他の子供に働きかける姿勢が見られるなど、外向性があるのかないのか、その時の気分で変わるようで、まだよくわからない。一般的には3歳ぐらいまでは子供同士で遊ぶというのは出来ないとされているみたいなので、焦らなくてもいいと思っている。

 核家族化が進み、子育てが孤独な「孤育て」になってしまって、社会と切り離され孤立感を深める親は実際多いだろうと思う。保育料やベビーシッター料金を払えば何とかなるが故に、実親であっても気軽に頼りにくい空気感がある。ネットのおかげで同じ悩みを共有できる仲間を見つけることは可能だが、実際に彼らがオムツ交換などをしてくれるわけもなく、共働きの場合、どちらかが病気したり、仕事で缶詰になったりしてしまうと、もう生活破綻の瀬戸際に立つ、ということになる。もし片方が仕事で身動き取れない状態の時にもう片方が病気になったらどうなるのか。今のところ、幸いなんとか切り抜けられているが、いつそんな事態が来るとも限らず、なんだか薄氷の上での生活が続いているような実感がある。

 私は自分自身が比較的抱え込んでしまうタイプだからという理由にかこつけて、抱え込まないように予防線を張る、ということを普段からせっせとやっているような気がしているが……、歳を重ねて、自分的にちょっとこれは厚顔無恥かもなぁ、というようなことでも許容するようになったように思う。

 最近「子育ち」という言葉が用いられるようになっている。「子育て」ではなく「子育ち」。ググるとこんな文言があった。

以前、「子どもを産まないと決めた」という若い女性と話したことがあります。「子どもを育てるという重い責任をとりたくない」と彼女は言いました。

「子どもを育てる」という言葉の響きには、とても大きな責任が含まれています。もちろん子どもを育てるのは一大事業です。でも、そのことを怖れることはありません。子どもは生まれてくるもの、そして育つものです。

 私も長い間、自分自身が子育ての責任などとても背負えるような人間ではない、と子供のない人生を想定して生きてきたが、こうして子供を育てるようになった。坂口安吾はかつて「親がなくとも、子が育つ。ウソです。/親があっても、子が育つんだ」と書いた。この考え方は別に最近生まれた考え方ではないが、ようやくこうした考え方が世間一般に浸透してきているようで、よい傾向だと思う。こういう考えがもっと一般的になると、多くの人が子育てに対し過重な責任感を背負わないようになるだろう。こういうマインドに訴えるのって、意外と少子化対策でかなり重要なことなんじゃないかと思うのだが。

 実は今回は「うちの子の取説」みたいなのを書こうとしたのだが、なんだかあさっての方向に行ってしまった。次回はもっと具体的なのを書きます。

ダークツーリズムについて 長島愛生園を訪れたときの話など

 ダークツーリズム:「負の遺産」を旅しよう 専門雑誌創刊という記事が出ていた。

 私はもう少し若かった頃、「観光」という行為に違和感を覚えていた時期があり、その時は観光よりも「観暗」「観闇」の方に心惹かれていた。まだダーク・ツーリズムという言葉があることは知らなかったが(Wikipediaのダークツーリズムの項によると、この言葉は1996年に提唱されたのだそうで)、当時、オウム真理教のサティアン詣での観光客のことで批判的な意見が出ていて、あまりそういうことを表立って言える雰囲気ではなかったと思う。

 記事によると、創刊号は長島愛生園についての特集があるようだが、ここには私も瀬戸内を自転車旅行をしていたときに「一旅行者」として行ったことがある。次の日の予定は前の日の晩に地図を眺めて決める、というような行き当たりばったりの旅行だったため、ちゃんと計画して行ったわけではなく、園までの経路が上り下りが結構あるようなぐにゃぐにゃの山道で思っていたよりも時間がかかり、到着した時にはもう日が暮れようとしていたと記憶している。

 当地を訪れたのは、2000年問題のデスマーチで大いに疲弊した後、会社を辞めて自分を取り戻すために自転車旅行に出た時のことなので確か2000年年代初頭だったと思う・・・と書いて、写真が残ってないか調べたところ、一枚だけ撮ったのが見つかった。生活の場でもある園内の様子を撮るのはさすがに憚られ、案内図だけ撮影したのだろうと思う。

長島愛生園案内図の看板
長島愛生園案内図の看板

 私は事前情報なく訪れたため、まずは事務所に行って、園内に足を踏み入れてもいいのかどうか尋ねたところ、どうぞどうぞ、という感じだったので拍子抜けしたが、とにかくいきなり入所者の方に出会っても挨拶程度にして、礼を失した態度を取らないように気をつけていたのを記憶している。

 園内では歩いている人は一人もみかけなかったが、視力をなくされた方のための盲導鈴(駅や図書館などの公共スペースで一定間隔で鳴っているピンポーンのチャイム)代わりのラジオがあちこちで鳴っていたのが印象的だった。この場所ではNHKが、他の場所では民放の○○局がなどと決まっていて、散歩中に自分が今どこにいるのかが分かるようにするためのものだ。

 園内を回っているとき、時々、他県ナンバーの車が数台通ったのも記憶に残っている。私が訪れたのは2002年だったが、当時からすでに「観光」の対象地ではあったようだった。

 島の周辺で人々と話すと、メディアなどでは聞こえてはこないような話も耳にした。よくある「逆差別」のような話でここに書くほどのことでもないので書かないが、まあいろんな声があるものだなぁ、と思った。

 ダークツーリズム自体にいろいろ意見はあるだろうが、その場に行ってみるとその後も関心が持続する、という効果は確実にあるので、私はダークツーリズムには肯定的である。事前学習は最低限はしておくべきだろうが、あまり構えなくてもいいと思う。まずは現地に行ってみて、出来れば現地の方にお話を聞く、というだけで十分だと思う。

 ただ、こうしたダークツーリズムで難しい面があるのは、体験者に話を聞くことはとても大切なのだが、ほじくり返してまで聞くべきではない、ということで、実際、ハンセン病患者の方が「一見」の訪問者に胸の内を述べることに対し、葛藤が生じることがあるという話を聞いたことがある。一見の訪問者に自分の人生の大切な部分を少しの時間で語り尽くすことなど出来るものではない。その方は訪問者に語ったその日、眠ることができなかった、という。

 とはいえ、そうしたことに配慮しつつも、重く感じすぎて無駄に避けるものよくないと思うし、迷ったらまずは行ってみる、ぐらいの「軽さ」で現地に足を運ぶのもよいことだと私は思う。

 よもやと思って、Googleストリートビューで見たところ、長島愛生園も訪問出来てしまうことがわかった。人間回復の橋を見ると、私が行った時は橋の手前の道路の真ん中に管理人のいる建物があったが、今はなくなっている。

 こうしてストリートビューで行った気になれる時代であるが、行ってみないと分からないことがたくさんあって、長島の場合だと、周辺との距離感とか、瀬戸内の気候の良さ、盲導鈴という音など視覚以外で感じるものはストリートビューからはつかめない類のものだろう。

 今、思い出したが、原爆投下の日に広島に行った時、灯篭流しの灯籠を子どもたちや観光客が作っている脇で地元の方と思われる方がスタッフに対し、「原爆の日はもっと厳かにお祈りするべきだ。こんな賑やかなイベントにするもんじゃない」という主旨のことを主張していた。その気持ちはわかるが、後世に伝えていく場合、ある種の「陽気さ」がないと続かないと一方で私は思っている。チェルノブイリ支援に携わる方も同様に「楽しさがないと続けられるものではない」ということを言っておられた。

 ついでに言っておくと、福島の観光地化については、総論では賛成だが、私はやはり、東京からこの話が出て来るべきではなかったと思っている。こういうのは体験者自身の止むに止まれぬ気持ちから自発的になされるべきであって、すでにこういう形で遍く知れ渡ってしまうと、同様のプロジェクトを発案して始めたいと思っても、二番煎じ感が出てしまい、運動も盛り上がらないことになりはしないかと危惧する。もっとも「東京も体験者であった」と言われると、福島から遠く離れた関西人としては、確かにそれはそうだが、となってしまうのであるが。

 ただ、あずまんは今もチェルノツアーを継続してるみたいで、事前準備の手間やら何やら考えるとまったくペイしない事業だと思うが、ようやってはるなと思う。ゲンロンのチェルノツアーの本も類書がなく、チェルノブイリについてほとんど知識のない人が現在のチェルノブイリの現状を知るとっかかりとしてはよい本だとも思ったし。ゲンロンの福島本は全体として私にはいただけなかったが、一部の著者コラムによい文章があり、全否定するものではない。ただ、どうしても「東京のお洒落文化人が福島をネタに妄想を膨らませてみました」感を田舎者としては感じないわけにはいかず、心穏やかには読めなかった。それぞれの方はそれぞれ真摯になされているつもりなのだろうけれど。

 話を戻すと、私が行った時はまだ出来てなかったが、「長島愛生園歴史館」が2003年に出来ていたようで、今は学びの場としての整備が進んでおり、さらに、「日生から長島愛生園をめぐるクルージング(参加無料・要申込)」というスタディツアーもあって、ちょうど数日前の8/29に第一回目が実施され、「長島愛生園が初のクルーズ運航 隔離追体験や人権侵害の歴史学ぶ」という記事が出ている。どうも今後、継続して実施される予定はないようであるが、出来ればこうした試みが続いて欲しいと思う。

Windows10で休止状態から勝手に復帰する不具合へのとりあえずの対応策

 「Windows 10のPCが夜中、勝手にスリープから復帰する」原因と対策 という記事が出てきた。私もこの現象に悩まされており、いろいろ調べたが、結局、このサイトにもあるように、

Homeユーザーが確実に夜中にPCが起動しないようにするためには、シャットダウンをしておくか、Windowsのフィードバックで要望を出して、改善されるのを待つしかないだろう

とのことで、作業状態は保持したいため、シャットダウンはしたくないので、さてどうしたものかと考えていたところ、とりあえずの対応策を思いついた。

“コンセントを抜いておく”

 要するに、夜中に起動しなければよいわけで、毎回、休止状態にしたらコンセントを抜き、起動時にコンセントを挿せばよい、というわけだ。

 コンセントの抜き差しはやや面倒なので、私の場合は、電源タップにスイッチがついてるやつを使うことにした。実は、ちょっと前までマメにスイッチオンオフしていたのだが、ここ最近は子どもの世話(主に遊んでくれ~の対応)が大変で、その余裕もなくなっていたのだったが、これは一度習慣付くと特に問題なく続けられることなので、再びやり始めようと思う。

 ノートPCの場合は悩ましいところだが、バッテリーを外してしまうのが一つのやり方だろう。毎回バッテリーを外すのが面倒であれば、普段からバッテリーを外した状態で使用するのもありだろうと思う。実際、私はノートPCをメインマシンにしていたとき、バッテリーの持ちをよくするために、そのように使用していた時期があり、特に問題は感じなかった。ただし、停電の時も電源ダウンしない、というノートPCのメリットがなくなってしまう問題点はあるので、各自が自分の状況に合わせた解を見つけるしかないだろう。

 Microsoftが対応すればすべて解決なんだが。。。

中核派って何? ~全共闘世代について思うことなど~

 こんな記事が出てた。

「福島に暮らす人々描いた映画、打ち切りから再上映へ」

 映画については見てないのでここでは言及しないが、記事に中核派について言及がなされている。私は中核派については、何かの団体が分裂してそのうちの自分たちが中核にあるとみなした人たちの団体なんだろうな程度の知識しかなく、「中核派とは」などを読んでも、その前提がさっぱりわからないので全然頭に入ってこなかったわけであるが、世間的には「あいつは中核派のシンパだ」的なレッテルを貼ると何かを攻撃したことになる的な位置づけにあるらしいことをなんとなく感じる程度だ。

 私が学生時代だった頃のさらにそのずっと前にはすでに学生運動は下火になっていて、総合大学に行った時に見かける立て看板でその存在を知るぐらいで、今まで「私は中核派です」という人に会ったことが一度もないので、どういう人たちなのかも実感としてよくわからない。何でも内ゲバで殺し合いにまで発展したのだそうで、そうした過去の経緯から一般人にとっては言及することで得をすることはあまりなさそうな人たちとみなされても仕方のない面はあるだろう。また、中核派を否定的に言及する人がやたらと攻撃的なのもますますそういう事柄に言及することを避ける土壌が出来上がっているように見える。

 一応、ブログ記事「革共同~ヤンキーな中核派VSオタクな革マル派」などを読むと大雑把な対立構造などは見えてくるが、リアリティをもって理解することは私には不可能だ。

 今現在もその程度の認識しかない私であるが、福島との関連で思い出したので、ここにメモしておきます。

 私たちが2011年4月に初めて福島入りした時に何箇所かで集会が開催されたのだが、そこで地元の年配の方から「中核派が来てますね」と言われた。それが何を意味するのか、当時の私はよくわからず、はあそうですか的な反応をした記憶がある。具体的に誰が中核派なのかは関心もなかったし、特に聞きもしなかったが、当時はふーん程度に思っていた。

 その後、子ども福島の運営を巡り、中核派との関連が指摘されるようになり、様々な経緯を経て、現在ウェブサイト上では以下のような記述がなされている。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、政治・宗教・企業などあらゆる団体からの独立を原則としています。
*当会はふくしま共同診療所、福島診療所建設委員会、NAZEN、中核派などの団体と関係がありません。

 私は子ども福島の運営についてもよく知らないので知ったふうな口を聞くつもりはないが、子ども福島に関わる人たちの多くはただ子どもの将来を心配する方々の集まりなのだと今も思っている。実際に関係者の方から「中核派って何ですか?」という質問を受けたこともあるぐらいで、子ども福島を団体ごと丸々中核派の思想がバックにあると誤解されかねない主張など見ると、ちょっと悲しくなる。ただ、様々な思惑を持って運動体に近づく人もおり、来る者拒まずで受け入れていると「なぜか人が去っていく」という事態に繋がる場合も現実としてある。この辺りのバランスの取り方はなかなか難しいところで「排除の論理」を原則避けつつも、どうしても方向性の違う特定の人に辞めてもらうような場合も出てくるだろう。

 中核派かどうか知らないが、福島事故直後ぐらいに、全共闘世代としてここで動かないといけない、的なことを私に言ってきた人がいた。その言葉に私は違和感を覚えたものの、そうした意識で動く人がいてもいいだろうぐらいには思った。ただ、私は当時の混乱状況にあって、例えばこちらに「子どもを避難させること」など何らかの思惑があったとしても、とにかくまずは現地の人たちのことに耳を傾け、人々の意向を知るのが第一で、いわばまず「相手ありき」だというのがこうした場合の常識ではないかと思っていたが、その辺りの感覚に幾分ズレがあり、私の目には「ここで行動する自分ステキ」みたいな、まず「自分ありき」なのだとしか思えないような言動を見聞きすることになった。

 元々身近にデモに積極的に参加したりして、選挙前になると「共産党に入れろ」などと電話してくる人が一人いて、世代的にはもろ全共闘世代の人で話も面白く長く付き合いがあったのだが、普段は立派なご高説を吐く割に、大事な時に子どもじみた行動を取ることが何度もあって辟易するようになり、今は付き合いはなくなった。

 他にもこの世代周辺の人にこのタイプの人が多くいることを経験として知るようになり、一体なぜこのような一群がいるのか、長らく謎だったが、これは戦争直後に激変した不安定な教育環境があのような人たちを生み出したんだろうと思うようになった。彼らとて、そのように育ちたくて育ったわけではなく、戦争に飽き飽きした当時の大人が少々のやんちゃ程度なら大目に見た、という話もあり、そのように育ってしまったことに責任はないと個人的には思うし、私自身あの時代に生まれていたら、似たようなことになっていた可能性はあるだろうと思う。

 ただ、本人たちもうすうす感じている通り、時代は変わった。ボブ・ディランの歌詞ではないが「Your old road is rapidly agin’」で、もう昔のやり方は通用しない時代になっていて、そのことをよくよく理解した上で下の世代とつきあってもらいたいと思う。先日のデモなども主導しているのは旧来のデモでよくみかける組織ではないみたいで、世代交代が進んでおり、否応なく新しい世代が出てきている。仲間内で懐古的にヘルメットの色の話とかしてる分にはいいが、そういうのに下の世代はまったく関心が持てないわけで。

 もちろん、この世代の人がみなそういう傾向があるなどというつもりはないし、むしろ気さくで偉ぶったりしないのがこの世代のいいところで、自分が前に出るのでなく、また後ろから黒幕的に操ったりするのでもなく、下の世代に経験を伝授して、育てるぐらいのつもりで社会と関わってくれるといいんだがなー。実際に私はこの世代の何人かに育ててもらったと思ってるので。

「背中スイッチ」発動による寝かしつけ失敗を回避する方法

 さてと、寝かしつけだんなう。ユラユラ抱っこで寝たかなと思って床に置いたら起きてしまう「背中スイッチ」に生後しばらくは悩まされたものだが、1歳半になり、親も学習し、背中スイッチを押さないように着陸させる術を心得たかも。

 子どもにも個性があり、誰にでも有効というわけではないだろうが、うちの子どもに関してはほぼ背中スイッチ発動回避方法を会得したと思うので、メモしときます。

 ちなみに「寝かしつけ」というと添い寝で背中をトントン叩いたりしながら子守唄などを歌いつつ、というイメージを育児前はなんとなく持っていたが、多くの場合、まず出来るだけ子どものお腹から胸あたりをこちらの身体のどこか(お腹だったり背中だったり)に密着させつつ揺らしてやると大抵の子どもは寝るようだ。ちなみにこういうテクは全然知らなかったのだが、うちの子どもを他の子育て経験者の方々がそのように抱っこしてるのを見て覚えたのだった。抱っこの仕方なんて知らんがなー、って感じだったが、そのうち嫌でも様になるようになるわけで。

 さて、そこまでは私でもすぐに出来るようになったが、問題は着陸に失敗することがよくある、ということ。こちらもずっと抱っこしてるほど暇ではないわけで、親としては寝たのなら早く布団で寝るようにして欲しい。というわけで、ついつい寝息を立てたら床においてしまうことになるのだが、ここで早まってはならない。寝息を立ててからしばらくは炊飯時の「蒸らしタイム」みたいな時間が必要になる。熟睡モードに入るまでに大人でもやや時間がかかるのと同様、子どももそういう時間が必要らしい。

 この時間は育児本には15分ぐらいとか書いてるのを読んだことがあるが、これは一概には言えない。昼寝のときと夜ではどうも違うようで、夜のほうが熟睡度が高い分、この時間は短くて済むように思う。時と場合によっては、例えば昼寝が出来なかった日でお疲れモードの場合など、のび太のようにコテンと一瞬で寝ることもあるし、グズグズと首を左右入れ替えたりして、なかなか寝付かない時もあり、30分以上かかる場合だってある。

 ポイントはそうした動きがなくなり、寝息が一定リズムを刻み始めた頃合いを感じ取り、そこからさらに少し待った後にすると確実だということ。どうしても諸般の事情で早まりたくなるが、急がば回れで、少し待つのが結果として時間節約になる。

 あと、前抱っこで身体を密着させた状態から着地させるやり方は様々だろうが、うちの場合、こちらも仰向けに寝る、ということになることが多い。しかし、この体勢から子どもを床に着地させるのはなかなか難易度が高い。出来ればゆらゆら抱っこからそのまま着地させられるとよいのだが、今まで何度も失敗してきたので、今は難易度高めでも確実性の高いこのやり方を採用することが多い。

 さて、その姿勢からどのように着地させるか。試行錯誤の末に分かってきたのは、身体の密着はそのままに少しずつ身体を傾けて、子どもの足から着地させ、徐々に体重移動を図りつつ床により多く体重が移動したタイミングで密着を離すというやり方が成功率が高い、ということ。ポイントは密着性を保ちつつ、荷重を布団に徐々にずらすこと。そして、この場合、仰向けでなくうつ伏せで寝かせられるのも成功率が高い理由なんだろうと思う。ちなみにうちの子は寝返りが出来るようになってからはうつ伏せ寝が多い。

 このやり方も眠りが浅いときは利かないし、うまくいかないこともあるが、現時点では自分的に一番マシな方法となっている。

 多分、エキスパートの方々はもっとよいやり方を知ってるとは思うが、育児素人のやり方を書いてみました。ちなみに、寝返りができるようになるまでの場合は、背中を丸めて寝られるクッションに置くやり方が成功率が高かったので、月齢・年齢によっても変わってくるとは思いますが。