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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

グルジアからジョージアへ国名変更。缶コーヒーのジョージアはどうなる?

 外務省の報道発表で「国名呼称の変更(グルジア)」というのが出て、ついに日本でも正式に国名としてのジョージアが使われることになった。

 こうした名称の使用では、マスメディアの伝え方も大きく影響するが、当面は併記することになるようで。

 4月22日から、というので、今朝、外務省のサイトを訪れたのだが、以下のように、まだグルジア表記のままだった。

外務省サイト_グルジア

 それが、先ほど見に行ったら、ちゃんとジョージア表記になっていた。

外務省サイト_ジョージア

 今後、うっかりグルジア表記に、なんてことが各所で起こるだろうが、10年もすると慣れていくような気はする。最近だと、「ビルマ」と「ミャンマー」があるが、この国名に関しては、改名が軍事政権によるもの、というのや、「ビルマの竪琴」という作品もあってか、まだまだビルマも古びてはいないように思う。

 ジョージア(グルジア)については、日本では国自体が一般の人にはなじみが薄いため、大きな影響はないように思うので、もう何年もすると、ジョージアが普通になるような気はするのだが、はてさて。

 この改名に関しては、様々な意見があるが、私は「ウクライナの地名表記問題 ~ クィーイィウかキーウか、キイフはどうか」でも述べた通り、英語の圧倒的な浸透力という現実を受け入れ、外国人と話すときにも通じやすくなるであろう「ジョージア」にするのは基本的には賛成である。アメリカの一州は「ジョージア州」ということにすれば、大きな間違いは生じないと思うし。

 問題は缶コーヒーのジョージアだが、かくなる上は、日本コカ・コーラの英断でこの長年使用されてきたコーヒーブランドの名前を変えてくれるといいのだが、やはりちょっと無理な話だろうか。勝手な想像だが、社内で議題ぐらいには上がってるんじゃないかと思うのだが。

そして、ピロリ菌除去に成功

 先ほどの記事「初めて胃カメラを飲む時のコツ」の続きです。


 胃カメラを飲み、ピロリ菌の検査をしたところ、ピロリ菌がいることがわかり、先日、投薬治療を実施した。1週間3種類の薬と胃薬を飲み続け、幸い一度も飲み忘れることなく、終えることが出来た。

 最中は下痢気味になる人もいるようだが、そういうことはなかったし、副作用もほとんどなかったが、味覚障害気味になったような気がした。あくまで気がした程度であるが。

 これで除去できる可能性は8割前後らしいので、ダメならまた別の薬を試すことになる、とのこと。これで95%は治療できるみたい。

 そして、しばらく後、再度ピロリ菌検査をして、無事、一発で除去に成功した。

 昔からストレスを受けるとまず胃に現れるタイプなのだが、ピロリ菌除去でそういうことがなくなるのかどうか。すでに実施後、数ヶ月経過したが、胃がキリキリ痛むことは少なくなった気はする。特にここ数ヶ月は仕事上で納期ギリギリのスケジュールで結構なストレスがかかったのだが、ひどい胃痛に見舞われることがなかったのは、ピロリ菌除去が効いたのかどうか。最近は、その都度ストレスを小口に発散するようにしていて、ストレス発散が上手になった、というのもあるので、なんともいえない。あと、相変わらず、消化の悪い食べ物を多食すると、胃もたれはするし、胃が快調になった、という実感は今のところない。

 適度のストレス耐性はシビアな現代社会を生き抜くのに必要な属性であり、ピロリ菌除去で胃痛が収まれば、と思っていたが、もう少し様子見、ということで。

初めて胃カメラを飲む時のコツ

 以前、「かなり久々の健康診断を受けに行政の健診に行ってきた」 というエントリーをアップしたが、その後の結果をほぼ書いておきながら、投稿してなかったので、アップしときます。


 結果は胃がん検診で「胃底部に影が見える」とのことで、要精密検査となり、近くの個人医院で胃カメラを飲むことになった。

 決して健康というわけではないのだが、今まで入院をしたことはなく、内臓関連でこうした精密検査を受けるのは初めてで、44歳になり、寄る年波を感じないわけにはいかない。

 事前に経験者に聞いたり、ネットで調べたりして、「喉を通るときにオエッとなるがそれ以外は昔に比べたら楽」とは聞いていて、実際、その通りだったが、胃の中を調べてる時も空気を入れられたりすると胃でそれが感じられるので、何とも言えない気持ち悪さがあった。

 ただ、人づてにあそこに行くとよい、と聞いて訪ねた医院の熟練の医師だったこともあり、ヨダレはダラダラ垂れ流し状態となったが、涙はほとんど出ず、なんとか耐えることができた。5分程度だったと思うが、その時間は大変長く感じた。考えることといえば、いつ終わるかだけで、今の胃カメラは細くなってるから楽なもんだ、と聞いていたものの、私には十分しんどかった。

 結果は幸い、潰瘍やがんは見つからず、慢性胃炎という診断がついた。初めて見る自分の胃の様子は多少まだら模様になっていて、慢性的に胃炎が起きていることが示されていた。昔からストレスを感じやすい性格なので、ストレスの少ない仕事をしたいものだが、そんな仕事などそうそうあるものではなく、今後もずっとこの症状と付き合っていかないといけない。

 最後にいろいろ調べて実感として効いた「初めて胃カメラを飲む時のコツ」をあげておくと、

1)力まない
力がどうしても入ってしまうが、自分がプリンになったイメージでダラ〜ンとすることを意識し続けること。そして、最中はマウスピースを咥えるのだが、その際、決して歯をくいしばらないこと。

2)ヨダレはダラダラ垂れ流す
途中でつばを飲み込むと気管に入って咳き込むことになり、検査どころではなくなる、という注意が自分的には一番の恐怖だったが、無事乗り切った。コツは口から流れるように寝転ぶ姿勢を調整して、口の中に貯めないこと。

3)飲み込む練習をしておく
ご飯を飲み込む感じ、と言われても、どうやって練習せえちゅうねん、って感じだったが、一発で飲み込むことができたのは、何回もイメージトレーニングしておいたのが効いたからではないかと思っている。とにかく喉の奥でゴックンと飲み込む練習をしておいて損はないと思う。

 以上、もし初めての胃カメラでビビっている方がおられたら、参考になれば幸いです。

OSCE報告:正体不明の「第三の勢力」がウクライナ政府側、親ロ派側双方を挑発

 多分、そのうち通信社から日本語ニュース記事として出ると思いますが、一応、書いておきます。

 こちらのOSCEレポートによると、

According to both Ukrainian Armed Forces and Russian Federation Armed Forces officers at the observation point, an unidentified “third party” was provoking the two sides.

監視地点のウクライナ、ロシア双方の軍将校によると、正体不明の「第三の勢力」が両勢力を挑発

というような事態が発生しているようで、戦争状態を継続したい勢力によると思われる介入が報告されている。

 サイトでは、場所、爆発の様子・回数、武器の種類、攻撃の方向、日時などの表も同時に公表されており、たった一回の爆発音から非常に細かくまとめられている。以前に比べて治まってきてはいるものの、事態がまだまだ流動的で予断を許さない状況が依然続いていることを示している。

2015年4月15日の停戦違反(PDF表:英語)

2015年4月16日の停戦違反(PDF表:英語)

 例えば、14日19時から23時半の間の報告によると「Both incoming and outgoing (could not determine the exact number of each)」とのことで、双方からの爆撃があり、どちら側からいくつの砲弾が来たかとても数えられないような状況だったことが分かる。

 こうした状況下での第三の勢力による挑発は停戦合意を崩壊させかねず、双方の自重と共に、この「第三の勢力」が何者でどういう背景でこうした動きをしているのか、究明が待たれる。

「卓球用品送って」の送り主は実在する?

 河北新報を見てたら、「卓球用品送って」ウクライナから宮城にも という記事が出ていた。

手紙はワープロ文字の英文で、送り主はルガンスク市に住む「ミカエイル・ズゥラヴェル」と名乗るプロ卓球選手という。「紛争の影響で入手困難になった日本製の卓球ラバーを私と2人の自分の子どもに送ってほしい」と書かれ、日本の卓球用品メーカー「バタフライ」の名前と「テナジー」など計15種類のラバー名が記されていた。

 記事内に名前が出ていたので、戯れに検索してみたら、おそらく英語読み「Mikhail Zhuravel」から来ていて、ロシア語だと「Михаил Журавель」となる人物ではないかと推測し、「卓球 ルガンスク」という検索文字列を追加すると、あっさり以下のサイトがひっかかった。

http://www.al.lg.ua/index.php?ELEMENT_ID=15607

 このサイトはルガンスク州アルチェフスクという街の議会のサイトで、2015年4月10日に行われた卓球大会でこのミハイル・ジュラヴェリ氏は40歳から49歳のカテゴリーで優勝している。

 このアルチェフスクという街は2014年5月1日に親ロ派占領地域となり、今もルガンスク人民共和国が支配する領域にあるようで、激しい戦闘の舞台となったデバリツェボから30kmもないところに位置する。

 なぜ東北地方を選んだのかは不明だが、親ロ派支配地域の実在の人物である可能性があるので、連絡を取って、話だけでも聞いてみるといいのではないだろうか。