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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

「限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ」の記事の感想

 年末年始は10ヶ月の赤子が初めての風邪をひいて、その世話をしたりしていたのだが、さらに手押し車を使ってあちこち暴走ならぬ「暴歩」を初めており、ひとり歩きする日も近そうで、去年の年末年始同様、部屋の模様替えと掃除で終わってしまった。そんな中、こんなニュースが出てたので、日頃思ってることなどをつらつら書いてみます。

限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ(NHK) 1月2日 4時13分

限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ
人口減少が深刻な過疎地で持続可能な集落の在り方を探ろうと、国土交通省は東北の4地区をモデルに集落を中心部に移した場合に維持する場合と比べてコストがどれだけ節約できるかを具体的に検証することになりました。

住民の半数以上を高齢者が占め、存続が危ぶまれているいわゆる「限界集落」は国の調査で全国400か所以上に上り、中でも東北地方は50か所と中国・四国地方に次いで人口減少が深刻な過疎地が多く、集落維持のコストが課題となっています。
このため国土交通省は、集落を維持する場合と中心部に移しコンパクトな街づくりを進める場合のコストを比較し、実際の集落をモデルに検証することになりました。
具体的には集落の維持にかかる道路や上下水道の費用やバスやゴミ収集車などのコストと、集落の移転に伴う費用を比較し移転でどれだけ節約できるのかを分析することにしています。
モデルとなるのは宮城県栗原市、青森県むつ市、秋田県湯沢市、それに山形県小国町の4地区で、国土交通省は現地調査をし、ことし3月までに報告をまとめます。
こうした検証は全国で初めてだということで、東北地方整備局の安田吾郎企画部長は、「限界集落の問題は、住民の合意形成が難しくなかなか解決に向かわないが、『コスト』を見える形にすることで、集落再編を進める貴重なデータにしたい」と話しています。

 ちょうど最寄りの数少ない新刊がいくらか読める書店に『地方消滅の罠』という本があって、著者の山下祐介氏の『東北発の震災論』を興味深く読んだものとして、関心分野でもあり、購入して、半分ほど読んだところなのだが、『限界集落の真実』の著者でもある氏の問題意識は自分には何かと示唆に富んでおり、興味深く読んでいるところ。

 この本では主に元岩手県知事の増田寛也氏の話題の著書『地方消滅』に対する批判という形で論が展開されているのだが、「選択と集中」という言葉に潜む「選民意識」をあぶりだした上で、対案として「多様性の共生」という概念が提出されている。過疎地の住民として、著者の問題意識はほぼ共感できるものなのだが、いかんせん「多勢に無勢」感が強く、結局のところ、現代日本で多くの人が住む首都圏をはじめとする都市部、さらに言えば、東京在住の人たちの耳にはほとんど届かないか、届いても実感を持って共感されるものとはならないのではないか、という諦めにも似た気持ちを抱かざるをえない。

 私は東京に住んだ経験がなく、東京から出たことがないというリアル知人が非常に少ないため、たまに、そうした人と会って話したりすると、地方人の常識との乖離に驚くことがある。とはいえ、そういうずっと東京に住んでいた人に地方の実態を把握してほしい、というのもちょっと無理な注文なんじゃないかと思ったりもする。

 昨年末、「またまたエコノミストの予測外れる GDP下方修正発表に記者からどよめき」というようなニュースがあり、様々な「大人の」制約でこうした予想がなされた、という話もあるが、エコノミストの多くが東京在住で地方の実態が見えてないからじゃないか、と言われたりしていた。

 今回の記事も地方の実態など眼中にない中央官僚の「限界集落は国を維持していく上でコストがかかって邪魔なので、とっとと移住しろ、田舎者ども!」という考えが背景にあるのではないか。いや、まあ、官僚の秀才の皆さんもそこまで意識的に悪意を持って考えてるわけではないんだろうけど、こうした住んでいる人の気持ちなどお構いなしに「コスト」で測るという発想は「選択と集中」の「選ぶ側」に立つもの特有の何か(要するに先の著者もいっていたが「エリート主義」)が見え隠れする。

 増田寛也という人物については官僚出身だが、岩手県知事をやってたぐらいなんで、地方出身者なんだろうな、と勝手に思ってたが、どうも東京生まれ東京育ちの生粋の東京人のようだ。(Wikipedia 増田寛也

 私は全都道府県に足を踏み入れたことがあり、結果、一番変わった人が多いところが東京で、別の言い方をすれば、東京は日本で最も多様性に富んだ街という、「日本の首都は東京です」以上ではない感想を抱いたのだが、東京人を集団としてみたときに、エゴイズムをむき出しにする都会人の集まりに見えてしまうのは地方人の僻みなのか。

 滋賀県には一部「三大都市圏」に入らない地域があるのだが、私はその地域に住んでいる。とはいえ、京都・大阪・神戸、さらに名古屋に普通列車で日帰りできるところに住んでおり、これで田舎もんとは片腹痛いわ、と突っ込まれることもあり、私が中国・四国地方や東北の限界集落の実態を本当に理解できているか心許ないのではあるが、こうした中央から忍び寄る魔の手から逃れ、いかに生き延びるか、我々地方人もそれぞれの立ち位置でできることをしていかないといけないんじゃないかと思う。

ザポリージャ原発で放射能漏れ、という報道はロシアメディアによる文書改竄に基づいた記事だった可能性

 昨日、「ザポリージャ原発で放射能漏れ?」というエントリーを書いたが、ロシアのメディアによる文書改ざんであったとするウクライナ国家非常事態局のザポロージェ支局の声明をウクライナ独立通信社UNIAN紙が現地時間12月31日20時の記事として報じた。

ГСЧС: Радиационный фон на Запорожской АЭС в норме, российские медиа сфальсифицировали документы

 記事の中でオリジナルの文書と改ざんされた文書を並列して改ざん箇所を示しており、フォトショップ系の画像エディタで改ざんされたものだとしている。

 この情報の発信元のLifenewsというサイトはよく知らないのだが、WikipediaのLifenewsの項 によると政府寄りの”pro-Kremlin”な人物により運営されているようで、メディア工作の一環だったんじゃないかと。

ザポリージャ原発で放射能漏れ?

 ザポリージャ原発で許容レベルの16倍の放射能漏れ、というニュースが出ている。たとえばRTの「Radioactive leak at major Ukrainian nuclear plant – report」という記事。Lifenewsというロシアのサイトがウクライナ国家非常事態局(旧ウクライナ非常事態省)の内部文書を入手したとして、こちらで報じている。

 Lifenewsで出ている文書の赤線が引かれた部分に確かに原発のバックグラウンド放射線は4.9マイクロシーベルト/hで許容量の16.3倍高い、とある。許容量は4.9÷16.3で0.3μSv/hとして算出されている。

 この情報について、ウクライナの主要ニュースサイトをざっと見て回ったが、特に言及はなかった。ニュース検索すると概ねロシアのサイトが報じているようだ。ウクライナのサイトもロシアのサイトが報じた、として報じている場合もあったが。

 当局が隠蔽している可能性もあるが、ウクライナではメディア規制はロシアなどよりは緩めであり、このニュースを主要サイトがすべて黙殺するかなぁ、というのは、私の今現在の感想。

 ちなみに、私が信を置くウクライナ人にウクライナニュースサイトで信頼できるサイトはどこか、と聞くと、ウクラインスカ・プラウダ、しかない、とのことで、出来るだけここのサイトは見るようにしているが、ここもこの件についての言及はない。

 ザポリージャ原発公式サイトの現在のモニタリング値はこちらで参照できる。 現在、5-12μレントゲン/hで、平常値である。ちなみにあちらでは今もレントゲン表記が多いので、100で割るとおなじみのマイクロシーベルトに換算できる。(つまり、0.05-0.12μSv/h程度)

 ふと思ったのだが、単にマイクロレントゲン表記をマイクロシーベルトと勘違いした可能性はないか。5マイクロレントゲンを5マイクロシーベルトと間違って解釈したとか。

 一時的に急上昇することはありえるので、この情報がガセだと断定するにはまだ早いと思うので、続報を待ちましょう。

チェルノブイリのクリスマスツリーを人々は買うのか

 チェルカーシ州の地元テレビ局がチェルノブイリ立入禁止区域内から持ち込まれたクリスマスツリーを事前に説明した上でも人々は買うか、社会実験を実施、という記事がこちらに出ていた。

 ツリーの販売店から100mの路上でジャーナリスト扮する若者が市価の半額か1/3の価格で販売すると、プリピャチから持ち込んだツリーだと説明しても、買おうとする人はやはりいた。ただし、小さい子連れの母親は買おうとしなかったし、家に放射能を持ち込みたくないとして、買わない人も当然ながらいた

 日本でやったらどうなるか、恐らくは似たような結果になりそうな気がするがどうだろう。放射能の忌避意識がわかって興味深い結果が得られると思うのだが。日本だとクリスマスツリーは一般的ではないので、門松でやることになるか。ただ、結果は年齢層や家に子供がいるかどうかによっても変わるだろうし、もしかしたら、地域によっても変わるかもしれない。放射能汚染地域に近いほど住民の放射能リテラシーは上がる傾向があるので。

 ちなみにこのジャーナリスト氏は自ら警察を呼んだが、40分経過しても警察は現場には来なかった、とのこと。というわけで、記事はこの社会実験自体よりもこうした形で違法に販売が出来てしまうこと自体に注意喚起している。

 日本では一般商品をこういう形でゲリラ的に路上販売している現場に出くわすことはほとんどないが、ウクライナでは路上での販売はよく見かけるので、事実上チェックは追いつかず、そうした商品は実際に流通している、と現地の人が言っているのを耳にすることがある。

 福島原発事故後、流通している言説にウクライナでは出来ているのに「先進国の」日本でなぜ出来ないのか、というのがあるが、自称ウクライナ通の私としては違和感を抱かざるをえない。ウクライナでは立派な法律があっても実情は全然追いついていないので。ともかくこうした社会的状況の違いは大変大きい、ということを折に触れて言っていきたいと思っているところなのだが、なかなか伝えるのが難しい……。

 ちなみにウクライナやロシアなどの正教圏ではクリスマスは新年あけた1月7日に祝われます。なので、クリスマスツリーは「新年のツリー」と呼ばれます。12月25日は当地では特に祝われず、普通の日となっています。

赤子のいる生活

 しばらく更新をサボっていたが、久々のエントリー。

 長らく嫁さん&子どもと別居状態が続いていたが、先日二人が無事(?)家に戻り、赤子と久々に再会した。会った瞬間泣かれたらかなわんな、と思っていたのだが、マジマジと見られる程度で、泣かれはしなかった。今は遠距離でもスカイプなどでビデオ通話ができるので、忘れられることはなかったようだ(と信じたい)。

 赤子は先日、10ヶ月健診に行ってきたところで、いくつか心配な面はあるが、大きな問題なく育っているようだ。赤子のいる生活というものは、毎日が成長の証を発見する日々で、これがリア充ってやつか、と時に思わないでもないが、実際のところはそんな感慨に浸る間はほとんどなく、時と場所を選ばずに排出される糞尿の処理、寝付いたと思ったらデカい音量で鳴る行政の有線放送の時報で起きてしまったり、なぜかわからんがグズりだしたりすることへの対応に追われ、こちらの意向などお構いなしにペースが乱されまくる毎日で、なるほど、仕事で外に出てる方がよほど精神的には楽、っていうのも実感しつつあるところで。

 ただ、やはり赤子のいる生活というのは、何者にも代えがたいものがある、というのも確かなことで、自分たちがいないと確実に死んでしまうであろう存在が自分たちを頼って、泣き喚いたり、満面の笑みを浮かべてこちらにハイハイで向かってきたりする様子などを見るに、その希望の塊が親に与える影響というのは、知識としては知らないではなかったが、自分の場合、経験してみないとわからない類のものだったように思う。

 小学校の卒業文集に独身主義で行くとか書いてたぐらいなんで、子供はもちろん、結婚もするつもりはなく、40過ぎまでそういう風に生きてきたのだが、一転して、こうして妻子を養う立場になったため、特に経済面でなかなかきついものがあるのは確かで。とはいえ、ウクライナなど生活するだけでも大変な地域に一時居住し、今も過疎地で日本では不便な地域に住んでいる経験上、もはやなるようにしかならない、という良くも悪くもの居直りの境地にはいて、ずっと日本の都市圏で生活してたらこうはならなかったんだろうな、と思ったりもする。

 結婚に対するネガティブなイメージが流布され、結婚しないまま年を重ねても、社会的な圧力を受けることは以前よりは少なくなったし、かつて結婚することで得られた様々なメリットも、独り身で快適な生活が営めるようになって、かつてほどではなく、むしろ今風の感覚ではデメリットの方が多いとすら考える向きもある。そんなわけで、こういう時代にあって、あえて結婚し、子供を作って育てるのは割にあわないと思うのも仕方がない面もあろうかと思う。ただ、古来営まれてきたこうした生活をすることで得られる精神の平安がどうやらあるようだ、というのは、特に結婚する気がない人には伝えておきたいなぁ、とかつての自分に問いかける気持ちで思う。

 なんだが、久々でこういう文脈で書くつもりはなかったのだが、このままあげときます。