「育児」カテゴリーアーカイブ

子どもがもうすぐ「魔の2歳児」になる

 もうすぐうちの子どもが2歳になる。「魔の2歳児」なる言葉があるのを知ったのは子どもが1歳になった辺りだったか。2歳になる前からすでに自分の思い通りにならないと癇癪を起こして、倒れこんで泣いたりすることもあり、なるほど「泣く子と地頭には勝てぬ」とはこのことか、と思うこともよくある今日この頃。

 癇癪に毎度つきあうわけにはいかないが、いろいろと大変なので、ゆうことを聞いてしまいがちで、ちょっと甘い親になりつつあるかも、と反省するが、今の今、母親不在の状態なので、甘めでもしゃあないな、と自分にも甘くしている。

 少し前から保育園の一時保育サービスを利用している。通い始めた初日は大泣きしたが、すぐに楽しいところだと悟ったのか、二日目からは靴も脱がずに部屋に直行しようとするなど、適応しているようで、年上の子について遊んだりしているらしい。そういうところはほとんど見たことがないのだが、子供の世界に慣れつつあるのだろう。

 保育園に行くと言葉が早くなると聞くが、今のところ、発語はまだ単語に留まっている。2歳までに二語文を話す子もいるらしいが、うちはまだ名詞がほとんど。ただ、少しずつ初めてこちらが聞く言葉を言うこともあり、この前は「こうきこうき」と言うので、なんのことかと思ったら、飛行機のことだった。車を指してブーブー(ブーブーブーブーということが多い)、犬はワンワン、パトカーを見るとウーウーなどなど、見つけると発語するお決まりの言葉がいくつかあるが、飛行機は擬音では表現しにくいのだろう。あと、これは教えた記憶はないのだが、鉄道はダダンダダンで、踏切を渡る時や電車が前を横切るときは、大抵この言葉が出る。どこで覚えたのか、自分で編み出したのか。

 こちらの言うことは結構理解していて、今日は裸足で歩きまわっていたので、「靴下履くぞ~」というと、自分から靴下のある引き出しを開けて、お気に入りの靴下を出してきた。これは今までやったことがなかったので、一応、少しずつ成長はしているものと見える。うちはふすまなどの引き戸だらけで、暖房していても、開けたら開けっ放しにすることが多かったが、最近は「寒いから閉めてくれ」というと、素直に閉めてくれることが以前よりも多くなったような気がする。ニヤッとしてわざと閉めないこともあるのだが。

 食べ物関連では、以前はだいたい何でも食べてくれていたが、味の濃い野菜など、いったん口に入れても、吐き出すことを覚えてしまった。先日、保育園でもブロッコリーを吐き出してしまったらしい。ダメな場合はご飯に混ぜてごまかして何とか食べさせているが、トマトなどは単独で食べてくれる時と、全然食べてくれない時があり、この辺りはまだまだ気分次第らしい。

 今の大好物は納豆で、最初に出してしまうと、納豆を食べ切らないことには他のを食べないぐらいになっているので、食事が半ばを過ぎた辺りで出すようにして、私と「半分こ」で食べるようにしている。あまり食べたがらない時にも納豆を出すと大抵は食べ始めるので、納豆が伝家の宝刀みたいになっている。

 ヨーグルトも大好物の一つだが、保育園でヨーグルトを見せてしまうとそれを食べないことには食事を食べてくれないと言われてしまった。我慢することを教えないといけないのだろうが、この年齢で我慢させることが出来るのだろうか。他の人はどうしてるんだろう、とか思うが、パパ友とかいないので、ようわからん。保育園では稀に父親、またはおじいちゃんっぽい人が送り迎えに来ているが、ほとんどはお母さんである。基本、挨拶程度でそうした話をする機会はない。

 おもちゃ遊びは、少しずつ成長の証が見え、木製のいろんな動物を絵に合わせてはめ込む玩具があるのだが、以前はまったくそういうのが出来なかったのが、コレとコレが同じやなぁ、などとやってやると、一つ二つ程度ではあるが、出来るようになり始めた。

 シールを貼るのも楽しいようで、剥がしては貼って遊んでいる。うちの自治体ではカレンダーに貼れるごみ収集日確認用シールがあり、昨年末に配布されたのだが、今はそれで遊んでいる。私には粗大ごみシールが貼られたのだが、こういうところでは嫁さんの仕込みが効いているようで。

 トイレトレーニングは、ちょっと今、いろいろと親の側の余裕がなく、全然始められていないが、ウンチしたときなどに知らせる時があるので、そろそろ始めないと、と思いつつ。昔は0歳児からやってたらしいが、今は2歳の夏が最適、なんて話もあるようで、もう少し先でもいいかとも思ったり。

 子どもが生まれて2年近く経過し、さすがに子どもがいる生活にすっかり慣れた。子どものいない生活はもう想像できないほどになっているが、諸事情でその可能性も出てきたりして、いやはや人生思い通りにいかないものだなぁ、と。もちろん、そうならないようにしようとしているが、なかなか大変である。

 久々に育児ものを書いてみたが、余計な一言も書いてみました。

ベビーカーを折りたたまずにエスカレーターに乗ることの是非

 まだ風邪は治らず、昨晩は猛烈な寒気に襲われ、体温を測ると38.5と出た。勤めだすとこうして週末に症状が悪化することがよくあるが、社畜的気質持ってるんだろうか。。。

 先日、久々に子供と都会に行ってきて、田舎にいると気づかないが、都市部でベビーカーで動くことがこんなにも大変なのか、というのを身をもって体験してきたので、メモとして書いておきます。

 今回はただ大阪駅近辺を歩いただけなのだが、かなり重めの荷物を抱え、ベビーカー自体にも荷物をたくさん詰め込んで、という状態だったので、移動するだけで疲労困憊という状態になってしまった。日曜の昼下がりということもあってとにかく人が多く、また、通路で平気で塊になっている団体とかがいるとそれだけで通れなくなることもわかった。

 一番困ったのは店の中での階の移動だった。たった一階を移動するだけでも10分とは言わないがよほど運が良くないと数分は確実にかかる。今回は箱満杯で見送るというのを数回経験した。一人ぐらいなら乗れるスペースがあってもベビーカーは結構なスペースを専有するので、ちょっと割り込むのはきつい。

 最近の店舗にはベビーカー優先のエレベーターもあり、そちらだと心置きなく乗れるのだが、こちらも満員で乗れない、ということが何度かあった。一度、ベビーカー優先を待っていて、ベビーカー優先じゃないのが止まってしまい、そちらは満杯で乗れず、やり過ごすうちにベビーカー優先のが素通りしてしまって、さらに数分待たなくてはいけない、ってことがあって、泣きたくなった。

 多分、そうした経験を何度も経てなのだろう、ベビーカーを折りたたまずにエスカレーターにそのまま乗ってしまう人たちがいて、私も前後に人がいないタイミングを見計らって一度だけやったことがあるが、突然エスカレーターが止まっても絶対離さへんぞ、ぐらいの強度で集中していたためか、意外と普通に乗れてしまうことが実感として分かった。

 どうしてもベビーカーでエスカレーターに乗らざるを得ないときは、せめてベビーカーを折りたたんで、子供を抱っこして乗るように、ってことになっているが、やってみるとわかるが、さらに荷物があったりしたら、片手に子供を抱え、もう片方は手すりに、とすると、荷物とベビーカーはどうするの、そりゃ肩掛けベルトで右肩にベビーカー、左肩に荷物、とか不可能ではないが、手すり側に荷物は厳しく、余計に危ないんじゃないか。また、子供は0歳児はともかく1歳をすぎると10kgを超え始めるわけで、十分に重く、しかもいきなり身をのけぞったりするので怖い。

 というわけで、ベビーカーでそのままエスカレーターに乗ってはいけない、ということになってはいるし、他の人の迷惑にもなる可能性もあるだろうが、場合によっては大目に見てもいいのではないか、なんて思ったりした。でないと、ますますベビーカー族の行動範囲が狭まってしまう。もちろん、エレベーターを使えるなら、そっちを使うべきなんですけどね。

 日本では、とかく迷惑をかけないようにすることを自他に求めることが多く、逆に言えば、迷惑をかけなければ何をやってもいい、ということになりがちだ。私は最近は生きている限り、迷惑をかけるのだから、多少の迷惑には出来るだけ寛容になるようにした方が楽に生きられるんじゃないか、と思うようになってきている。そりゃ、迷惑をかけられるのは嫌だし、避ける努力をするに越したことはないのだが、あまりに迷惑をかけないことに注力しすぎるのもどうかと思う。

 なるたけベビーカー使用時の階の移動にはエレベーターを使うようにはするだろうが、場合によってはエスカレーターもありってことにならんかな。ならんだろうな、社会としては容認はせんだろう。しかし、世の中、容認はされないが、黙認される事柄はよくあって、この件もそうならんかな、と思っているのだが、どうだろうか。

 まずは受け入れられないだろうと思われる個人的見解をいうと、エスカレーター自体が中途半端な代物であって、高齢者や子供には早すぎて危険だし、車いすの人もベビーカーも乗れないって、ちょっと今の時代にふさわしくないんじゃないの? むしろ、エスカレーターだらけにするなら、エレベーターを増やして欲しい、と思うし、最近は階段がなくなりつつあるが、階段の登り降りは健康にもいいわけで階段とエレベーターだけで十分だと思っている。さらにいうと、階段近くでベビーカーを運ぼうとしている人を見かけたら、たまたまそこにいる人が手伝うのが普通の社会であるべきじゃないのか。私の知る範囲ではウクライナは実際そういう社会で、ウクライナでベビーカーで階段に行くと誰知らず、ほぼ100%の確率でベビーカーを運ぶのを手伝ってくれ、大変感動したのだった。

 最後に今回気づいたコツとしては、エレベーターも場所によっては空いているのもあって、入口近くのは混雑気味だが、奥の方のは意外と空いてることがある、ということで、箱満杯素通りになった場合、他にないか探すのが精神衛生上いいと思います。

中山間地域で実際に子育てしてて思うこと

 たまたまテレビをつけたタイミングで鳥取県知事が「中山間地域で保育料を無料に」という話をしていた。キャスターのお決まりの「財源はどないすんねん」に対し、「それが都会人特有の発想で、人数は圧倒的に少なく600万円で済む」といった話をしていた。そこしか聞いてないので、話の前後の脈絡などは知らんのだが、検索すると確かに鳥取県ではそうした事業を実施しているようだ。

中山間地域市町村保育料無償化等モデル事業

 4000万円の予算で「少子化、人口減少の危機に直面している中山間地域において、保育料の無償化・軽減による子育て支援により若者の移住定住に果敢に挑戦する市町村に対して助成する」という地方創生のための財源を使った事業を実施している。

 先頃出された子育て支援拡充の方針の中で「3世代同居」を促す措置が検討されているようだが(例えば、三世代同居に係る税制上の軽減措置の創設(内閣府 PDF) など)、うちの場合、いずれの親も近くには住んでいないため親には頼れない状況にある。

 今の状況で子育てと仕事とを両立出来ている家の多くは、何らかの形で親のサポートを受けられている家庭が多いように感じる。そして、この地でも保育環境として概ね親のサポートが前提とされている状況があるように感じている。田舎なので、少なくともいずれかの親が近くにいることが多い、という事情がある。ただし、実際に親の手を借りずに子育てしている例が私の身近にもあることはあり、その方から情報をもらったりしているものの、双方ともに今の日本でよくある就労形態(要するに正社員とパートの組み合わせなど)の場合に限り、よい保育サービスが受けられる状況があるように思える。

 中山間地域で私みたいのが子育てする場合の苦労を書いてみる。ちなみに中山間地域とは農水省のサイトの説明によると「平野の外縁部から山間地」とのことだが、滋賀県の資料では「中間地域」と「山間地域」に分けられていて、私の住む地域は山間地域の方にカテゴライズされているようだ。

 保育環境についていうと、同じ町内(合併前)に認可保育園はあるものの、そこでは一時保育の受け入れはしていない。保育園に入れるには、この田舎であっても事前にいろいろと動いておく必要があって、また、一種のポイント制でもあり、我々のような就労状態の場合、どうしてもそのポイントが低くなってしまうし、また、常時保育園に行かせたいわけでもないため、一時保育でない通常の方の保育園に入れる選択肢はなく、一時保育を希望しているのだが、その一時保育のハードルが結構高い。

 まず、遠い。車で30分とは言わないが、最寄りの保育園まで車で二十数分はかかる。それも認可外の方で認可の方だとなぜかいやがらせのように行きやすいところにはなく、もう少し時間がかかるようになっている。

 また、一時保育は16:30までということになっており、これが大きなネックとなる。私の場合、その時間だと迎えに行けないのだが、その間どうしたらいいのか。一応、「ファミリーサポート」という制度があって、16:30から仕事が終わるまでの間に、あらかじめ市の仲介で顔合わせしておいた方にお願いして保育園まで迎えに来て、その方の家で預かってもらい、仕事が終わったあとにその方の家まで引き取りに行く、ということになるのだが、これが現実的といえるのかどうか。お金も思ってたよりもかかるようで、二の足を踏んでいる。

 先日、嫁さんの具合が悪くなったが、私もその日、納期の迫った仕事の最後の仕上げ段階にあって休むわけにはいかない、ということがあって、たちまち困り果ててしまった。結局、昼過ぎまで子供の面倒を見てバトンタッチし、午後から出勤、ということにしたが、こういう場合、いったいどうしたらいいのか。急な用件の場合、こうしたサービスは期待できない(事前に申し合わせをしておく必要があるため)。祖母からよく聞いてたが、急な呼び出しで子供のいる都市部へ何度も何度も行ったことがあったようだが、昔よりも制度が整備されているはずの今も結局は、こういう場合に頼りに出来るのは親だけ、ということになっているのが現状なのだろう。

 というわけで、ベビーシッターを雇うとか、近所の方にお願いするとか、いろいろと考えたが、結論として、我々はこの地域を出ることに決めた。ここで子育てをするのは無理ゲー、というのが結論。いや、もちろん不可能ではないし、それなりにお金を払って、それなりに仕事をセーブすれば可能だ。しかし、我々はそうした生き方を選択しないことにした。

 ここを出るのは、それだけが理由ではないのだが……、大きな要素の一つであったことは間違いない。私はこの地域に思い入れをすでに持ってしまっており、なんとか住み続けることを考えたかったが、現状は厳しい。一応、とりあえずは二地域居住に近い状態を保持できればと考えているが、現実はそう甘くなく、こうした「別荘」を維持するのは大変高くつくのが実際のところだ。

 中山間地域の保育料を無料にしたところで、子育て世代が残ったり移住してきたりするのかどうか、私はわからない。でも、それぐらいやらないとこの流れは止まらないだろう。というか、それぐらいでは足らないんじゃないかとすら思う。こうした事柄は「心理戦」でもあり、誰かが出て行くと私も、という風になるのが常だ。

 さらに突っ込むと、そもそも中山間地域に人がいる必要があるのか、というところに行き着くだろうが、私は必要だと思う。それが「多様性」というものだろうし、全員が都市部に住むわけにもいかないだろう。しかし、ここに特に力を入れてもらう(要するに税金を投入してもらう)ために都市部の人たちに納得してもらえる言葉を持てるか。先の農水省サイトにある「農業の多面的機能とは?」などは一つの模範解答といえるが、なるほど、じゃあ税金ザブザブ投入しよう、とはなかなかならないだろう。

 日本からクマがいなくなっていいのか、実際に九州からクマはいなくなったが、特に困った、という声は具体的にはあがってこない。日本からオオカミがいなくなった。でも、困った、という声はあがらないし、家畜がオオカミにやられなくなって、むしろ「利便性」が上がりはしただろう。私自身も割りと「効率」重視のメンタリティなんでそういうのもわからんではないが、多分、「多様であること」に価値を置きたい気持ちが強い方なんだろうなどと考えたりする。

 こういう時、アマゾンで文明と接触しないようにされている「イゾラド(隔絶された人々)」の居住地域を管轄する方が言っていたことを思い出す。人類は多様であるべきなのだと。少し検索すると、言葉をメモってた方がいたので、引用しておきます。

「イゾラドはそれぞれの部族が一つの文化・言葉・神話を持っている。いくら小さくても、それは何千、何万の国家と同様一つの国なのだ。そうした国が滅びれば、世界は一層平準化し貧しくなっていくのだ。」
「たとえ、どれ程、私たちと異なるものであれ、それが地球上から消えるということは、私たち自身の豊かさを失うことになる。」

(こちらより引用)

 我々はすでに多くのものを絶滅させ、失ってきた。失ってたちまち困るかというと、必ずしもそうではないし、むしろ一時的には利便性が増すことだってあるだろう。しかし、多様であることは、それ以上の何者かであると私は信ずる者である。

親がいないところでは子供は遠慮しながらグズるのか

 さて、子供が朝の二度寝タイムに入ったので、育児メモを少し書いておく。

 ここのところ、平日の昼間、私は家にいないので、子供は比較的平静だったが、昨日は一日相手をしてやったところ、またベタベタに戻った。トイレに行こうとしても、泣いて引き止めることがあり、さすがにそういうのまでは対応しないのだが、泣かれたときの対応の仕方がまだよく分からない。

 何か他に楽しげなことに気を取らせると大抵はそちらに熱中し始めるので、最近は楽しみを「小出し」にして、ぐずった時はそういう小さな楽しみで気をそらせるようにしているが、小出し用のストックがなくなることもあり、対応せざるを得ない場合もあるなど、なかなか大変である。

 ついこの間、2歳ぐらいの子供を一時預かった人の経験を聞いたのだが、その子はその人にとっては甥っ子であり、よく懐いてはいるのだが、やはり親に対してのグズリ方とは違う、いくらか「遠慮した」グズリ方をしていた、とのことだった。ちょうど、うちの子供も長く両親の元を離れていたが、そういう遠慮をせざるを得なかったのかも、とも思い、しばらくは好きにぐずらせてやろうと思っている。

 もっとも、それなりに「躾」をしていく必要もあるので、少しずつ厳しいこともゆうていくことになるだろうが。

 一歳児なんてまだまだ何も分かってないだろう、と思っていたが、こちらの言うことをこちらが思っている以上に理解している可能性があるようで、あまり下手なことは言わない方がいいようだ。まだ親が理解できるような意味のある発語は10種類程度にすぎず、二語文などはまだまだ先の話だろうが、理解できる言葉はごくごく適当に言ってだが、リアクションから想像するに100はもう超えているように思う。昨日は、「これを探してきて」とその物の絵を指差しながらいってみたところ、やや戸惑いつつも探しに行ったので、ちょっと驚いたものだ。

 子育てについての掲示板などをウェブ・サーフィングしていると、いつしか我が子の自閉症や発達障害を心配する書き込みが相当数あることに気づくことになる。私自身、子供一般についてよく知らないこともあり、自分の子供がそういう気があるのかあまり関心もなかったが、あまりにそういうのが目につくので、「自閉症 特徴」などで調べるとうちの子供にもよくよく当てはまる事柄もあることに気づき、ちょっと焦った。

 もっとも、こういうのは得てして誰にでも当てはまるようなことも含めて書かれていて、血液型と性格を絡めるような言説同様、あまり気にしない方がいいだろうとすぐに思い直した。

 高齢の父親の子供はいくらかなりやすい、というようなことはあるようであるが、だからといって診断される前から取り越し苦労をしても仕方がないし、そのような診断をされたとしても、そのときから注意事項に気をつけて暮らしていけばよいわけなので、今は基本的には気にしないようにしている。

 子育ての苦労は「オムツ替え」とか「食事の世話」とかいろいろ大変だろうなぁ、と昔は多分思っていたはずだが、実際のところ、そういうのはもう日常に組み込まれていて、大して大変だとは思わない。むしろ、何度か書いてるが、情報が多すぎて判断に迷うことがよくある、ということの方が大変だったりする。かといって昨日まではOKだったことがNGになったりすることもよくある現代にあって情報を遮断するわけにもいかず、今後も情報に振り回されることになるだろうが、そういう経験をへることで、少しずつ自分たちの方針が見えてくる、という効果もあるので、ぼちぼちと情報も追える程度のゆとりを持ちつつ暮らしていきたいところだが、実際のところ、諸事情あってなかなか大変である。

先週はみっちり子供の相手をした

 先週は仕事を休んで、一人で子供の世話をすることになった。1ヶ月強、子供と会っていない期間を経て、いきなりみっちりと2人で過ごすことになり、どうなるか不安があったが、大過なく過ごすことが出来た。ただし、出迎えた時も非常に素っ気ない態度だったし、その当日中はやや距離がある感じだったが、翌日ぐらいから徐々に通常に戻っていった。

 いくつかの点で成長のあとが見られた。以前は食事などの時の場所が一定しなかったが、今回、食事の時はイスに座る、ということを覚えたようで、いつまで続くかわからないが、おやつなどもできるだけ所定の場所で食べるようにし始めた。また、人見知りを比較的しない子供であったが、人見知りをするようになった。ただ、親とその人との距離感を見定めつつ、一定時間経過すると慣れるようではあった。

 以前もいくらかあったが、大きな変化はいわゆる「抱き癖がついた」こと。昔の子育てでは抱き癖がつくので、抱っこをせがまれても抱っこすべきでないとされていたが、最近は求められれば、抱っこしてやる、ということになっている。基本的に、要求に対して無視するのは大人の場合同様、よいことではないだろうから、毎回、しっかり答えるなくてもいいので、何らかのリアクションはすべきだと思っていて、抱っこも同様にできる範囲で対応はしているが、ここ数日の抱っこ要求はちょっと度を越していて、よほど寂しい思いをさせてしまったのだろうか、とちょっと反省しているところである。

 もしかしたら、理由は別のところにあるかもしれないので、慣れてきたら、時には適度にあしらうこともしていこうとは思っているが、このあたりは様子を見ながら、ということで。

 他に、やや言葉が進んだところがあり、鉄板の絵本である「いないいないばあ」を読んでとせがまれることがよくあるのだが、この言葉に近いのを言えるようになっていた。「ないないない・・・バッ」って感じだが、これはうちの子供的には偉大な進歩で、これからもっと話し始めると面白くなりそう。

 1歳後半だが、すっかり赤ちゃんの雰囲気はなくなっていて、時々少年の表情が垣間見えることもある。これから保育園にも通わせようと思っていて、少しずつ親の知らない一面が増えていき、男親としては頼もしいと思えるが、女親的には寂しさもあるようで。

 ここ数日みっちり過ごしたこともあり、先週末は久々に3人で過ごしたのだが、男親の私の方にやたらとベタベタしてきたのが興味深かった。遊んでやるのが私の方が多いからだろう、といわれたが、これも少しずつ元に戻っていくことだろう。男女平等の世相に反するかもだが、やはり子供は女親の胎内で育ち、生まれてきて、さらに生後もその多くは母乳で育つわけで、特に乳幼児の間は女親の方が子供にとっては近い存在である、というのは実感として思うことである。

 ここのところニュースチェックもままならない日々だったが、久々に子供とどっぷり過ごし、その感想などを書いてみました。