「育児」カテゴリーアーカイブ

どうしたらカートに乗ってくれるのか 《新米パパの育児日記》

 さて、父子生活3日目に突入。母恋しやの気持ちがあるのかどうかはようわからんが、嫁さんとのビデオ通話でつながると、すぐに「ママ」というので、子どもなりに何かを思ってはいるんだろう。

 子どもがずっと便秘だったのだが、昼過ぎに排泄してくれて、子ども自身の調子も悪くない感じだったので、夕方から買い物に出かけた。買い物中、しばらくはおとなしくしていたのだが、ずっとカートに乗せられるのは苦痛らしく、途中でグズリ始めてしまい、これはあかんと抱っこするが、それも嫌らしく、とにかく歩かせろの一点張りで、どうしょうもなく、周囲の迷惑にならないよう歩かせつつ、合間に食品をカゴに放り込むという作業を続けたのだった。

 幸い、まだ売り場の間を歩くだけで満足しており、商品を手にとったりはほとんどしないのでいいのだが、そのうち、おやつ売り場でほしいものをゲットしないうちは一歩も動かんぞ、とかなりそうで怖い。

 しかし、スーパーでおとなしくカートに乗ってくれる方法は何かないものか。現状で出来る事は、手早く済ませるか、一旦店を出て、他の店に行くぐらいしか思いつかない。

 ググるとやはり同様の苦労をされてる親御さんは多いようで、絶対に乗ってくれない子どもも結構いるようだ。そういう場合、片手で抱っこしながらの買い物になりかなり大変。男の私でも二の腕の筋肉が相当に鍛えられた気になれるほどなので、女性だともっと大変だろう。今のところ、商品を触ることは少ないので、まだいいが、触りまくる子どもも多いようで、これからさらに活動的になるとすると先が思いやられる。

 昨日は走り回っていると、少し年上の子どもがあやしてくれた。その子には妹がおり、年下の子の扱いに慣れている様子が伺えた。子どもは子ども同士で視線を交わしており、そうした交流を通じて、いろんなことを学んでいくことになるのだろう。あまり自分よりも年下の子と相対することはなかったが、これから年下の子とも交流するうち、いろいろと視野が広がっていくことも期待できるかもしれない。

子どものしつけはどうしたらいいのか

 一時的に父子家庭になって2晩が過ぎた。昨晩は試しに鉄板の寝かしつけでない方法をいろいろと試したが、なかなか寝てくれずに困った。結局、こちらが先に寝てしまったようで、気がついたら、足元で寝ていたのだった。

 乳幼児は眠たくなると手足が熱くなる、という、犬の尻尾みたいな大変わかりやすい指標があり、昨晩も足が相当に熱くなっていたので、私が寝落ちするのとほぼ同時に寝たのではないかと思っているのだが。

 そういうわけで、特段「寝かしつけ」をしなくても、一応、入眠はしてくれるのであるが、寝入るまで寝室の端から端まで転がりまわる儀式が必要らしく、それにつきあうのもなかなか大変なので、だいたいはユラユラ抱っこなどして寝かしつけることが多い。子どもに睡魔が襲ってきて、コテンと寝てしまうこともあり、そういうときは寝かしつけは不要なので、楽ができる。

 乳幼児の日常の世話は概ね、食事、オムツ、ネンネだけやっておけば、最低限なんとかなる。ただ、猛烈にグズる場合があり、原因がわかればよいが、いつまでたっても泣き止まないときなどは絶望的になる。昨日も何度か執拗にグズる場面があったが、最近は原因が分かることが多いので、いくらかそういう面では楽になった。最近のグズリは概ね、物への執着の場合が多く、自分の物だと思ってるものを取り上げると、癇癪を起こしてしまうことがあり、そういうところは注意している。ただ、かといって、甘やかしすぎになってもいけないのだし、なかなかバランスが難しいところ。

 育児のイロハも知らずに育児生活に突入して戸惑うことばかりであったが、最近はようやくお互いペースがつかめてきたところがある。しかし、いくつかの点でまた試行錯誤が必要なところがあり、例えば、歯磨きなどは、どうしたらうまく出来るのか、まだよくわからない。口をゆすいだりするのはまだまだ無理かと思っているが、今、ざっとググると風呂場で見本を見せるとやるようになるのだとかで、早速今晩からでもやってみよう。

 あと、最近は自分の要望が叶えられないと、エビ反りになって床に倒れこみ両足で床を踏んで抗議の意思表明をしたりするようになったのだが、どこまで要望を聞いてやるか、毎回悩む。シチュエーションによっては、叶えるわけにはいかない場合もあり、そういう場合は悩まないが、こちらがあと数分つきやってやればよさそうな場合などは、チョットダケヨと、いうことを聞いてやってしまうことがある。基本、まだ1歳半であり、叱っても理由がわからないだろうから、何か悪さをしたら、その原因を取り除く、という対応をするようにしているが、その対応にも限界がある。例えば、うちではある机の上に子どもが乗ることを黙認してしまっているのであるが、部屋のレイアウトを変えない限り、乗るなというのは難しい状況になっている。今、ちょっとググってみたが、同様に子どもがテーブルに乗るのは普通らしく、皆さん苦労されているようだ。ただ、何度も何度も繰り返して、乗ってはいけないと教えている家庭が多いようで、うーん、これはレイアウト変更した方がいいってことだな、と反省し始めたところ。

 最近、「毒親」などという言葉が普通に流通するようになり、あまり躾を厳しくしすぎるのも問題という風潮になってきているように感じる。一方、少し前までは社会が他の子どもの躾を許容する空気があったが、最近では親がモンペの可能性があることもあって、他人の子どもを注意できる空気が急速になくなっており、親が全面的に躾を担当しなければならず、こういう精神面は一定の答えというものはないので、判断に迷うことがある。私は、自由放任で育てられ、そのまま何の疑問もなく大人になってしまったようなタイプの人にあまりよい印象を持っていないので、一定程度、親の価値観を押し付けて、反発させた方がよいと思っているが、これも程度問題で、行き過ぎはよくないだろう。

 沖縄に滞在していた時に子どもが子どもらしくしているのを見て、いつから「内地」の子どもはこうなってしまったんだろう、と思ったものだった。多分、大人の社会の規範がまだ機能している、ということなんだろう。同じことはウクライナの田舎でも感じた。大人が他の子どもを叱っている場面を何度か目撃した。蹴りを入れたりして、少々やりすぎではあったが。

 人類の進化の上で、子どもは一定のつながりのある社会の中で育てるようになっているはずで、ここ最近のように個別に親がそういう面まで負担しなくてはならない状況は相当に特異な状況なのではないか。こういうのは都市部の問題で、人間関係の濃い田舎だとまだ機能している、と思う向きもあるかもしれないが、意外と田舎でも同じようなもんだと思う。昔はよかった、と嘆いていても仕方がないし、今あるのは、様々なプロセスを経ての今であり、それなりの合理性はあるだろうから、何とか適応していくしかないのだろう。

自分的に鉄板の子どもの寝かしつけ方

 今日から嫁さんがプチ家出(?)したため、子どもと二人で過ごすことになり、先ほど寝かしつけたところ。1歳半ほどになり、まだ話は出来ないものの、こちらの言葉をどうやら理解し始めているようなのだが、母親と一日以上離れるのは久々で、こうしたブランクがどのように心身に影響するのか、やや心配ではある。一応、父子二人で過ごしてきた時間は割りと長い方だと思うので、大きな問題はないと思ってはいるが。

 「寝かしつけ」というと、絵本なんかを読みながらやるもんだと、実際に育児する前はなんとなく思っていたが、絵本なんか読むと興奮してしまう方なので、うちの子どもの場合、昔買って使ってなかったバランスチェアを出してきて、抱っこしてユラユラしながら即興で適当な子守唄などをささやくなどすると寝る確率がかなり高くなることが経験上分かっている。といっても、いつでもこのやり方で寝てくれるわけではなく、あくびをするなど、眠そうになってる瞬間を見逃さないようにするのもポイントで。あと、部屋は暗いほどいいみたい。本当はユラユラしながらこちらも本を読んだりしたいのだが、明るいとユラユラしてても、好奇心が疼きだすのか、手が届くあれやこれやを触り始めたりするので、電気はつけないようにし、さらに真っ暗に近くするとなおいいようだ。

 大人でも同じだが、眠たかったけど、寝床についても眠れなかった、なんてことはあり、どうしてもうまく寝かしつけができない場合も時々ある。翌日の予定上、なんとしても寝て欲しい、と焦れば焦るほど、寝てくれなかったりするので、そういう場合はきっぱりとあきらめて、次の睡魔の波を待つのが得策のようで。

 もちろん、夜の睡眠時の寝かしつけを成功させるには、昼の活動が重要、というのも大人同様で。昼寝を出来るだけ昼にするようにし、夕方以降は寝かせないようにすると、夜しっかり寝てくれるようだ。

 こうした事柄は育児書などにも書いてあり、いわば王道みたいなもんかもしれないが、王道の中でもそれぞれの子どもにあったやり方というのがあるはずで、うちの場合、絵本は寝る前でなく、夕食後にするようにしているし、風呂も19時までに、とか育児書に書いてあることが多いようだが、うちの事情ではちょっと難しいので、もう少しあとにしている。

 自分的にバランスチェアでユラユラは鉄板の寝かしつけ方ではあるが、もしかしたら、他にもっといいやり方があるんかもと、ユラユラしながら思うことはある。でも、人生というのは、最善の選択をすることはたいてい叶わないわけで、次善の選択でも結果オーライなら、それでええんでないかい、と思う44歳の夏なのであった。

1歳半の子どもが「世界母乳の日」に卒乳することになったが、特に変わりはなく

 諸事情あって子どもが卒乳することになり、その影響でしばらくはグズりまくられると覚悟していたのだが、案に相違して、平生とさほど変わらず、拍子抜けしている。

 最近では、WHOの推奨の影響もあって、一昔前に比べると卒乳は遅くなっているようだが、先日、母乳がネット販売されている、というニュースもあったように、日本では完母への拘りが行き過ぎている面があるようだ。

 WHOの推奨について確認しておこうとググってみたら、こちらの日本WHO協会のサイトのPDFに「8月1日から1週間は世界母乳育児週間です」とあり、たまたま今日がその日でちょっとびっくりしているところなのだが、それはさておき、このPDFの中に「WHOは生後6カ月まで完全母乳育児を行い、その後は適切な食事を補いながら2歳かそれ以上まで母乳を続けることを推奨しています」とあり、やはり、WHOが推奨していることが確認できた。

 ただし、WHOが推奨する理由はこちらのポストセブンのサイトによると、「途上国では不衛生な水などを使った粉ミルクを飲んで感染症になる赤ちゃんが多く、乳幼児死亡率が高いからです。衛生環境が整った日本には当てはまらない」ということらしく、また、こちらのユニセフのサイトによると、「2008年、医学専門誌ランセット(Lancet)は、母乳育児を受けていない子どもは、完全母乳育児で育った子どもよりも生後6ヵ月間で命を落とす割合が14倍も高いという驚異的な事実を明らかにしました」ということで、途上国では重要な意味があるようだ。

 ググってて、思い出したが、私が時々見てたサイトは例えば、「ちょっと理系な育児」というサイトで、こちらでも「母乳は免疫学的に2歳以上まで重要」というエントリーがあったように2年以上を推奨されている。とはいえ、2年以上やらないといけないということもないだろうし、衛生環境の整ったところの場合は、様々な事情を考慮して決めればよい、ということになるだろう。

 ネットのおかげでちょっとした調べ物などで助かる場面は多いが、あまりに情報が多すぎて、どの情報に依拠すればいいのか、なかなか判断がつかないこともよくある。あまり過度に情報を追いすぎず、自分の中で適度に折り合いをつけながら、時にだらしなく、時にそれなりにきちんとやる、というぐらいが精一杯ってところで。

 今日はさすがにこの山の中でもかなり暑くなり、親子ともどもへばっていたところ、子どもが自分で引き出しから海水パンツを取り出して、水遊びをせがみ始めたのにはちょっと驚いた。ほ~、こんなことができるようになったんか~、よしよし、ほな一緒に遊んでやるか、というわけで、木陰での水遊びを先ほど楽しんだところ。両方の親から受け継いだらしい(?)自己主張の激しさには参ってしまうことがあるが、こうした驚きの日々がまだまだ続いており、基本的にはしんどい育児だが、あまりネガティブな感情に陥らずになんとか続けられている。

 別のところでネガティブな感情に囚われることがよくある今日この頃なのだが、なんとか子ども相手にはこの状況をキープしたいところで。

子供が日々成長、そして、ひまわりがやっと発芽

 今朝方、いきなり通告されたのだが、今日はなぜか育児・家事の日らしく、朝のオムツ替え(珍しく寝糞をしていた)から、食事、洗濯物干し、食器洗い、などなどを経て、寝かしつけたところ。午前中はあまり寝てくれないことが多いが、今日は足が熱くなっていて、寝てくれるかな、と抱っこしてゆらゆらしてたら、あっさりと寝てくれた。

 というような感じで、ここのところ、育児と畑仕事に追われていて、いろいろとやりたいこと/やらなあかんことがたまりにたまっているのに、手が回らない状態が続いている。いずれも、まとめてやることが出来ず、しかも毎日手を抜くわけにはいかないし、こちらの事情などおかまいなしに予想外の事が次々に起こるので、特にそうした事柄は初めての場合、時間がかかるもので、なかなか他のことに時間が取れずにいる。実際のところ、手を抜きまくっているのだが、それでも一定程度の時間はかかる。つまるところ、面白いからつい時間をかけてしまう、という面があるのは認めないわけにはいかないのだが……、面白がっていられるうちが花なのかもとも思ったりする。

 子供はそろそろ1歳4ヶ月になろうとしているが、今もなお昨日まで出来なかったはずのことをあっさりとやってのけるなど、日々成長していることが分かる。おもちゃの遊び方も以前とは違った遊び方をしてたりして、お~成長しとるなぁ、と実感することがよくある。ただし、イヤイヤ期がとうに始まっていて、自己主張も誰に似たのか、相当に強いので、食事時などはいつも戦いで、いかに食べたがらないものを口に入れるかの心理戦が繰り広げられている。ダメ親なので、たいていは根負けして、食べたがるものを与え気味になってしまうのだが、少しずつ改善していこうとは思っている。

 少し前、撮りためたビデオ映像を子供の祖父祖母に見せてあげようと軽く編集していた時、食事中、常にテレビ音声が聞こえるのが気になって以来、食事中はテレビはつけないように決め、今も一応そのルールは守っている。子供番組はほとんどまだ見せていないが、先日、たまたま見せたら、食い入るように見ているので、ちょっと何かしたいときに便利なので、オプションとして利用しようか、と思ってしまったが、映像は強い影響力がありそうなので、どうしようかもう少し迷おうと思う。

 畑仕事の方は、仕事という程ではないのだが、それでもいろいろと細々とした仕事があり、普段の水やりや草取り以外に、支柱を作ったり、草だらけの畑を少しずつ元に戻そうと試みたりしているところ。

ひまわり発芽1

 ひまわりは1週間経っても一つも発芽せず、うわー、全滅かいな、と絶望的気分に一時なったが、無事発芽してきた。たいていはひまわり栽培は2,3粒ずつ蒔いて間引きするものらしいが、今年は一つずつ植えてみることに決めていて、発芽率などを自分なりに確認してみようと思っているところ。やはり、発芽してくれるとうれしいもので、この育てる感覚の楽しさが園芸家にはあるんだろうな。

 昔、「ロボット」という言葉の生みの親のカレル・チャペックの園芸についての本を読んだが、どこか書棚にまだ売られずに残っていると思うので、本棚を漁るとしよう。

 今日はこんなところで。