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プーチンのウクライナ侵攻について思うこと

 ウクライナ侵攻が始まった。大方の予想同様、私もさすがにキエフ侵攻はないだろうと思っていたが、5年近く通っていた街が攻撃を受けているのを見るに心臓のバクバクが収まらず、しばらく情報遮断せざるを得なかった。

 ちょうど東日本大震災のときも一時的にそういう状態になって、しばらく寝込んでいたときもあるが、今も最前線で命がけで対応している人々がいることを思い、寝てられんなと思ったことを思い出したりした。

 私は諸事情あって、今、ほぼ身動きが取れない状態でいるので、何か具体的なアクションを起こすことは非常に難しいのであるが、思うところあってあえてブログ更新をしてなかったのを再開してみるかと思い、記事を書いている。

 時間をかけて情報収集などできない身であるため、断片的な情報からしか書けないが、一体プーチンはなぜここまでの規模のウクライナ侵攻をするのかについて、腑に落ちる記事が見当たらなかったので、自分の考えをまとめるためにもつらつらと思うところを書いてみる(あまり読み手を意識せずに書いてますんで、正確性とか気にしてないので、参考程度でよろしくです)。

 戦争はつまるところ、ある特定個人の「あいつむかつく」が根底にある、といってた人がいて、どの戦争にも当てはまるわけではないだろうが、国のトップの孤独な政策決定者はいろいろ思ってはいても戦争を決断しない方に傾くのが常だが、稀にその感情が異常に強くなってしまい、合理的判断を超えた決定をしてしまって、戦争が始まることがある、というのは確かにありそうな話である。

 今回のプーチンのウクライナへの侵攻という決断について、NATOの東方拡大や支持率低下への対応などいろいろと説明は可能でそれは実際そうなのだろうけれど、つまるところ、ウクライナ(とその背後にいるアメリカ)憎し、という感情で動いていると説明する以外、私はちょっと理解できない。ユーロマイダンがたまたまソチ五輪の最中で発生したことでプーチンがロシアの晴れの舞台を穢したウクライナ人に対し、「お前ら絶対許さん、落とし前つけさせる」の結果が今というのはありそうな気がしている。もちろん、それだけではないだろうけれど。

 おそらく、ユーロマイダンでソチ五輪をあえて汚そうとした可能性はそういう志向の人がいなかったと思わないが多数ではなかっただろうし、ロシアというより、ヤヌコーヴィチ政権がひどすぎて、多くの人々が参加していたはずで、さらにその後のクリミア併合で流れが反ロシアへと決定的に舵が切られてしまったという印象。

 なので、侵攻翌日ぐらいにウクライナ軍兵士に投降を呼びかける声明を出していたが、正直滑稽さを感じたほどで映像にむかって声に出して「おいおい」と言ってしまったほどだ。国内向けのパフォーマンスというわけでもなさそうであるし、割と本気で圧倒的な兵力の差を目の当たりにしたウクライナ兵士が続々と投降してくる、という自分のシナリオを信じきっていたプーチンの「おもてたんとちがう」が露見してしまっていたように感じた。

 ウクライナ人は1991年のソ連崩壊から2004年のオレンジ革命を経て、2014年のユーロマイダンでヤヌコーヴィチ親露政権を自力で追い出した人たちである。プーチンはどうしても背後にちらつくアメリカに踊らされている哀れな弟ウクライナ、という思考の癖から抜け出せないようであるが、もともとスターリン時代のホロモドールの記憶が根強く残る中、さらにクリミア併合があり、ウクライナ人がロシア寄りになることはクリミア併合以降のロシアの所業を目撃した人たちが生きているうちはない、というのが私の基本的な認識で、そんな彼らがロシアに無条件降伏をすることはまずありえない。

 プーチンはネットには疎いようなので、どこかの国の宰相のようにトンデモ記事にイイネしたりはしないが、側近によると歴史書を読みふけっていたという話で、自分の「むかつく」をなんとか理論武装しようとして、荒唐無稽な論文を書いたりして、法律に通じた実務者らしくもっともらしい理由をつけて侵攻したが、さすがに今回の事態はロシア側でも支持する人は多くないだろう。

 ロシアの中には多くのウクライナ系の人たちがいて、ウクライナにも多数のロシア系の人たちがいる。ベラルーシも含め、これら三カ国が現状として民族的に分かち難い状態になっている中で、何の恨みもない自分の親類を殺戮するような行為はとても支持できるものではないはずだ。

 現実として、ロシア軍をウクライナ軍が武力で即座に撃退することは困難であるが、仮にキエフを陥落させたとして、すでに反ロシアである住民が多数を占める場所ですんなり統治ができるとはとても思えないし、キエフの規模の街の住人をごっそり入れ替えるというのも現実的に不可能、となると、このまま膠着状態が続いて、ウクライナ側はもちろんロシア側にも無駄に血が流れるだけで落とし所が見えない。

 東ウクライナの一部をモルドバの沿ドニエストルのような未承認国家状態にして、緩衝地帯を作るあたりが落とし所なんだろうとなんとなく思っていたところに今回のような事態となった。プーチンとしては、それ以上、行けるという目算があったのかもしれないが、ウクライナだけでなく、世界を敵に回してしまった。

 ついにプーチン時代の終わりの始まりが来たかのように見えるが、ロシアのような国を治めるだけの胆力のある政治家がそうそういるわけでもないだろうし、ロシア国内で政権転覆がなされるほどの動きは現実的には難しいはずで、プーチン時代がなんだかんだで続くと思っておいたいいように思う。

 膠着状態が続き、ウクライナ側の市民生活も疲弊してくるが、ロシア側兵士も士気が上がらないだろうから、ロシア国内で厭戦気分が出てくるだろうが、それをまとめあげる政治家が出てくるのかどうか。それを思うと、現在の最大の政敵のナワリヌィが収監されているうちに、というのもあったのかもしれない。

 ただ、ウクライナ側もEU・NATOに加盟するのは現状非常に難しい。現在のゼレンスキー大統領は政治の素人であるが、そのような政治の素人を求めざるを得ないほど腐敗がはびこるウクライナに対し、仲間として認めることはできないと平然と公言する国もある。

 ただし、今回の事態を受けて流れが変わる可能性はあるかもしれない。続々と主にヨーロッパ諸国から支援の声があがっており、なんだか世界が反ロシアで結束を深めつつあるようにも見える。

 ウクライナ人には怒られるかもしれないが、クリミア併合については、歴史的経緯等を踏まえると、ロシア人が支持する理由はわからなくはない。しかし、今回のようにウクライナ第二の都市であるハルキウや首都キエフまでも統治下に収めようというのは正気の沙汰でなく、ロシア人も支持しないはず。

 ん? 反ロシア包囲網の中、核ボタンを持つ人物が正気でないとすると次に何が起こるのか。人類はヒロシマ・ナガサキのあと、あるんだかないんだかよくわからん核の傘理論の元で大国間の全面戦争は回避してきたが、ついにその歴史が終わる可能性もあるということか?

 ともかく、今はウクライナに心を寄せつつ、しかし、普通のまともなロシア人が置かれた立場にも思いを馳せつつ、今私がなすべきことをしながら、事態の推移を見守りたいと思う。

オデッサのユダヤ博物館

 前回前々回のエントリーでオデッサのユダヤ系の血を引くボブ・ディランとバルバラのことを書いたので、ついでに以前訪れたことのあるオデッサのユダヤ博物館の記事を書いておきます。

 オデッサにはかつてこの辺りで最大のユダヤ人コミュニティが存在していたが、戦中戦後を経て、今はかなり少なくなっている。ただ、今でもオデッサの街の雰囲気はスラブ人以外にもギリシャ系その他、黒海周辺の系統の人々も多数居住しており、他のウクライナの街と比べるとアジア系の容姿で街を歩いていてもジロジロ見られることが少なく、港町らしい開放感がある。

 以下、当時の写真に沿って、コメントつけておきます。

ユダヤ博物館の表札
ユダヤ博物館の表札。通りから見ると非常に小さくてまず読めない。粗暴な集団避けなのだろうか。

オデッサ・ユダヤ歴史博物館の入り口
オデッサ・ユダヤ歴史博物館の入り口。鍵がかかっているので、電話等で来館の意を伝える必要がある(今もそうかは不明)。

オデッサのユダヤ人の数と割合
オデッサのユダヤ人の数と割合。数では1912年の20万人が、割合だと1920年の44.4%が最大。1939年から1959年までに半数になり、その後、さらに減り続けている。戦後についてはイスラエルへの移民によるものだと思われる。

20世紀初頭のヨーロッパ各都市のユダヤ人の人口
20世紀初頭のヨーロッパ各都市のユダヤ人の人口。多い順にオデッサ(14万人)、ワルシャワ(13万人)、ベルリン(9.4万人)、キエフ(8.1万人)、ビリニュス(6.4万人)、パリ(6万人)。

1941-1944の間の死の収容所とゲットー(ドニエストル川左岸とオデッサ、ヴィンニツアの一部)
1941-1944の間の死の収容所とゲットー(ドニエストル川左岸とオデッサ、ヴィンニツアの一部)

ユダヤ博物館展示品
ユダヤ博物館展示品。実際にかけてもらえる。

ユダヤ博物館にて記念撮影
ユダヤ博物館にて記念撮影

オデッサのシナゴーグ近くのユダヤ料理店にて
オデッサのシナゴーグ近くのユダヤ料理店にて

 (上記の情報は2014年9月時点のものです。)

ウクライナの体操選手で銀メダルを獲得したベルニャエフ選手について、また彼が言ったとされる「無駄な質問だ」についてなど

 体操の内村選手と金メダルを争ったウクライナのベルニャエフ選手のことが話題になっている。内村が最後に逆転したことで、採点に疑問を投げかけた記者がいたが、ベルニャエフ選手は「無駄な質問だ」と言い放った、とのこと。

 「無駄な質問だ」の部分の原文を探したところ、多分、この記事にあるこの部分だろう。

Что касается судейства, то если ставят оценку, она соответствует. Он получал и выше, никаких вопросов не должно быть”, — заявил Верняев журналистам

 ざっくり訳すなら、「審判については言えば、彼らの判定はいつも妥当なものであり、内村は高得点を取った、ということ。疑問の余地はない。」という感じ。「無駄な質問だ」というのは同時通訳者の言葉だが、вопросという単語には「質問」の意味と「問題」の意味があって、彼は記者の質問が無駄と言ったのではなく、単に「判定に問題はない」ということを言ったのではないかと思う。

 私は同時通訳なんてとても出来ないし、正反対のことや、大きく間違ったことを言わなければ、同時通訳の場合はそれでオッケーってところがあるので、ケチをつけるつもりはないのだが、この言葉で検索すると、かなりな反響があったみたいなので、そこまで強い言葉は言ってない、ということは言っておいたほうがいいのでないかと。

 私はそれよりも彼の出自が気になった。というのは、彼はウクライナ代表だがロシア語を話していたので、おっと思って、出身を調べてみたところ、ドネツクだった。ドネツクはロシア語話者が多い地域で、現在、紛争を経て、ドネツク人民共和国がその多くを実効支配している地域となっているところが、親ロシアの人もいれば、親ウクライナの人もいる。彼の場合、試合後のインタビューでインタビュアーのマイクがロシアのメディアのものと分かった瞬間にインタビューを拒否した、という記事が出ていることから、親ウクライナの人だということがわかる。

 また、内村への敬意は相当なもので、内村を陸上のボルトや水泳のフェルプスに例えていたが、さらに「みんな内村がどれほど練習しているか知らないだろうが、おそらく彼は人の20倍はやっている」とも言っている。

 ロシアのドーピングで揺れる今回の大会だが、ドーピングについてはこちらの記事によると、「ウクライナにはドーピングやるお金もないし、私も練習にすべてを捧げることはできない。」と、金銭的にも環境的にも不十分な中で練習をせざるを得ない状況を述べている。

 紛争で揺れるドネツク出身で、経済的にも疲弊しているウクライナ社会にあって、ここまでのパフォーマンスを見せる、というだけで、もうすげぇ、って話だと思うし、世界選手権6連覇の内村をして「次の大きな大会で彼に勝てる自信がない」と言わしめるだけの実力ある選手で、今後ウクライナに希望をもたらす選手になってほしいと思う。

 あと、「ウクライナでは不満噴出…内村に金メダル「盗まれた」/体操」などという記事が出ているが、ウクライナメディアの記事をざっと見たところ、概ね冷静なもので、彼自身が結果に満足していて、内村に敬意を抱いていることもしっかりと伝えられていることも付け加えておきます。

OSCE報告:正体不明の「第三の勢力」がウクライナ政府側、親ロ派側双方を挑発

 多分、そのうち通信社から日本語ニュース記事として出ると思いますが、一応、書いておきます。

 こちらのOSCEレポートによると、

According to both Ukrainian Armed Forces and Russian Federation Armed Forces officers at the observation point, an unidentified “third party” was provoking the two sides.

監視地点のウクライナ、ロシア双方の軍将校によると、正体不明の「第三の勢力」が両勢力を挑発

というような事態が発生しているようで、戦争状態を継続したい勢力によると思われる介入が報告されている。

 サイトでは、場所、爆発の様子・回数、武器の種類、攻撃の方向、日時などの表も同時に公表されており、たった一回の爆発音から非常に細かくまとめられている。以前に比べて治まってきてはいるものの、事態がまだまだ流動的で予断を許さない状況が依然続いていることを示している。

2015年4月15日の停戦違反(PDF表:英語)

2015年4月16日の停戦違反(PDF表:英語)

 例えば、14日19時から23時半の間の報告によると「Both incoming and outgoing (could not determine the exact number of each)」とのことで、双方からの爆撃があり、どちら側からいくつの砲弾が来たかとても数えられないような状況だったことが分かる。

 こうした状況下での第三の勢力による挑発は停戦合意を崩壊させかねず、双方の自重と共に、この「第三の勢力」が何者でどういう背景でこうした動きをしているのか、究明が待たれる。

「卓球用品送って」の送り主は実在する?

 河北新報を見てたら、「卓球用品送って」ウクライナから宮城にも という記事が出ていた。

手紙はワープロ文字の英文で、送り主はルガンスク市に住む「ミカエイル・ズゥラヴェル」と名乗るプロ卓球選手という。「紛争の影響で入手困難になった日本製の卓球ラバーを私と2人の自分の子どもに送ってほしい」と書かれ、日本の卓球用品メーカー「バタフライ」の名前と「テナジー」など計15種類のラバー名が記されていた。

 記事内に名前が出ていたので、戯れに検索してみたら、おそらく英語読み「Mikhail Zhuravel」から来ていて、ロシア語だと「Михаил Журавель」となる人物ではないかと推測し、「卓球 ルガンスク」という検索文字列を追加すると、あっさり以下のサイトがひっかかった。

http://www.al.lg.ua/index.php?ELEMENT_ID=15607

 このサイトはルガンスク州アルチェフスクという街の議会のサイトで、2015年4月10日に行われた卓球大会でこのミハイル・ジュラヴェリ氏は40歳から49歳のカテゴリーで優勝している。

 このアルチェフスクという街は2014年5月1日に親ロ派占領地域となり、今もルガンスク人民共和国が支配する領域にあるようで、激しい戦闘の舞台となったデバリツェボから30kmもないところに位置する。

 なぜ東北地方を選んだのかは不明だが、親ロ派支配地域の実在の人物である可能性があるので、連絡を取って、話だけでも聞いてみるといいのではないだろうか。