子育てについて思うこと 「親があっても子は育つ」

 我が家は私も嫁さんも他の家の子供についてよく知らないので、うちの子供がよその子供に比べてどうなんか幾分気になるものの、どこがどうだとかよく分からない。散歩してて出くわす同じ集落の人たちの言から、年齢の割に身体つきがまあまあしっかりしてるらしいことは分かるが、まだ話したりは出来ないので、どんな子なのかまだようわからん。

 親としてのささやかな願い(?)はあまりお互いに依存しすぎないようにし、時期が来たら自立出来るように育って欲しいし、こちらも可能な限りそうなるようにサポートしようと思っている。ただし、あまりに距離を取り過ぎるのもよくないだろうし、しんどい時はしんどいと弱音も吐けるようにもしておきたいところ。

 方針としては、過保護でもなく、自由放任でもないところで、親がある程度、方向性を押し付けることでそっちに向かうもよし、反発するもよし、ぐらいを考えている。

 最近思うのは、子育てはどうしても自分自身が育ってきた環境が大きく影響してしまう、ということで、私自身が5人兄弟の4番目という、現代日本ではかなり特殊な環境下で育っていて、自分の育ち方を自分の子供の子育てに適用してもいいのか悪いのか、ちょっとまだ答えは出せていない。

 一般的にはまだ1歳半程度の段階で個性がどうとか見極めるのは早過ぎるので、基本的にはしつけはせいぜい二段階程度にして、紙を破ったり、ティッシュを散らかしたりするようなのはアカンといいつつも大目に見るが、道路で車に向かって飛び出すとか、アツアツのやかんやストーブとかに手を伸ばそうとした時など本気でアカンやつは、ややきつめに言う、という程度にしている。こんなんでええのんかもようわからんが。

 しつけについて、ロシア語圏では「日本では3歳まではうるさくしつけせずに自由にさせて育てる」という神話が広がっているらしく、何度か聞かれたことがあるが、何なんだろう、あれは。「三つ子の魂百まで」がねじまがって解釈されて伝わっているのか。

 ただ、自分で実際に育ててみて、結局、それに近いことを自分がしている、という自覚がある。好奇心旺盛ということはよいことであり、その芽を摘むようなことは出来るだけしないようにしたい、というのがあり、包丁やお湯など危険なものがあるキッチンスペースや風呂・トイレ・玄関などには入れないようにしているが、それ以外は割りと自由にさせている方だと思う。

 都市部在住なら同月齢の子供がわんさかいるだろうから、うちの子が比較的どうなのか、よくよく分かってしまって、焦ったりするのかもしれないが、幸か不幸か、そういう環境になく、あまりそういう方面では心配することはない。ただ、保育園に行きはじめている同月齢の子供はすでに他の子供とのふれあいに慣れている、というのはあって、うちの子供はまだまだ子供同士でのコミュニケーションはうまくできない、ということには気づいているが、また別の日、街中のショッピングゾーンにある子供スペースで積極的に他の子供に働きかける姿勢が見られるなど、外向性があるのかないのか、その時の気分で変わるようで、まだよくわからない。一般的には3歳ぐらいまでは子供同士で遊ぶというのは出来ないとされているみたいなので、焦らなくてもいいと思っている。

 核家族化が進み、子育てが孤独な「孤育て」になってしまって、社会と切り離され孤立感を深める親は実際多いだろうと思う。保育料やベビーシッター料金を払えば何とかなるが故に、実親であっても気軽に頼りにくい空気感がある。ネットのおかげで同じ悩みを共有できる仲間を見つけることは可能だが、実際に彼らがオムツ交換などをしてくれるわけもなく、共働きの場合、どちらかが病気したり、仕事で缶詰になったりしてしまうと、もう生活破綻の瀬戸際に立つ、ということになる。もし片方が仕事で身動き取れない状態の時にもう片方が病気になったらどうなるのか。今のところ、幸いなんとか切り抜けられているが、いつそんな事態が来るとも限らず、なんだか薄氷の上での生活が続いているような実感がある。

 私は自分自身が比較的抱え込んでしまうタイプだからという理由にかこつけて、抱え込まないように予防線を張る、ということを普段からせっせとやっているような気がしているが……、歳を重ねて、自分的にちょっとこれは厚顔無恥かもなぁ、というようなことでも許容するようになったように思う。

 最近「子育ち」という言葉が用いられるようになっている。「子育て」ではなく「子育ち」。ググるとこんな文言があった。

以前、「子どもを産まないと決めた」という若い女性と話したことがあります。「子どもを育てるという重い責任をとりたくない」と彼女は言いました。

「子どもを育てる」という言葉の響きには、とても大きな責任が含まれています。もちろん子どもを育てるのは一大事業です。でも、そのことを怖れることはありません。子どもは生まれてくるもの、そして育つものです。

 私も長い間、自分自身が子育ての責任などとても背負えるような人間ではない、と子供のない人生を想定して生きてきたが、こうして子供を育てるようになった。坂口安吾はかつて「親がなくとも、子が育つ。ウソです。/親があっても、子が育つんだ」と書いた。この考え方は別に最近生まれた考え方ではないが、ようやくこうした考え方が世間一般に浸透してきているようで、よい傾向だと思う。こういう考えがもっと一般的になると、多くの人が子育てに対し過重な責任感を背負わないようになるだろう。こういうマインドに訴えるのって、意外と少子化対策でかなり重要なことなんじゃないかと思うのだが。

 実は今回は「うちの子の取説」みたいなのを書こうとしたのだが、なんだかあさっての方向に行ってしまった。次回はもっと具体的なのを書きます。