故沢野伸浩さんのこと

 先ほど、今中哲二さんの「最後」の原子力安全問題ゼミでの講演をアップロードしたところなのだが、講演の中で、故沢野伸浩さんのお名前が出ていた。今中さんは明石昇二郎さんから面白い人がいる、と紹介を受け、沢野さんが米国NNSAのデータに基づいて作成した、セシウム137の沈着量を等高線で示した地図を見て、これで外部被曝のみではあるが、飯舘村の人たちの初期被ばくの見積もりができると確信した、とのことだった。

 米国エネルギー省(DOE)の国家核安全保障局(NNSA)は福島第一原発事故直後の3月17日から福島県上空に航空機を飛ばし、放射能を実測したが、その生データが2011年10月21日に一般公開され、沢野さんはその公開の約一ヶ月後に「偶然」それを見つけ、汚染地図を作ってみたのだという。その時の様子はブログにアップされた、とのことだが、現在、そのブログは見られない。代わりにarchive.org内のこちらこちらのページを見ると、当時の様子がいくらか分かる。

 当時、沢野さんはこのデータはアメリカから日本政府に提供され、このデータに基づいて汚染マップが作成され、避難や除染に活用されているものと思ったらしいが、実際は十分に活用されているとは言いがたい状態であったことが後に分かり、飯舘村にも実際に行かれるなどして、少しずつ福島に関わるようになったようだった。

 この生データはKMZというGoogle Earthなどで使われるファイル形式であるKMLをZIPで圧縮したもの、とのことで、KMLはXMLベースであり、テキストファイルとして開くと、中身はタグや数値だらけで、それだけ見てもなんだかよくわからない文書、ということになる。例えば、Googleのドキュメント群がこちらにあるが、そこのサンプルファイルをダウンロードしてメモ帳か何かで開くと分かってもらえると思う。

 XML文書の解析は、意外と面倒で仕事で扱ったことがあるが、なかなか厄介な代物であった。仕様がしっかりしてるといいのだが、よいXMLパーサーをかますといい感じに見えるようになったりする。

 話を戻すと、エクセルやワードなど多くの人が使い慣れているファイル形式ではなく、そういうやや専門性の高いファイル形式で震災直後の混乱期に文科省の元にそのファイルが届いたようなのだが、どうもその扱い方がわからなかった可能性があり、有効活用される気配がないのでアメリカはこっそりと震災の年の秋に一般公開を始めた、という見立てがあるそうだ。

 真偽不明であるが、ありそうなことだと思う。別に文科省をDisるつもりはなく、混乱期に次から次へと降ってくる玉石混交の情報の嵐の中でこの「玉」の方の情報が見過ごされてしまったんだろうと私も思う。

 沢野さんはこの辺りを確認すべく、アメリカ大使館にまで確認に出向いたが、結局、真偽のほどはわからずじまいだった。

 ちなみに沢野さんは英語も大変堪能だったようで、スピーキングも大変お上手であることが伺われた。私は沢野さんとは一度だけ飯舘村調査の時に初期被ばく調査のための現場下見に行かれた時に同行しただけなのだが、車内での四方山話で、コンピュータにも造詣が深く、インターネットには日本では最初期に関わった人の部類に入るようだった。

 その昔、UNIX USERという雑誌があったのだが、そこに「ルート訪問記」という連載記事があったのを知る人は、今の若い人だとほとんどおらんのではないかと思う。ルートとはUNIX文化のrootという特別な全権ユーザのことで、要するにサーバ管理者という程度の意味なのだが、そのルート訪問記にも出られていた、と知って、とても驚いたのだった。こちらの「第11回 窓から見えるは星と未来と現実と」というサイトで読むことが出来る。

 ちなみに沢野さんは1997年には「ネットワーク・コンピューティング・リテラシー」という本を上梓されていた。

 GPSについての話も興味深く、今でもよく覚えている。GPSは複数のGPS衛星からなり、数が多いほど精度が増すが、現在、アメリカがこの分野でも抜きん出いていて、ロシアや中国が対抗しようとしている状態となっているようだ。こちらによると、2014年12月現在で全世界のGPS衛星の数は「アメリカが32、ロシアが24、EUが4、中国が16の合計76個」ということになるようで、日本はそもそもこの中にも入れていない状況らしい。実運用するにはGPS衛星が少なくとも4つだったか6つぐらいは必要とのことだった(うろ覚え)が、はやぶさもいいけど、こういう実用性の高い分野にも資源を振り分けたほうがいいんじゃないか、と思えたし、また、そもそもが軍事目的なので、ある地域で使えなくする、というようなことが出来るのだそうで、この話を聞いた時、日本はもう少し実力を蓄えるまで属国のままでいた方がいいのではないか、とすら思ったのを覚えている(冗談だが)。

 たまたま1週間ほど前の記事でGPS衛星でエラーが発生、複数企業で12時間ものシステムエラー発生の原因にというのがあったが、GPS(というか、GPSはアメリカのシステムの名称らしいので、より包括的にはGNSSというらしい)に依存している現代社会でこういうことが今後も頻繁に起こらないとも限らないわけで。

 ともかく、沢野さんは大変刺激的でエネルギッシュな方だったのだが、去年、亡くなられたと聞いた時は本当に信じられなかった。

 ネットで検索をかけてもあまり情報は出てこないが、近かった人ほど、書けないものなのだろう。私は沢野さんのごくごく一部分しか知らないが、とても魅力的な人がいて、重要な仕事をされた、ということを伝えておきたかったので、以上、書いた次第です。

※参考文献:本当に役に立つ「汚染地図」 (集英社新書) 沢野伸浩(著)

子どもの成長に応じて、親の心配の種類も変わっていく

 いつの間にか子どもの靴下がえらく小さくなっているのに気づき、この日曜に西松屋に行ってきた。最近、自分で靴下を履きたがるようになっているのだが、簡単ではないようで、成功した試しがない。店頭で商品を見てると、自分で履くためのトレーニング用靴下なんてのが売ってて、引っ張るところにつまむ部分があり、引っ張り上げやすくなっている。物は試しとこれを購入(季節ものなのか、めっちゃ値下げされてたってのもあるが)。

 その後、一回りして帰ろうとしたところ、おもちゃ売り場、特に車や電車のコーナーでロックオン。いつもはさりげなくどんどん進むとついてきたのだが、自我の芽生えか、自己主張が始まり、一歩も動く気配がない。あれやこれやのおもちゃに熱い視線を送っている。元々ひとつぐらいは買ってやろうと思ってたので、気に入ってそうなやつのうち安価なのをひとつ手にとってレジに進んだのだが、それでも一歩も動こうとしない。ちゃうねん、こっちがほしいねん、という感じではなく、もう少しそこで眺めていたい、という感じだったのだが、そんなにゆっくりもしてられないので、かつぎあげてレジに行こうとすると、店内全体に響きわっているんじゃないか、というような叫び声をあげて抵抗したのだった。子供用品店だから理解してもらえるが、通常の店なら虐待の誤解を受けるレベルで、ちょっと先が思いやられる。

 今日は、保育園でタンコブを作ってきた。お友達と押し合いしてじゃれてる内にちょっと背中を押されてベッドの角に打ち付けてしまった、とのこと。保育士の先生はとても恐縮されていて、こちらが恐縮するほどだったが、こういうのは子供同士のことなのでお互い様で許容するようにしないと。しかし、子どもを預かる立場というのも大変なことで。

 もう一つ、思ったのは、こちらの子どもが他の子を怪我させてしまったら、親としてどうしたらいいのか、ということ。相手の親に謝りにいかなくてはいけないのか、タンコブ程度なら許されるが、出血するほどの怪我だったらどうするか、などなど、あまり過剰に構えなくてもいいが、今後、それなりの心構えが必要で、この類の心配をこれからもずっとしていかないといけないのだ、ということに改めて気づいた。

 変なもので、うちの子が怪我をする側でよかった、とまでは思わないけど、逆じゃなくてよかった、とちょっと思ってしまったのが正直なところ。本人はそんなに痛がる様子もなく、コブもそれほど痛々しいものではなかった、というのもあるが。

 私は3,4歳ぐらいのころ、近所の子供たちと一緒に電車ごっこをしている時につまづいてしまい、コンクリートの角におでこをぶつけ、タンコブどころか、骨が見えるぐらいの怪我をして、血をポタポタと道路に落としながら、歩いて家に帰り、「血が出てもた」と親に報告したことがあって、その言い草がおかしかったのか、その後も長く兄たちにからかわれ続けたのだが、それはともかく、子どもはそうやって怪我をしながら、いろんなことを学んでいくもので、喧嘩なども度を越したやつはあかんが、そうやっていろいろと経験しながら学んでいって欲しいと思った。

男性が育休が取れないことと日本人男性が他人の子どもをあやさないことに何か関連があるのではないかと思えてきた

 この前のNスペで「ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~」というのがあった。「子育てがつらすぎる!なぜこんなに不安で孤独なの?私って、母親失格?」という母親たちの悲鳴から、「核家族化が進み、夫も多忙で不在がちな中で、母親一人がわが子に向き合う孤立した子育て=“孤育て”。その孤独感に耐えられず、「ママ友」と呼ばれる母親同士のつながりを求める日本特有の社会現象も起きています」とのことで、それに対し、様々な科学的分析をなされていた。内容は例えば、こちらのサイトなどで要約されているので、どうぞ。

 この中で特に私の興味を引いたのはチンパンジーと比較して人類は「共同養育」を基本とする、というところ。チンパンジーは出産後5年間、母親がつきっきりで子育てするが、人類は1年ごとにでも産めるようになっていて、それは共同養育のおかげなのだという。例えば、「木の実を取りに行くから、私の赤ちゃんちょっと見といてー」と仲間に預けることが可能で、子育ての負担が母親だけに集中せず分散される、とのことだった。そして、年上の子どもが小さい子の面倒を見るのも当たり前、ということだった。

 日本では今や、孤育てが当たり前になっているが、祖母によると、祖母の子供時代、尋常小学校などでは子どもが小さい子をおぶって学校に来る風景が当たり前だったらしい。さらに、戦後でも私の集落ではこうした共同養育に近い状態がしばらくは残っていたようで、お駄賃目当てではあれ、子どもが小さい子の面倒を見るのが当たり前となっていたようだ。

 こうした風習はおそらく子どもの数が少なくなるにつれ、必要性が低くなり、子どもが子どもの面倒を見る、というようなことがなくなっていったと思われる。そして、核家族化の進行とともに、子育ての時に頼りにできるのは近くに住む母親だけ(いない場合は保育園その他を駆使)、という状態になってしまったのではないかと思う。

 そんな中、「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャッチコピーのついたSAMのポスターが話題となり、父親の育児参加が促されるようになった。1999年のことだったようだ。その後、イクメンなどの言葉も生まれ、父親の育児参加が少しずつではあるが広がってきている。

 さて、ここで表題に戻ると、年末年始の子連れ海外旅行から帰国して感じたのは、日本では子どもを見てあやしてくる人が少ない、ということだった。ただし、女性は若い学生みたいな人からおばあちゃんまで時々いる。が、男性からあやされたことはほとんどなかったと思う。一度、あやしてきた人がいて、お~、と思ったが、東アジア系の外国人だった。

 これは何を意味するのか。以下、思いつきで言ってみるのだが、日本では痴漢冤罪という奇妙な事件が時々発生する。そして、そうした性犯罪者に間違われないために、男性陣はいろいろと小さな工夫をしているはずだ。満員電車に乗らないのが一番なのだが、そういうわけにもいかない場面があり、つり革を両手で持つ、とか、できるだけ混雑していないところに移動する、とかの対策、またはそれこそ「痴漢冤罪保険」をかけとくのもあり、という信じられない状況になっている。そして、これと同様に、子どもに「みだりに」話しかけることで変質者と間違えられる可能性があることも、意識的ではないかもしれないが、危惧している人も結構いるのではないだろうか。

 私は大人と一緒にいない子どもには基本的には話しかけない(話しかけられた場合や迷子とかは別だが)。しかし、大人と一緒にいる場合でも、基本的には話しかけることはない。なぜか、というと、自分でもよくわからないが、すでに「そういうもの」という社会的規範があるように感じているからだろう。これは、子どもに限らず、「知らない人にはむやみに話しかけない」という現代日本の風習が元にあるのかもしれないが。

 こうしたことは、結局、大人になる過程で他人の子どもと接する機会がほとんどないことが原因の一つではないか、と思えてきた。ほとんど子どもや赤ちゃんと接した経験がないのに、いきなり赤ちゃんの世話とか、相当に難易度が高い。また、イクメン圧力がいくらかあるとはいえ、むしろ、まだまだ社会全体に、男は子どもに関わるな、という無言の圧力があるようにも思う。デキる男が仕事のキャリアを積み上げ、昇進の機会を伺う時期に半年とか一年育児休業しまーす、なんていうと、あいつは出世レースから外れよったな、ってなるのではないか。この辺は全然実情知らんので想像。

 しかし、子育て世代にとって1年というのはかなり長い。その間にライバルが仕事をして、差をつけるなんてこともあるだろう。だからといって、育休取った場合も出世に響かないように人事評価すること、などと行政が通達を出したところで、企業側では、はいそうですか、とはならんだろう。育休取っても遅れを取らない、または、育休のうちに仕事の幅を広げられるようにする仕組みが必要で、多分、この辺りは在宅仕事、または子連れ出勤が可能となるような社会にすることである程度はそうしたギャップが緩和されるのではないか、と期待したいところなのだが。

 今の大人の多くが他人の子どもに慣れていない、ということについて、私の場合は、ずっと子どもが苦手というほどではないが、子どもに注意も関心も払うことはなく、接し方もよくわからなかった。その後、甥っ子や姪っ子と接するうちに、いろいろと子どもとのつきあい方を学んだような気がする。ただ、今でも他人の子とどう接していいか、よくわからないところがある。

 うろ覚えの記憶だが、大学だったかで、保育園の赤ちゃんや子どもの世話をするような課題があるところがあって、学生時代にそういう経験をしておくのはいいことだなと思った。一定期間子どもと接した経験があると、その後の子育てでその経験が大いに役に立つのではないかと思う。

 男性が育休取れない、という話に戻ると、話はもっと単純で、単に育休を認可する側の上司の年齢層がまだ男性の育児参加当たり前の世代ではないため、というだけの話のような気がしてて、もう少し時代が経つと一気に育休取得率は上がるんじゃないかと思ったりもする。

 あと、今、記憶を絞り出しているのだが、日本で男性が子どもをあやさない、というのは100%ではもちろんなく、今までに何度か私の子どもをあやす男性に遭遇したし、外国でも男性が気安く子どもをあやす場面は、通りすがりの人とかたまたま隣に座った人とかの場合、あやさない人の方が多かった。そして、外国でも女性の方が男性よりも他人の子どもにアクションを起こす率は高いとはいえそうだなぁ、と思い直したりしている。日本が特殊かも、という仮説で論を進めてきたが、そうでもないんかもな、とも思ったり。

 ともかくいえることは、子どもは一人で育てることは出来ない、ということで、今現在、家に嫁さんがいない状態なのだが、それをしみじみと実感しているところ。早く帰ってきてくれー、という思いでなんとかしのいでる感じだ。まあ、ここのところいろいろあって、帰ってきても○○だったりするのだが、それはともかく、子どもは早く母親に会いたいだろうし、母親も子どもに会いたいだろうし、あと少しの間、なんとかがんばるしかない。

「育休って何?」な零細自営業者が育休について思っていること

 自民 宮崎謙介氏 女性関係報道で議員辞職願提出というニュースが出ていた。

衆議院京都3区選出の自民党の宮崎謙介衆議院議員は、男性の育児参加を促したいとして、国会議員である妻の出産に合わせて、今の国会中に育児のための休暇を取る考えを示していましたが、今週発売された週刊文春で、妻の出産直前に、ほかの女性と不適切な関係を持っていたと報じられました。

(NHKニュース)

 私は零細自営業者であるが、育休などは当然なく、休んだらその分、おまんまの食い上げである。そういうのは所与の条件として、この立場を選択していて、その代わりに仕事を選ぶ自由、仕事がない期間に怯える自由などを享受している。

 ただ、自営業者の育休という問題がクローズアップされたことはよかったとは思う。この議員に同情の余地はないけど。

 こちらの記事に以下のような自民党谷垣幹事長の発言が出ている。

「自営業者には育休の制度はなく、育児休業しようと思ったら、いくらでも本人の判断でできる。基本は国会議員も同じだ」と語った。宮崎氏は国会議員の育休を定めるよう衆議院規則を見直すことを目指しているが、谷垣氏は制度化に慎重な考えを示した。

 これは正論ではあるが、日本の現実の中で育休が取れている自営業者などほとんど皆無に近いだろう。十分とはいえない育児環境でそれぞれが使える手があれば可能な限り使いながらなんとかやりくりしているのが現状だろう。そして、そうした中でどのように育児環境を改善できるかを検討し、実行していくのが政治家の役割のはずだ。一応、氏は抜かりなく「育休を取りやすい社会をつくるために運動するのは意義がある」とも述べてはいるが、及び腰であるという印象は拭えない。

 ただ、勤め人の育休取得率などみても、特に男性の取得率が1~2%ということになっていて、いくら制度を整えても、なかなか取れていない実態がある。こちらの厚労省による「事業所の育児休業取得者割合」(PDF)を見ると、業種により結構異なっていて、建設業などは男が5.19%と比較的高めだが、女性は69.6%と全事業所平均の76.3%を下回っているとか(育児休業者の実に4割が男性!)、医療・福祉はさすがに男女とも高め(男3.22%、女89.2%)とか、興味深い実態が垣間見れる。数パーセントで高めってどうなん、とは思うが。

 もう一つ、興味深いのは、事業所規模が5~29人の会社での女性の育休取得率が低く、4割は取得出来ていない実態があり(30人以上の事業所規模だと9割が取得できている)、中小企業特有の「取り難さ」があることがうかがえる。個人にかかる負担が大きく、なかなか代替が利かないためだと推察されるが、育休を取得すると職場復帰できないのではないか、と思わせる雰囲気が会社にあって、職を失う不安から育児休暇取得に踏み切れない場合もあるのではないかと思う。

 制度があるのに、取らない方がおかしい、というのは正論だが、このご時世、今の会社を去って、さらによい待遇で再就職できる見込みは少ないと多くの人が思ってしまっていて、なんとなくそうした空気に抗えないのだとしたら、本当に日本は物質的には豊かになったが、全然幸せではない社会になってしまったものだと慨嘆したくもなってくる。

 代替が利かないため、というのも、人手が足らなくて、という場合も多いだろうが、別に中小企業における社員の代替不可能性という問題もあって、ある機械や仕組みがその人でないと動かせない状態になっている、なんてことがあり、マニュアルなども作られることはなく、その結果、その人は育休を含めた長期休暇は取れない代わりに、会社の中で必要な人材という立場を守ることが出来る、という按配。これは処世術の一種だが、非生産的で非効率的であり、こういうのを許容する社風のあるところはさぞや風通しが悪いのではないかと思う。

 個人的には今の日本には雇用の流動化がもっと必要なのではないかと思っているのだが、そういう時代はよほど日本の経済状況が急激に悪化しない限りはやってこないのではないかと思わせる。今の就活には「うちでは採用しなかったが今後のご活躍をお祈りします」と最後に締められる不採用通知を意味する「お祈りメール」というのがあるが、実際、別の会社に行ったほうが間違いなく活躍できる人材が不適材不適所で燻っているという例が多いのではないだろうか。

 もっとも、こういうの根っこには「将来不安」というやつがあるわけで、特に今は「未来は今よりよくなる」という希望がまるでなく、衰退社会で生き抜いていかないといけないので、余計にしがみつく結果となっているようにも思える。

 私はビルの谷間でダンボールを敷いて寝たこともあって、まあ一人なんとか生きていくぐらいはなんとかなるやろで生きてきたが、ここに来て、育児をするという思ってもみなかった人生航路に行きつき、さすがに身を持って、育児にまつわるエトセトラに関心をもたざるを得なくなった。なんでこんな「孤育て」状態に私を含めた多くの親世代が陥いることになってしまったんだろうと常日頃から疑問なのだが、このような時代が到来するのがわかっていたのに社会システムを変更しようとしてこなかった先行世代を恨む気持ちを持ちつつも、誰かのせいにしても仕方がないので、いつもの結論だが、それぞれがそれぞれの持場でなんとかかんとかしのいでいくしかないんだろうな、と思いつつ……。

 私の場合、今行ってるところに「子連れ出勤認めて~」と契約ごとに要望を出しているが、聞き入れられる見込みはほぼない。ただ、保育園の都合で短時間勤務が認められ、今、週5日6時間労働という形で働いている。こちらの要望を100%認めてもらうことはできないが、言ってみるだけは言ってみる価値はあって、あまり恐れずに言うてみてはどうなんだろうか、と思うのだが、空気を読む技術が日本人は無駄に高いので、なかなか言い出せないものなのだろうか。

 空気を読まないようにしてたら、本当に空気が読めなくなってきたのが私なのだが、いいんだか悪いんだか。ちょっとした弊害はあるとは思うが、自分なりに気を配る注意をしていれば、なんとかなると思います(無責任モード)。

子どもがもうすぐ「魔の2歳児」になる

 もうすぐうちの子どもが2歳になる。「魔の2歳児」なる言葉があるのを知ったのは子どもが1歳になった辺りだったか。2歳になる前からすでに自分の思い通りにならないと癇癪を起こして、倒れこんで泣いたりすることもあり、なるほど「泣く子と地頭には勝てぬ」とはこのことか、と思うこともよくある今日この頃。

 癇癪に毎度つきあうわけにはいかないが、いろいろと大変なので、ゆうことを聞いてしまいがちで、ちょっと甘い親になりつつあるかも、と反省するが、今の今、母親不在の状態なので、甘めでもしゃあないな、と自分にも甘くしている。

 少し前から保育園の一時保育サービスを利用している。通い始めた初日は大泣きしたが、すぐに楽しいところだと悟ったのか、二日目からは靴も脱がずに部屋に直行しようとするなど、適応しているようで、年上の子について遊んだりしているらしい。そういうところはほとんど見たことがないのだが、子供の世界に慣れつつあるのだろう。

 保育園に行くと言葉が早くなると聞くが、今のところ、発語はまだ単語に留まっている。2歳までに二語文を話す子もいるらしいが、うちはまだ名詞がほとんど。ただ、少しずつ初めてこちらが聞く言葉を言うこともあり、この前は「こうきこうき」と言うので、なんのことかと思ったら、飛行機のことだった。車を指してブーブー(ブーブーブーブーということが多い)、犬はワンワン、パトカーを見るとウーウーなどなど、見つけると発語するお決まりの言葉がいくつかあるが、飛行機は擬音では表現しにくいのだろう。あと、これは教えた記憶はないのだが、鉄道はダダンダダンで、踏切を渡る時や電車が前を横切るときは、大抵この言葉が出る。どこで覚えたのか、自分で編み出したのか。

 こちらの言うことは結構理解していて、今日は裸足で歩きまわっていたので、「靴下履くぞ~」というと、自分から靴下のある引き出しを開けて、お気に入りの靴下を出してきた。これは今までやったことがなかったので、一応、少しずつ成長はしているものと見える。うちはふすまなどの引き戸だらけで、暖房していても、開けたら開けっ放しにすることが多かったが、最近は「寒いから閉めてくれ」というと、素直に閉めてくれることが以前よりも多くなったような気がする。ニヤッとしてわざと閉めないこともあるのだが。

 食べ物関連では、以前はだいたい何でも食べてくれていたが、味の濃い野菜など、いったん口に入れても、吐き出すことを覚えてしまった。先日、保育園でもブロッコリーを吐き出してしまったらしい。ダメな場合はご飯に混ぜてごまかして何とか食べさせているが、トマトなどは単独で食べてくれる時と、全然食べてくれない時があり、この辺りはまだまだ気分次第らしい。

 今の大好物は納豆で、最初に出してしまうと、納豆を食べ切らないことには他のを食べないぐらいになっているので、食事が半ばを過ぎた辺りで出すようにして、私と「半分こ」で食べるようにしている。あまり食べたがらない時にも納豆を出すと大抵は食べ始めるので、納豆が伝家の宝刀みたいになっている。

 ヨーグルトも大好物の一つだが、保育園でヨーグルトを見せてしまうとそれを食べないことには食事を食べてくれないと言われてしまった。我慢することを教えないといけないのだろうが、この年齢で我慢させることが出来るのだろうか。他の人はどうしてるんだろう、とか思うが、パパ友とかいないので、ようわからん。保育園では稀に父親、またはおじいちゃんっぽい人が送り迎えに来ているが、ほとんどはお母さんである。基本、挨拶程度でそうした話をする機会はない。

 おもちゃ遊びは、少しずつ成長の証が見え、木製のいろんな動物を絵に合わせてはめ込む玩具があるのだが、以前はまったくそういうのが出来なかったのが、コレとコレが同じやなぁ、などとやってやると、一つ二つ程度ではあるが、出来るようになり始めた。

 シールを貼るのも楽しいようで、剥がしては貼って遊んでいる。うちの自治体ではカレンダーに貼れるごみ収集日確認用シールがあり、昨年末に配布されたのだが、今はそれで遊んでいる。私には粗大ごみシールが貼られたのだが、こういうところでは嫁さんの仕込みが効いているようで。

 トイレトレーニングは、ちょっと今、いろいろと親の側の余裕がなく、全然始められていないが、ウンチしたときなどに知らせる時があるので、そろそろ始めないと、と思いつつ。昔は0歳児からやってたらしいが、今は2歳の夏が最適、なんて話もあるようで、もう少し先でもいいかとも思ったり。

 子どもが生まれて2年近く経過し、さすがに子どもがいる生活にすっかり慣れた。子どものいない生活はもう想像できないほどになっているが、諸事情でその可能性も出てきたりして、いやはや人生思い通りにいかないものだなぁ、と。もちろん、そうならないようにしようとしているが、なかなか大変である。

 久々に育児ものを書いてみたが、余計な一言も書いてみました。