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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

「2022年フランスにイスラーム政権誕生」という設定の小説『服従』の感想(ネタバレ多め編)

 こちらのエントリーはネタバレを含むので、結末その他を知りたくない方はネタバレ控えめのこちらをどうぞ。

 ひとまず、改行の代わりに、この「服従」という題名の元となったともいえる小説「O嬢の物語」のアフィリンクなどを放り込んでおきます。

 こちらは著者の代表作。名前は聞いたことがあるが、私は未読。

 さて、ネタバレ編です。

 この小説の主人公はイスラム教や政治について無知・無関心、という設定になっていて、序盤・中盤・終盤にそれぞれ1人ずつイスラームや現代の情勢に通じている人物を登場させており、読者はイスラームやフランスの政治状況のことをよく知らなくてもなんとか置いてけぼりにならずに済む仕掛けになっている。そのうちの一人は、小説中でフランス大統領になったイスラム教徒のベン・アッベスをフランス情報機関で十年に渡って監視してきたアラン・タヌールという人物で、彼に政治情勢などを語らせており、前大統領サルコジのUMP、現大統領のオランドの社会党に加え、ル・ペンの極右や架空の政党であるイスラーム同胞党などが織りなす複雑なフランス政治情勢の動きを読み解いてくれる。

 また別の一人は、政権交代後にサウジアラビアのオイルマネーを受け入れることになったパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学の新学長となったロベール・ルディジェという人物で、ソルボンヌ大学の教職を追われた主人公に対し、イスラム教に改宗したこの学長が改めて彼にイスラムの教えを説き、改宗することで職に戻るように説き伏せる。結果、主人公は説得を受け入れ、改宗を決意するシーンで小説は終わる。

 正直言って、彼が改宗を決意する理由がちょっと弱い気がするが、孤独を紛らわすには家族しかない、また、以前の教職に戻れるということが後押しした、というようにも読める。また、主人公が一夫多妻に惹かれたようにも書かれている。

 情報機関出身という設定の人物が語る情勢分析は結構興味深い。ざっくり言ってしまうと、既存の中道右派でも中道左派でもなく、さらに極右でもない選択肢が求められていて、さらに今もフランスで隠然たる影響力のあるカトリックを基盤に持つ人々に対し、穏健イスラームは歓迎される、というもので、カトリック信者は啓典の民として恩恵を受けることになる、ということになっている。

 こんな一文がある。

イスラーム教徒の真の敵、彼らが何より怖れ憎んでいるのはカトリックではなく、世俗主義、政教分離、無神論者たちの物質主義です。かれらにとっては、カトリック教徒は信者であり、カトリックは啓典の宗教の一つです。そこから一歩進ませればイスラーム改宗も可能でしょう。

 対して、同じ啓典の民のユダヤ人について、その大統領は、ユダヤ人のイスラエル移住を期待している、としている。主人公の最後の恋人はユダヤ人だが、この情勢で父母と共に家族でイスラエルに移住している。

 新学長による小部数の雑誌に書かれた「ジャーナリストによって発掘されたら、ずいぶんと厄介な目に遭うだろう」という記事中で「自由な個人主義という思想は、祖国や、同業組合、カーストといった中間的構造の解体に留まっている限りは多くの同意を得られるが、家庭、すなわち人口構造、という究極の構造を変容しようとした場合には、失敗する。そこで、論理的に、イスラームの時代が来る」という主旨のことを述べ、インドや中国については「自分たちの伝統的な文明を保持していれば、彼らは、将来にわたって一神教とは異質であり、したがってイスラームの台頭から逃れられただろう。しかし、インドや中国は西欧の価値観に犯され、彼らもまた終わるべきものになった。」としている。

 少々、イスラーム政権誕生に引き寄せて、筋立てが強引かなと思えるところがあるもの、一笑に付すべきお伽話とも見えないようにみえるのだが、フランス政治に通じた人たちにこの本がどのように受け取られたのか興味がある。

 実際のところ、2022年はもちろん、それ以降も当面の間、フランスにイスラーム政権が誕生する可能性はないと思うが、小説内で以下のように述べている。

『信じがたい』という理由故に困難に直面するのです。というのも、そうした状況を、人々はヒトラーからのパリ解放以来経験していないからです。この国の政治的駆け引きは、余りのも長い間、右と左の対立のみを軸にしていました。その図式から抜け出るのは不可能ではないでしょうか。

 本筋とは関係ないが、フランスの中道左派の社会党の立ち位置がどんななのか、以前より気になっていたが、この小説でもほとんど有効な手を打てないまま、事態がどんどん進行していくのを追認するだけ、というような立ち回りを演じる羽目に陥っている。現実の方も、どうもオランド大統領というのはどうも影の薄い人物だと思っていたが、トッドの本でもこの本でも情け容赦なく無能扱いされており、今回のテロを受けて、どのような策が打てるのか、そういう意見を聞くとあまり期待できないようにも見える。

 全般として、著者の言はイスラームに対し、やや否定的ニュアンスがあるように見えるし、登場人物の一人に「そろそろキリスト教とイスラム教は和解すべきときに来ているのではないか」という主旨のことを言わせているが、十字軍からの1000年の恨みつらみの積み重ねが厳然と存在しており、現実的にはやはり事は簡単ではないと思わざるをえない。

 恐らく、ネットを検索したりすれば、すでにいくつもの論評は読めるのだろうが、まずはそうしたことに影響される前に自分で感じたことを書いておこうということで書いてみた。まだ佐藤優の解説も読んでないわけであるが。

 余裕があれば、そうした論評を読んだあと、もう一つエントリーが書けるといいのだが、気が向いたら、ということで。

「2022年フランスにイスラーム政権誕生」という設定の小説『服従』の感想(ネタバレ控えめ編)

 少し前から『服従』を読み始めていて、あと四分の一ほどで読了というところで、パリでの同時多発テロが発生したのだった。この小説内でも「フランス全土で二十数か所の投票所が午後早く武装集団に襲撃された」(p129)というシーンがあり、現実と小説が私の中で交錯している。

 この小説はフランスがイスラム化する様子を描いた作品、とのことで、近所の本屋にあったので、買ってみたのだった。本の帯には「2022年フランスにイスラーム政権誕生」とあり、中道右派と中道左派の間で揺れ動いてきたフランスにあって、政治的間隙をうまくついて、イスラム教徒である人物が大統領の座を勝ち取る様子が描かれている。

 とはいっても、この本を少し読めば分かるように、主人公の大学の教員としてのとりとめのない日常が主軸になっており、この辺りをそれなりにでも興味深く読めるかどうかが、この小説を最後まで読み通せるかどうかのポイントかもしれない。主人公はユイスマンスの専門家という設定なのだが、私はこの作家(?)についてほとんど知識はなく、また大学の教員の日常にもあまり関心もないため、途中読み進むのがしんどくなりそうだったが、日本でも大学の先生というのは雑用がやたらに多いと聞いていて、フランスでも日本と大きく事情は変わらんのだな、と思ったりしたし、家族がバラバラになっているフランスの現状はフランス的にはごくごく当然の帰結でそれをフランス人たちは積極的に受容していて、様々なパートナーと営む人生を楽しんでいるものと思っていたが、必ずしも皆が皆そういうわけでもなさそうだ、と思えるようになったのも、小説ならではの力といえるだろうか。

 家族、という観点はこの小説では重要なポイントになっていて、40台半ばという独身の主人公の年齢も話の流れにいくらか影響していると思う。

 現代フランス小説などほぼ読むことはないのだが、先日はエマニュエル・トッドというフランス人の本を読んだところであり、あちらはドイツとの関連であったが、こちらはイスラムとの関連が主軸に置かれており、フランスの置かれている現状の多面性を多少は理解したつもりになれた。

 作中、わりとよくフランス人ならよく知ってそうだが国際的には知られてなさそうな固有名詞(テレビ司会者その他)が出てくるが、ページ内に脚注があるおかげで、その固有名詞をもって何をいいたいのか、だいたいはつかめたかと思う。

 この前、トッドの本について書いたエントリー「今更ながら、ドイツと日本の類似性に関心が出てきたところ」でも触れたが、フランスは「家父長制」の名残のあるドイツとは違い、「結婚適齢期に達した子供は自律的な家族ユニットを築くのが当然とされた」とのことで、こうした家族の有り様はそう簡単に変わるものではないだろうが、カトリックの国らしからぬフランスにあって、社会情勢への不安などから宗教への回帰が始まり、「いざという時に頼れるのは家族だけ」というように、あの自由・平等の国フランスで家族の有り様が今後、変容していくのかどうか。もちろん、ことはそう単純ではないだろうが、キリスト教をバックボーンとして生まれた今の西欧的価値観の限界が見えつつある今、フランスがこれからどんな方向に進むのか、ドイツとはまた違った形だが、ヨーロッパの中心で何かが起こりつつあることを感じさせる。

(ネタバレ多め編につづく)

うちの集落の葬儀事情

 今年、私は集落内の組親を担当していて、実質、仕事としては配り物を配布することと回覧板を回すことぐらいなのだが、今週、組の中で2人が亡くなり、2度の葬儀を営む、という、このごく小さな集落としては異例の事態となっている。

 数年前に祖母が死んだ時、私が葬儀の喪主を担当したのだが、都市部住まいの実の子に当たる方々の強い要望もあり、葬儀場で執り行った。当地では葬儀は家でするのが通例であるが、家をほぼ完全に解放することになり、普段からそういう心積もりをしておかないとなかなか出来るものではない。

 ここら辺りではそういうこともあって、家の仏壇のある部屋とその続きの部屋にはほとんど何も置かずにきれいにしている家が多い。私はあまりそういうのが得意ではないので、家は絶えずごちゃごちゃとしている。

 私は法事には基本的には出席しないが、葬儀については、諸事情を鑑みて、手伝ったりするようにしている。葬儀では多くの雑用が発生するため、私のような役立たずでもいないよりはいた方がマシだったりするので、その場にいて、何か運んだり、木を切ったりとかの雑用をしている。

 今回、喪主の意向をお聞きして、一件はうちの今の事情を考慮して手伝いは免除させてもらったが、もう一件は手伝いすることになり、受付を担当するなどしている。

 今回、葬儀業者の方で墓標が準備できず、急遽、家の雪囲いに使っているヒノキの角材を墓標にする、という荒技で乗り切ることになったのだが、たまたま喪主がかつて大工修業をしていて、昔はこの地区で葬儀が出たら墓標を作っていた、とのことで慣れた手つきのカンナさばきで雪囲いの柱が墓標に生まれ変わったのだった。

 ここ数年の葬儀はだいたい秋から冬にかけての季節に執り行われていることに気づいた。祖母もこの季節に体調を崩し、12月に亡くなっている。どの季節の変わり目も身体の弱った人には大変だが、特にこの寒くなる季節がもっとも身体に堪えるのだろう。十分に栄養や休息を取って、この難しい時期を乗り切ってほしいと願うところであります。

TPP雑感 ~特に農業分野のコメついて~

 TPP大筋合意、というニュースを受け、ネット上では主に著作権に関わる点に関心が集まっていたようだが、私が気になる点は農業分野だ。

 総論として言えば、往時の勢いはないものの、まだまだ当面、貿易立国として生きていかざるを得ない日本としては、TPPのような協定は世界の大勢として受け入れざるをえないだろう。そして、衰退局面に入っており、変わるべきは変わる必要のある今の日本にあって、既得権益にしがみつく一定の層を崩すには、歴史的に見て「ガイアツ」ぐらいしかなく、様々な分野で制度疲労を起こしている日本に対し、そうしたシステムを否応なく更新させるというプラスの面をもたらす面はあるだろう。

 ただ、TPPの参加国で強い影響力を持つ国がアメリカをはじめとするアングロ・サクソン系の国であるところに一抹の危惧があり、グローバル・スタンダードの名のもとに彼らに有利なルールで物事が決められていき、さらに衰退を加速させることにつながらないか、という心配を多くの人が感じているのではないかと思う。

 農業分野に関しては「価格の安い輸入食品が入ってきて、家計が助かる」といった一般消費者目線でのインタビューが盛んに報道されているが、農村のリアリティを知らない都市部の住民的感覚としてそうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。コメ農家などが過剰に保護されており、市場経済の波に晒されるべきだ、と感じている都市住民も一定数いるだろうから、今回のアメリカとオーストラリアのコメの受入については、「国内で主食として消費される量の1%の量」程度となっていて、農業関係者以外はあまり警戒していないようにも思う。

 「カリフォルニア米の衝撃 5キロで650円」という記事が出ていたが、安全性が保証されているのであれば、多少味が落ちても購入する、という層(残念ながら現状懐に余裕のない私もその一味である……)には歓迎されるだろう。実際、私はウクライナでよくエジプト米を購入していたが、普通に「ご飯」の味であり、よく食べていたものだ。

 しかし、食糧安全保障ということも考慮に入れておかないといけない。特に主食となる穀物については、いざという時のために、その技術も含めて確実に受け継いでいかないといけない。

 個人的なことをいえば、祖母から受け継いだ田はあるが、私は稲作の技術は持っていないため、近所の方に作ってもらっている。田植えなどで手伝い程度のことをしたことはあるのだが、自分で一からすべてやるには、機械も揃えないといけないし、いろいろと手間ひまかけて世話してやらないといけないわけで、私には今現在、その余裕が金銭的にも時間的にもない。機械は貸してもらうことは不可能ではないが、現実的には機械というのは痛めたりすることもあるので借りる方も貸す方も気を遣うものでなかなか簡単ではない。

 私の周囲を見ると、まだかろうじて団塊世代ぐらいの人たちが作れているが、その下の世代ぐらいからかなり危ういのではないか、と感じている。農業は一年やそこらで立派に収穫なんてことはまず不可能であり、天候不順で不作なんてこともプロの農家でもあるわけで、要所要所で的確に判断して様々なことを実行しないといけないなど、毎年条件が変化し、私の見るところ、かなりハードルの高い事業だと思う。

 また、農業の多面的価値ということも考え合わせる必要がある。20代までどちらかという都市住民寄りであった私としては、都市住民に理解してもらうのは難しい面があると思っているが、水田が担う様々な機能、例えば、潅水機能や景観などは失ってみて初めてわかる類のものではないかと感じる。

 稲作は特に古来より日本各地で連綿と受け継がれてきたもので、この歴史の重みを今の都市住民にどう理解してもらうか。連作障害もない優秀な食物で日本の気候に合っていて、日本人の多くはよくも悪くも主食=米という前提で身体が出来上がっているんじゃないか、などとも妄想することがある。実際、小麦アレルギーは時折耳にするが、米アレルギーは比較的少ないようであるし。

 ちょっと前から「コメをやめる勇気」という本を読んでいる。まだ途中であるが、この日経記者の書いていることも特に経済面から見れば、どれももっともな話で、日本各地で意欲ある農家による「コメからの離脱」の動きがあり、それはそれでよく理解できるし、こういう動きは私も賛成だ。

 私の地域でいえば、今は稲作メインだが、その昔は生糸生産のために蚕を買っていて、桑畑が広がっていたと古老から聞いたことがある。実際、今もその名残の蚕のための木枠なんかが捨てられずに残ってたりする。

 そういうわけで、特にコメだけを聖域化することに躊躇はあるが、広大な面積で日本でよりも遥かに効率的に作ることの出来る、安くてうまいカルフォルニア米などが日本市場を席巻し、日本の稲作農家が特に価格面で太刀打ちできなくなり、廃業していき、その稲作の技術も廃れていく、ということにつながるのではないか、と危惧している。例えば、大豆の自給率は現在6%となっているが、こういう状況になってしまうのではないか。

 ちなみに農水省の大豆のまめ知識によると、「明治32年以降大豆には関税がかけられていました(中略)昭和36年の輸入自由化の際の関税は1kgにつき4.8円(従価13%相当)でしたが、その後ケネディラウンドを経て昭和47年までに0円に引き下げられました」とあり、コメも今は1%でもこれからどんどん拡大していくのではないか。

 コメ農家が日本からいなくなっても困らない、と言われたら、もうそこで話は終わってしまいそうであるが、稲作が日本で今後大規模に縮小していく、という事態に陥った時の悪影響がどれほどのものになるのか、私はちょっと想像できない。水害が今以上に多発するのか、アレルギー疾患が増えるのか、ただ単に耕作放棄地だけが増えていくのか。

 先日、「課題先進地域」とも言われる中国地方の山間部の過疎地域に行ってきたが、まだ耕作放棄地があちこちにある、ということにはなっていなかったように思う。しかし、そういう事態はどうも確実にやってきそうであり、日本各地をコンパクトシティ化するなどしてそれでよしとするのか、そういう方向性に抗うのか、各自の生き方が問われているように思う今日この頃……。

 などなど、えらそうに言ってる私であるが、諸事情で今後、都市部に移住する可能性が高まっており、どのように都市と地方を橋渡しできるか、自分自身のこれからの課題としたいと思っている。

 中国地方の現状については、「農山村は消滅しない (岩波新書)」という本が参考になった。

ひまわりの種の収穫した時の写真をいくつか

 ひまわりの種を収穫したときの写真をアップしておきます。

ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る1
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る1
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る2
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る2
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る3
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る3

 焼き網を使うと楽に取れるとのことで試すと実際簡単に取れたので、この方法で取りました。どうしても屑や小片も入ってしまうが、これはどんなやり方をしても入ってしまうでしょうから、仕方ないものとあきらめるしかないようで。

屑や小片を扇風機で吹き飛ばそうとするがうまくいかなかった
屑や小片を扇風機で吹き飛ばそうとするがうまくいかなかった

 一概に種といっても実のないスカスカのもあって、概して小さいのはそうしたのが多かった。今回の経験では、ビニポットで発芽させたときに発育が悪かったやつも最終的には大きく育ったのもあり、やはり生育環境の重要性を認識させられた。今回、ちょっと株間の間隔が小さすぎたため、小ぶりに育ったのが多かった、という反省があるので、もし来年もやるようなら、もう少し株間を広く取って、日光がどの株にも当たるように配慮して、植えたいところ。

 今回はビニポットで育ててからにしたが、一部は直播きした。それらの多くもちゃんと育ったので、次回はほとんど直播きにしてみようと思う。ただ、どうしても発芽しなかったりするのがあるだろうから、別途ビニポットでもいくつか育てておいて、そこにそれを植えていけばいいのではないか、などと考えている。

 小さいのは種が取れない可能性があるので育てても無駄かもしれんが、別に生業としてやるわけではないので、こんなやり方でよいのではないか、などと思ったり。

 来年もできるとは限らないが、一応、やる方向で検討しております。

収穫したひまわりの種
収穫したひまわりの種