Yoshiro のすべての投稿

1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

スマホの日本語入力はフリックかGodanか、それとも……

 スマホが私の日常生活に忍び込んできてまだ1年にもならないが、どの日本語入力方式を主に使うか、まだ迷っている状態。最初はフリック入力を使っていたが、途中でGoogleのGodan入力を試用してみて、しばらくはGodanの方をずっと使ってきた。

 フリック入力は以前の携帯での入力に比べると一発でかなが入力できる優れた入力方式で考えた人すごいと思うが、個人的に好きでないところとして、あ行だけが特別に入力しやすい、という点がある。短い文章を打つことが多いスマホでは、入力に手間がかかる記号などはめんどくさいので、使用頻度が下がりがちになるのだが、あ行の方が入力しやすい、ということで、特にあ行の入力を優先することはないのではあるが、自分の中での違和感を拭い去ることができなかった。その点、Godan入力はそういうことはなく、どの音も平等に打ちやすい。

 しかし、私の癖なのだろうけど、お行だけはどうしても打ち損じが高い頻度で発生してしまい、よく間違える。一番左下にあり、触りにくいからだろう。私はGodan入力を使っているうちに、両手打ちに慣れてしまったのでGodan入力の方が打ちやすくなってしまったのだが、これはローマ字入力のようなもので、子音ありの音は二回押さなくてならず、この点はフリック入力に軍配が上がる、ということになるだろう。

 実はこの文章もスマホの画面を見ながら打っているのであるが、いろいろ考えた末、折りたたみ式の携帯キーボードを買って、まとまった文章を入力するときはこのキーボードを使うことにしたのだった。今のところ、不満はない。ただ、記号の配列が私がよく使うのと違っているため、位置が覚えられずにいるが。。。

 ATOKという選択肢もあるようだが、私はATOKの言葉狩りの姿勢が好きになれないので、これは試用もしていない。他にもいろいろと独自のものがあるようなので、機会があれば試用してみようと思う。

ブログについて

 結局、3月に入っても忙しい日々が続いていて、今週も平日休みが取れなさそうで、諸々条件的には不利だが、自由を得るために正社員にならずにいるのに全然メリットを享受できずにいる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今回も特に情報はないですが、時々、ブログについて何か書きたくなる病にかかっているので、うだうだと書いてみます。

 ウェブの記事などで、日常でちょっと面白い体験をしたら、SNSに投稿する、という流れになっていて、様々な交流も生まれてそれはそれで楽しいのだが、そろそろやめようかな、という人の話を見かけることがある。つまり、体験自体がサブになり投稿がメインになってしまうような本末転倒ぶりに対し、自制が働くということなんだろう。

 自分の場合、投稿が日常生活を侵食するような事態になることは311直後を除くとほとんどなかったので、そういうのはいらぬ心配なのだが、どちらかというと、もっといろいろ投稿したいのに出来ないでいるもどかしさみたいなのはある。

 こうして文章を綴るのは嫌いな方ではないのだが、いかんせん、なかなか時間が取れないし、そもそもそういう自分の諸々を公開することにどれほどの意味があるのか、とつい思ってしまい、筆不精気味になっていく、という負のスパイラルに陥りつつあり。

 私自身、割りとお役立ち情報系に弱く、ライフハック的なのが好みなので、そういうのを発信していけるといいのだろうけど、なかなかネタを思いついても、記事にするほどでなかったり、めんどくさかったりで、結局やらない、ってパターンになりがちで。

 特に得るものもないブログ記事を公開しても、何かの拍子に来てしまった人に申し訳ないという気にかられるわけだが、これも自分に言い聞かせるように言うのだが、いずれにしても、こうした発信は続けていく予定であるし、今のところ、大した情報も鮮度もないのが多いが、自分としては今後いろんな持ちネタを書いていくにあたって、文体練習とでもいうか、よい訓練になっているし、やはり公開することを前提で文章を書くのは精神衛生上良い、というのが今のところの結論だ。

 というわけで、読まされる方はたまったものではないかもしれませんけど、適当に気になる記事などがあれば、読んでいただければ、幸いです。

もうすぐ一歳

 うちの赤子がもうすぐ一歳になるのだが、ふと、「赤ちゃん」という言葉は何歳何ヶ月まで使えるのかと思って、考えてみた。やはり、赤いから赤ちゃんというわけなので、赤みがなくなってきたら赤ちゃんじゃなくなってきた、ということではないか、とまずは考えたものの、新生児のうちから赤みなどなくなっているわけで、よくわからんなー、というところまで考えてから、何でもすぐにググる悪い癖を発揮して、調べてみた。ざっと見たうちで、赤ちゃん=乳児とすると、乳児とは「児童福祉法第4条および母子保健法第6条の定義では生後1年未満の者」とされているので、だいたい1歳ぐらいが目安ではないか、という意見があった。

 乳児が法律用語では生後1年未満の子のことを指すとは知らなかったが、今、プロフィールに「乳児育児中」などと書いているので、書きなおしておかないといけない、などとどうでもいいことを思いつつ、そういえば、ほっぺたが赤くなることはよくあって、大人でも赤くなりやすい人はいるが、赤ちゃんは皮膚が大人よりは薄いので赤くなりやすい、などという記載もあった(真偽は知らんが)。

 ただ、確かに生まれてすぐはかなり赤いので、そのイメージで赤ちゃんとざっくりいうことになっていると理解しておけばよいのではないか、とここでは安直に結論しておく。

 というわけで、一年過ぎても赤ちゃんと言っても全然構わないのだが、そろそろ初めての誕生日が近づいてきたこともあり、我が家では「もうすぐ赤ちゃん卒業だね~」などという会話がちらほらとなされるようになってきた。

 この怒涛の一年を振り返ってみると、子供の成長速度には緩急があり、ぐんぐん成長する時とやや停滞する時があるように思ったのだが、実際のところはどうなんだろう。

 うちの子は比較的向こう見ず系らしく、机の下をくぐろうとして服が突起部にひっかかってにっちもさっちもいかなくなって泣くことが数回はあったが、懲りずに今も時々くぐっているし、寝返りも、怖がる子も多いらしいが、どんどん挑戦し、何度かのトライアルであっさりとやってしまった。しかし、なぜかハイハイに至るまではやや時間があったように思う。いくらかふくよか系ではあるので、身体が重めで、ハイハイする筋力がなかったのかなと思っている。そういえば、ハイハイまでは「飛行機ブーン」と呼ばれる身体を反り返らせるポーズをしょっちゅうしていたが、あれは一種の筋トレだったのかもしれない。

 その後、ちょっと前にどこにもつかまらずに立てるようになり、これは歩けるようになるのも時間の問題だ、と思う間もなく、あっという間に家中を歩けるようになってしまって、行動範囲が広くなり、諸々準備が追いつかない状態が続いている。

 この一年、鼻風邪や胃腸風邪が長引いたりする程度であまり病気らしい病気はしなかったが、それでも病気や怪我をしないか心配の種は尽きない。しかし、あまりケアしすぎてもいかんのだろうなとも思うし、この辺りの按配は各家庭でいろいろなんだろう。特になんでも口に入れてしまうのには閉口してしまうが、子供はこの時期に様々な細菌を取り込んでいるので大目に見ていい説を私は割りと信じていて(ウクライナのある先生も同じことをゆうてたので、この説は国際的常識だったりするんかも)、あんまりひどいのは口から取り出すが、過干渉にならないように気をつけている。少々大げさかもしれないが、判断基準は「人類の歴史」で、過去の人類がやってきたようにやってれば大概大丈夫だろう、ぐらいの気持ちでやっている。もちろん、過去の歴史上には拡散されてなかった放射能のことや様々な人工化学物質のことは念頭に置いておかないといかんとは思っているが、人類のうちの多くはそれなりにそれらと共存できるのではないかと根拠なく思いつつ過ごしている今日この頃である(というか、そうとでも思わないと、あるいは、そう思っていることにしておかないと現代社会は生きていけんのかもしれない)。

 ワクチンについては、定期接種のはひと通り接種しているが、任意のロタウイルスのワクチンをどうするか、非常に悩んだが、うちではやらないことにした。定期接種になっていない、ということそれ自体が大きな理由であるが、まあまあ高価であることも決め手だったかと思う。B型肝炎は任意だが諸事情考え、一応やっておいた。

 生後ずっとあまりグズることはなかったのだが、最近、グズることがよくあり、それに応じて、こちらもイライラすることも多くなってきた。とにかく自分のペースで生活できにくくなるのが、育児の大変なところ。もっとも、無駄に年をとってからの子であったことが多分幸いし、精神的にはさほど苦ではない。正直、育児を義務的に捉える面が自分にはあったが、今はもうなるようにしかならんと観念しているし、あまり取り越し苦労をしないようにして、これからも適度に心配性で、適度に無責任でやっていこうかと思ったりしている。

ウクライナ動乱から1年が経過

 ウクライナ動乱から1年が経過した。イスラム国のこともあって、停戦合意や合意崩壊危機のニュースも、NHK7時のニュースなどでトップニュースにはなるものの、日本国内での関心は低下してきているように思う。

 もちろん、こうも愉快でないニュースばかりが伝えられ、いい加減、食傷気味になるのも仕方のないところで、おそらく、イスラム国のことも多くはもうたくさん、ってところではないかと思う。

 いずれも日本から遠い場所での出来事であり、自分の生活範囲内と関係があるとは思えないため、そうした反応になるのも仕方のないところだろう。私も含めた話だが、日々の生活に追われていると、新奇な出来事を受け入れるキャパというものがあるようで、それを超えるともう入らないらしいのだ。

 そうはいっても、である。もはや、いずれの国・地域も鎖国する時代ではなく、遠くの国・地域の出来事がすぐに自分の周囲に影響する可能性がある時代である。特にインターネットの恩恵で(これは功罪あるが功が大きいと考える)遠くの出来事でもその気になれば、いくらも情報を得ることができる時代であり、一時的に低下してでも、関心を持続する、ということが大切なのだと改めて思っている。

 私のツイッター・アカウントはほとんどウクライナ・ニュース・ボットと化している有り様だが、関心を持続するためにやっている面があり、フォロワー数はぐいぐいと減る一方だが、懲りずに続けている。一応、他にも関心分野は多くあるが、なかなか仕事メインで生活してると時間が取れず、さらに育児にも結構時間を取られるので、ちょっと当面は余裕のない生活が続きそうで。

 ウクライナ情勢については、私はウクライナ人には怒られるかもしれないが、軍事力の差は歴然としており、さらに領土を削られる危険があることを承知しつつも、とにかく、一般人が無為に殺されている現状はどう考えてもまずいので、現状で停戦として欲しいと切に願う。

 あまりきな臭いことは言いたくはないが、「臥薪嘗胆」という言葉があり、この言葉は日本がロシアを含む国から三国干渉を受けた時にスローガンとなった言葉だ。ウクライナの人たちは腸が煮えくり返る気持ちでいるだろうが、今はどうか耐え忍んでほしいと思う。

 一応、言っておくと、一方でロシアだけを悪者にするのも私はどうかと思う。一部で言われているように、中途半端にちょっかいを出している国の方がもっとタチが悪い、という話もあって、陰謀論めく話ではあるが、いくらか私も同意出来る面があると思っている。ただ、プーチンという今のロシア人の多くが支持する一人の人間の思惑が今回の事態を招いている面が大きく、また、クリミア併合以降の動きは、怒りまくったプーチンが後先考えずに感情的に決めたのではないか、という見解があり、私はこれが正解に近いのではないかと思っていて、プーチンは時々ウクライナ人を同じスラブ民族の「兄弟」と言うが、とっくにウクライナ人の方では見切りをつけており、プーチンが今後長期間に渡るウクライナのロシア離れを決定的にしたといえると私は考えている。そして、これはウクライナ人・ロシア人双方にとって不幸なことだったと思う。

 ウクライナが現状でEUに入って、一般の人たちが幸せに暮らせるのか、というと、ギリシャ周辺の動きを見ても、ちょっと見込みは薄いのではないか。ウクライナ国内には東南部に限らず多くのロシア系住民が、そしてロシア国内にもウクライナ系の人が多数住んでおり、ベラルーシもしかりだが、この三カ国は分かち難い関係にあり、ソ連崩壊からまだせいぜい四半世紀を経た程度の現状では、まだこのような離反はすべきではなかった。

 ネット上でウクライナ関連の言説を見てると大上段から識者面して分析する人たちの言が時々目につくので嫌になるが、私は国籍問わず最も被害を被っている一般人への眼差しの在処がその品性を見極めるポイントかと思っている。もっとも、品性などというと、十分お下劣な私にもリバウンドで帰ってくるので、今日はこの辺でやめといたろ。

地域再生の現場でのよそ者の意見

 先日、オコナイという祭りに参加した時に、普段はここに居住していないが、行事や草刈り人足の時などだけ顔を出される方と過疎化が進む地域の今後について話す機会があり、いろいろと考えさせられた。

 その方はこの地域で生まれ育った方で、子育てもしばらくはここでしていたが、子どもの教育のことなどなどで街に移住された(ちなみに滋賀県内での人口移動はほとんどがより京阪神に近づく形となる北から南への移動となっている)。

 その方曰く、地域の今後については、自分が実行部隊として関わることが事実上無理であり、そういう状態で意見を述べるのは無責任の誹りを免れず、自分としてはここに住む人たちが決めたことをとにかく応援していきたいと思ってる、ということだった。

 私は、うーん、とうなってしまった。そこまで「重く」考えていることに驚いたのだった。意見を言うことはむしろいいことだと思ってもいるので。「ここから出た(逃げた?)」という負い目があり、そうした感覚になるのか、とも思ったのだが、私なんかよりも深く地域に関わってきた分、見えるものも違っているのだろう。

 一応、私も子どものときから夏休みや冬休みになるとここに来て、大半の期間を過ごしていたものの、住み始めたのは 20代後半からで、しかも長期に出たり、一時、住所移転などもしたりしていたので、常時居住者とは言い難く、消防団なども免除してもらっている立場であり、地区の何年にも渡る長期間の事業や試みに積極的に関わることはしてこなかったし、今後もちょっと難しいと思っている。そういう立場なので、私も基本的なところはその方と同感なのだが、ここのところ、歯が抜けるように地区の中心的メンバーが亡くなったり、居住地を街に移す動きが出てきていて、このままでは本当に地域消滅の事態を私が生きているうちに迎えてしまうのではないか、という危機感が芽生え始めたところである。

 折しも、中央では「選択と集中」という名のもと、無駄にコストのかかる過疎地を切り捨てようとする動きが出ており、内外からじわじわと消滅の脅威にさらされているのが実情である。

 こうした中、どのように地域の今後を決めていくのか、住人の方でも焦燥感はあれど、どう動いていいのかわからない、というのが正直なところではないかと思う。ここでも行政や外部の有識者、大学関係者の方々が地域を盛り上げようとこの地域にコミットする動きが出ているものの、地域の方では危機感はあるが、「よそ者」(あえてこの言葉を使う)とどのように接していけばよいのか、決めかねている面もあって、事態は流動的である。

 このあたり、事態は「心理戦」の様相を呈している、という話もあって、将来が見えない状態が続くと、前途ある若い世代や子育て世代が見切りをつけ、さらに地域消滅を加速させてしまう可能性がある。そして、その動きがすでに始まっているように思う。

 私自身、身一つであれば、ここをベースにして生きていこうと思っていたのだが、はからずも妻子を養う立場となり、子どもの教育や嫁さんの仕事のことを考えるとここに住み続けるのはちょっと現実的ではない、と考え始めているのが正直なところだ。

 では、どうしたらいいのか。このまま地域が消滅するのを手をこまねいて眺めているしかないのか。

 私はやはり地域外の人を巻き込んだ動きを始めないと未来がない時期に来ていると感じている。長らく地域のことで動いてきた方いわく、この地域では都市部などからIターン者を受け入れようにも、そうした土壌がまだ出来てない、とのことで、空き家に地縁のない人を受け入れるにも、家の仏壇をどうするのか、隣近所のつきあいや役を同様にやってもらうのか、などなど、いろいろと現実的な課題がある。特にここの特色は「真宗地帯」と呼ばれ、地区の行事が宗教行事と一体化しているところがあって、都会の人の感覚では受け入れがたい面もあるのではないかと思っている。もっとも、その辺りは事実上、外部の人がそれぞれの「嫁さん」「旦那さん」という形で集落に入っていて、すでに多数派となっており、配慮や遠慮があって、もはや昔の田舎のイメージにあるような「参加強制」はほとんどなくなっているのが現実なのだが。

 オコナイの場では、さらに、ここには住んだことはないが時々村の行事に参加する方も議論に参戦してきて、もう少し広い視野で物事を見てはどうか、という上から目線的なことを言ってきたので、3人で激論になったのだが、3者の間に大きな溝があるのを感じざるを得なかった。

 結局、外の人の意見はそれはそれでもっともで立派なものが多いのだが、現実的かどうかという点では必ずしもそうではなく、いかに住人の意見に耳を傾けて、受け入れ可能な案を出せるかにかかっているんじゃないかと思う。とはいえ、せっかくの意見を無碍にし続けていると、村のことを思って関わっている人も、なんでこんなに思っているのに、報われないのか、という「片思い」状態に耐えられず、自然と足が遠のいていく、ということになりかねず、それは双方にとって不幸なことだろう。

 外部の人が自分の意見を受け入れてもらうようにする手っ取り早い方法は足繁く通うこと、これだけで多分十分なのではないかと思う。そして、草刈り人足に参加するなどして「一緒に汗をかく」こと。そうすると、この人の言っていることは村の未来にとって少なくともマイナスではなさそうなので、一丁乗ってみるか、という気にさせられるんではないかと思う。

 私は山間地で水量も豊富なこの村で、今年から今まで難しかった集落内の用水路整備への補助金が出るようになったとのことで、小水力発電を導入してみたいと思っているのだが、どこまで主体的に関われるのか、と問われるとなかなか……な状態で自分の課題も山積みな中、そんなことに手を出せる状態ではないのだが、出来る範囲の模索はしていきたいと思っているところ。

 ふと、ここで福島の状況にも似たようなことが言えるじゃないかと思ったのだが、また今度ということで。