TPP雑感 ~特に農業分野のコメついて~

 TPP大筋合意、というニュースを受け、ネット上では主に著作権に関わる点に関心が集まっていたようだが、私が気になる点は農業分野だ。

 総論として言えば、往時の勢いはないものの、まだまだ当面、貿易立国として生きていかざるを得ない日本としては、TPPのような協定は世界の大勢として受け入れざるをえないだろう。そして、衰退局面に入っており、変わるべきは変わる必要のある今の日本にあって、既得権益にしがみつく一定の層を崩すには、歴史的に見て「ガイアツ」ぐらいしかなく、様々な分野で制度疲労を起こしている日本に対し、そうしたシステムを否応なく更新させるというプラスの面をもたらす面はあるだろう。

 ただ、TPPの参加国で強い影響力を持つ国がアメリカをはじめとするアングロ・サクソン系の国であるところに一抹の危惧があり、グローバル・スタンダードの名のもとに彼らに有利なルールで物事が決められていき、さらに衰退を加速させることにつながらないか、という心配を多くの人が感じているのではないかと思う。

 農業分野に関しては「価格の安い輸入食品が入ってきて、家計が助かる」といった一般消費者目線でのインタビューが盛んに報道されているが、農村のリアリティを知らない都市部の住民的感覚としてそうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。コメ農家などが過剰に保護されており、市場経済の波に晒されるべきだ、と感じている都市住民も一定数いるだろうから、今回のアメリカとオーストラリアのコメの受入については、「国内で主食として消費される量の1%の量」程度となっていて、農業関係者以外はあまり警戒していないようにも思う。

 「カリフォルニア米の衝撃 5キロで650円」という記事が出ていたが、安全性が保証されているのであれば、多少味が落ちても購入する、という層(残念ながら現状懐に余裕のない私もその一味である……)には歓迎されるだろう。実際、私はウクライナでよくエジプト米を購入していたが、普通に「ご飯」の味であり、よく食べていたものだ。

 しかし、食糧安全保障ということも考慮に入れておかないといけない。特に主食となる穀物については、いざという時のために、その技術も含めて確実に受け継いでいかないといけない。

 個人的なことをいえば、祖母から受け継いだ田はあるが、私は稲作の技術は持っていないため、近所の方に作ってもらっている。田植えなどで手伝い程度のことをしたことはあるのだが、自分で一からすべてやるには、機械も揃えないといけないし、いろいろと手間ひまかけて世話してやらないといけないわけで、私には今現在、その余裕が金銭的にも時間的にもない。機械は貸してもらうことは不可能ではないが、現実的には機械というのは痛めたりすることもあるので借りる方も貸す方も気を遣うものでなかなか簡単ではない。

 私の周囲を見ると、まだかろうじて団塊世代ぐらいの人たちが作れているが、その下の世代ぐらいからかなり危ういのではないか、と感じている。農業は一年やそこらで立派に収穫なんてことはまず不可能であり、天候不順で不作なんてこともプロの農家でもあるわけで、要所要所で的確に判断して様々なことを実行しないといけないなど、毎年条件が変化し、私の見るところ、かなりハードルの高い事業だと思う。

 また、農業の多面的価値ということも考え合わせる必要がある。20代までどちらかという都市住民寄りであった私としては、都市住民に理解してもらうのは難しい面があると思っているが、水田が担う様々な機能、例えば、潅水機能や景観などは失ってみて初めてわかる類のものではないかと感じる。

 稲作は特に古来より日本各地で連綿と受け継がれてきたもので、この歴史の重みを今の都市住民にどう理解してもらうか。連作障害もない優秀な食物で日本の気候に合っていて、日本人の多くはよくも悪くも主食=米という前提で身体が出来上がっているんじゃないか、などとも妄想することがある。実際、小麦アレルギーは時折耳にするが、米アレルギーは比較的少ないようであるし。

 ちょっと前から「コメをやめる勇気」という本を読んでいる。まだ途中であるが、この日経記者の書いていることも特に経済面から見れば、どれももっともな話で、日本各地で意欲ある農家による「コメからの離脱」の動きがあり、それはそれでよく理解できるし、こういう動きは私も賛成だ。

 私の地域でいえば、今は稲作メインだが、その昔は生糸生産のために蚕を買っていて、桑畑が広がっていたと古老から聞いたことがある。実際、今もその名残の蚕のための木枠なんかが捨てられずに残ってたりする。

 そういうわけで、特にコメだけを聖域化することに躊躇はあるが、広大な面積で日本でよりも遥かに効率的に作ることの出来る、安くてうまいカルフォルニア米などが日本市場を席巻し、日本の稲作農家が特に価格面で太刀打ちできなくなり、廃業していき、その稲作の技術も廃れていく、ということにつながるのではないか、と危惧している。例えば、大豆の自給率は現在6%となっているが、こういう状況になってしまうのではないか。

 ちなみに農水省の大豆のまめ知識によると、「明治32年以降大豆には関税がかけられていました(中略)昭和36年の輸入自由化の際の関税は1kgにつき4.8円(従価13%相当)でしたが、その後ケネディラウンドを経て昭和47年までに0円に引き下げられました」とあり、コメも今は1%でもこれからどんどん拡大していくのではないか。

 コメ農家が日本からいなくなっても困らない、と言われたら、もうそこで話は終わってしまいそうであるが、稲作が日本で今後大規模に縮小していく、という事態に陥った時の悪影響がどれほどのものになるのか、私はちょっと想像できない。水害が今以上に多発するのか、アレルギー疾患が増えるのか、ただ単に耕作放棄地だけが増えていくのか。

 先日、「課題先進地域」とも言われる中国地方の山間部の過疎地域に行ってきたが、まだ耕作放棄地があちこちにある、ということにはなっていなかったように思う。しかし、そういう事態はどうも確実にやってきそうであり、日本各地をコンパクトシティ化するなどしてそれでよしとするのか、そういう方向性に抗うのか、各自の生き方が問われているように思う今日この頃……。

 などなど、えらそうに言ってる私であるが、諸事情で今後、都市部に移住する可能性が高まっており、どのように都市と地方を橋渡しできるか、自分自身のこれからの課題としたいと思っている。

 中国地方の現状については、「農山村は消滅しない (岩波新書)」という本が参考になった。

ひまわりの種の収穫した時の写真をいくつか

 ひまわりの種を収穫したときの写真をアップしておきます。

ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る1
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る1
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る2
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る2
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る3
ひまわりの種を焼き網にこすりつけて取る3

 焼き網を使うと楽に取れるとのことで試すと実際簡単に取れたので、この方法で取りました。どうしても屑や小片も入ってしまうが、これはどんなやり方をしても入ってしまうでしょうから、仕方ないものとあきらめるしかないようで。

屑や小片を扇風機で吹き飛ばそうとするがうまくいかなかった
屑や小片を扇風機で吹き飛ばそうとするがうまくいかなかった

 一概に種といっても実のないスカスカのもあって、概して小さいのはそうしたのが多かった。今回の経験では、ビニポットで発芽させたときに発育が悪かったやつも最終的には大きく育ったのもあり、やはり生育環境の重要性を認識させられた。今回、ちょっと株間の間隔が小さすぎたため、小ぶりに育ったのが多かった、という反省があるので、もし来年もやるようなら、もう少し株間を広く取って、日光がどの株にも当たるように配慮して、植えたいところ。

 今回はビニポットで育ててからにしたが、一部は直播きした。それらの多くもちゃんと育ったので、次回はほとんど直播きにしてみようと思う。ただ、どうしても発芽しなかったりするのがあるだろうから、別途ビニポットでもいくつか育てておいて、そこにそれを植えていけばいいのではないか、などと考えている。

 小さいのは種が取れない可能性があるので育てても無駄かもしれんが、別に生業としてやるわけではないので、こんなやり方でよいのではないか、などと思ったり。

 来年もできるとは限らないが、一応、やる方向で検討しております。

収穫したひまわりの種
収穫したひまわりの種

福島のNPOシャロームさんにヒマワリの種をレターパックで発送した

 昨日、ヒマワリの種を福島でひまわりプロジェクトを実施しているシャロームさんにお送りした。半月前には収穫してて、あとは送るだけ状態になってたのだが、なんやかんやで今になってしまった。

 収穫のタイミングをはかっていたが、早めに収穫をしたグループで種だけに選別するところまで一通りやってみたところ、やはり、まとめて作業するほうが効率がよさそうだったので、残りはほぼ一気にやった。本数でいえば数十本程度ではあったが、慣れない作業の連続で戸惑いつつの作業だった。

 種をひまわりの花から取るのは、バーベキューなどで使う網が役に立った(ウクライナ人BBQの時のゴミを引き上げてきた時に混じってたのを流用w)。あれに押し付けてこそげとると、簡単にボロボロと取れた。また、しっかり乾燥しないとカビが生える、とあったので、天日干しを数日したところ、カビは生えなかったが、一部、すでにカビのようなのが発生してるのがあったので、それは除去した。

ひまわりの花を乾燥中
ひまわりの花を乾燥中

 面倒だったのは、一緒に落ちる花の小片や実のない種を除去する作業で、箕などを使ってみたもののうまく選別できず、扇風機を持ち出してきて、延長コードでつないで、戸外で段ボール箱をセットしておいて、そちらに軽いのが飛ぶような装置を作ってみたが、これもいまいちだった。

 それでも、いろいろとやるうちにある程度は選別できた。家のどこかに唐箕という昔ながらの木製の農機具があったはずで、これは風でそうした藁屑などを飛ばす便利な機具なのだが、あちこち探したけれど見つからず、以上のような試行錯誤をしたのだった。

ひまわりの種をレターパックで発送
ひまわりの種をレターパックで発送

 ひまわりの種を送る方法で一番安いのはどの方法かと考えたが、わからず、郵便局に行って尋ねると、「第四種郵便物」というのがあって、「植物種子等郵便物」はこの分類で送付可能とのこと。こんな分類があることを初めて知ったが、重さが600gほどで、同じような値段でレターパックを使えることが判明、ちょうどギリギリレターパックに入る程度だったので、こちらを選択したのだった。

 量によっては箱で送ることになるだろうが、今年はこの程度の収量だったのでレターパックとなった。どうせやるなら、もうちょい規模を拡大してやりたいところだが、来年やるとしても諸事情で十分な世話が出来ない可能性が高く、水やりをどれぐらいしなくても大丈夫なのか、などを自分なりに計算して、できるようならチャレンジしたいと思っている。

 これで今年の私のひまわりプロジェクトのミッションはコンプリートした、ということになる。こうした畑作業は祖母のをよく手伝っていたものの、一から全部自分で計画して行ったのは初めてで、種を収穫できるところまですらいけない可能性もあったが、なんとかなった。植物を育てることが精神衛生にいいことも想定外の気づきだった。

 来年もやりたい、といいたいところだが、枯らしてしまうのはなんなので、慎重に検討したいところで。

ブログセラピー

 平日昼間は仕事、朝晩と休日は子守という生活が続いている。最近は就床・起床のタイミングが子供と重なることが多く、私の希少な可処分時間がますます少なくなっている。ぶっちゃけブログなんか書いている時間があったら、山積しているToDoをこなさなあかんやろ、とも思うのだが、こうやって特定の誰かではない人に向けて文章を綴る時間というのは、生活に追われる毎日の中で悪くなく、精神安定作用があるように思う。

 時々チェックしてるブログで「ブログセラピー」なる言葉があることを知った。ブログを始めた理由はツイッターではまとまった文章を書くのに向かないので、こういう場を作っておけば、ちょっとした情報を出したい時に使えるだろう、ぐらいの気持ちからだったが、こういう感じになるのは想定外だった。

 この文章も子供にまとわりつかれながら書いていて、前段を書いてから5分経過した。かようにちょっとした文章を書くのも簡単ではないのだが、自分専用の日記とは違い、誰かに読まれることを想定して書くことで、よりよく頭の中を整理できるように思う。

 カウンセリングを受けるとモヤモヤがすっきりするのは、現在置かれている状況を他人に話すことで心の状態が整理されるからだろう。プログラミング中でも良い解決法が見つからないときに他の人に説明するだけで解決することがあり、これを積極的に利用する「ラバーダッキング」(ゴム製のアヒルのおもちゃに話しかける)というのがあるが、これも似たようなものだろう。

 別に非公開なプライベートな日記にでも書いておけばよいとも思うが、一時的にこういう形で継続的に文章を綴ってみるのも一興かな、程度の意識で1年半ほど続いている。もう少し余裕が出たら、もっと別な形になると思うが、当面はこれぐらいがせいぜいでぼちぼちと続けられたらそれで十分、ぐらいでやっていこうというところ。

ラグビーW杯が終了したが、日本ラグビー界の今後が気になるところで

 昨日、今日と子供の相手ばかりしてるが、子供が昼寝タイムに入ったので、またラグビーのエントリーをば。

 今朝、録画しておいたラグビーW杯決勝のニュージーランド対オーストラリア戦を見た。多くの時間帯でニュージーランドが試合の主導権を握り、一時、1トライで逆転可能なところまで迫られたものの、ニュージーランドが突き放し、横綱ラグビーを見せて優勝した。

 この前、「ラグビーのドロップゴールについて思うこと」というエントリーを書いたが、今回も意表をつくドロップゴールで流れを変え、オーストラリアの追撃を交わした。ニュージーランドは一時21-3まで差を広げたが、やや気の毒な反則によるイエローカード=シンビンで一人少なくなった時間帯にオーストラリアにペースを握られ、21-17まで迫られた。そのタイミングで意表をつくドロップゴールが出て、24-17となり、ワントライ・ワンゴールでも逆転はできなくなり、その後はニュージーランド・ペースに戻った。

 今回の試合ではノヌー選手の華麗なステップによる独走トライが見られた。やはり、ラグビーの醍醐味はトライで、時々、こういうプレイが見られるのが面白い。このトライはオーストラリアが押し込んでいたときのターンオーバーから始まったカウンター攻撃でのもので、やはり、何につけ、攻撃的になって前がかりになっているときに防御がお留守になりがちになるものらしい。

 今回のワールドカップでの事件の一つに、準々決勝のオーストラリア・スコットランド戦で試合後に「誤審」を認めた、というのがある。主審は試合後すぐにスコットランドの「ホーム」状態のスタジアムの観客からのブーイングを避けるためか、まっすぐグラウンドから走り去ったようで、そのふるまいも問題視された。比較的審判批判されることのないラグビーでも、今回のジャッジのように勝敗を決するような場合は厳しい目が注がれる、ということだろう。

 この誤審については、フィールドレベルで判断するのはあまりに酷、という意見もあり、選手自身もすべてのルールを把握しているわけではないとも言うラグビーのルールの複雑さ・難しさを露呈した形で、ビデオ判定を導入してもこうした誤審が防げないわけであり、ラグビーを全世界に普及させるのはなかなか大変だろう。今回の誤審の説明については、こちらなどを見るとわかるかも。

 今回のワールドカップ・ラグビーで日本が優勝候補だった南アフリカに対し「ジャイアント・キリング」をやってのけたことで日本でもラグビーが話題になるようになった。南アは結局、今回優勝したニュージーランドに負けたが、内容的にも南アは素晴らしい守備で勝ってもおかしくはなかった試合だった。日本は今回、決勝戦に進出した2チームと互角の闘いを繰り広げたチーム、つまり、南アとスコットランドと対戦し、スコットランド戦は中三日ということで精彩を欠いたものの、内容的にワンサイドゲームというほどではなかったし、20年前に対ニュージーランド戦で17-145で惨敗した時代からすると、世界のトップとの差がかなり縮まったように思える。

 ただ、監督のエディー・ジョーンズがいうように日本ラグビー界はどうしても大学中心という現状があり、日本開催のW杯とその後を見据え、長い目で見た強化策が必要ということになるのだろう。ただでさえ少子化で競技人口が減る中、どんな手を打つか。元々、ラグビーファンは少なくはなかったはずで、今回、私も含めラグビーに関心を持つようになり、良くも悪くも厳しい目が注がれることになるだろう。

 しかし、そういうのも大切だが、ラグビーワールドカップをきっかけに明るい話題が出たことが一番よかったことだったかも。日本の相対的な地位の低下は止めようがなく、暗めの話題が多い昨今、今回のように世界を驚かせるような出来事があると、まだまだ様々な場面での創意工夫で明るい話題は出てくるものだと改めて思ったし、国を背負って、というところで、拒否反応を示す人もいるかもしれないが、スポーツでの活躍の効用は、オレもがんばらなあかんな、と思わせてくれるところで、どちらかというペシミストな方だが、出来るなら人生前向きな方がいい、と柄にもなく思ったりしたことだった。