「身辺雑記」カテゴリーアーカイブ

倉庫用の5段スチール棚4セット買ってきて、3セット分の両面7段本棚とする

 本が未整理のまま、段ボール箱に入ってて、どの箱にどの本があるかわからない状況が続いていたが、この連休中にホームセンターでスチール棚を買ってきて、組み立てたところ。

 本棚についてはいろいろこだわり派がいるようで、愛書家的には壁一面本棚を目指したくなるものらしいが、懐事情に難がある私としては、そんな贅沢はできないので、とにかくコスト&収納力重視で、会社の倉庫にあるような棚が5段あって、高さ180cm幅90cm奥行45cmみたいなスチール棚を4セット買ってきて、これを7段にして両面本棚とする方式を採用している(正確には1セットだけ6段になる)。外枠は万能ツールの100均のワイヤーメッシュで対応。

 スチール棚にしたもう一つの理由は私の住む地域は山の中みたいなもんなので、湿度100%みたいな日が数日連続する場合があり、昨年、木製の棚にことごとくカビが生えて、大変な目にあった、というのも大きい。スチール棚はカビの心配はない。

 ただし、床がふにゃふにゃになってるところがあちこちにあり、床が重みに耐えられるかが心配ではある。以前、誰だったか、小説家の家が本の重みで傾いていた、なんて話を読んだことがあるが、この家は豪雪に耐える仕様で建てられているようなので、そういうのはないのかもしれないが、床下に潜って、一度ひと通り確認しておかないといけないな。祖母と二人して平べったくなって床下に潜った事があるが、もう10年以上前の話で、シロアリ対策とかもしとかないといけないし。。。

こどもの日にDIYで家の中の子ども安全対策を実施

 今日は子どもの日、というわけで、前からやろうとして、中途半端にしか出来てなかった、歩けるようになった子どもへの安全対策をした。

 今住んでいる家は祖母の住んでいた昔ながらの家で、土間部分が長く、今は板張りになっている部分が多いが、それでもまだ土間が露出している箇所が数メートル分は残っていて、その部分には簡単に落ちる、というか、降りられてしまうので、これまで不細工にとにかくただただ本の詰ったダンボール箱を2段積み上げて通せんぼする、という応急対策でやってきたのだが、いろいろと不都合があり、とりあえず新しい物は買わずになんとか家にあるガラクタを組み合わせて対応が出来ないか、頭の体操で試行錯誤しつつ、先ほどなんとか完成させたところ。

 子どもは乱暴に揺らしたりするので、それなりの強度で固定しなくてはならず、意外とこの作業に時間がかかった。手持ちの金具では対応できず、必要なものはホームセンターや100均で買い足して対応した。手近なあれやこれやを組み合わせたやつで、とても見せられる代物ではないので、写真はアップする勇気はないw

 さて、こういうのは個人的には楽しい、という程のものでもないのだが、こうしたDIY的な作業は時々はやった方がいいように思う。普段コンピュータの前に座ってプログラムを組んだり、こうしてキーボードを叩いて、文章を書いたりすることが多い日常の中で、何でもいいから「目に見える何かを作る」という作業は、精神衛生にどうやらプラスに働くらしいことはいくらか前から気づいていたのだが、やり始めるのが億劫でなかなか実際には出来ないもので。せめて休みの日だけでも一定時間はやりたいと思いつつ。

 あと、祖母が畑仕事に出られなくなって、もうだいぶ経つので、畑は草ぼうぼうにしてしまっていたが、一部だけでも草取りなどをして土いじりなどもやり始めたところ。土を触るのも明らかに精神衛生にプラスに働くことを実感している。確か、この記事でも書いた秀丸の作者も農業をやってるという話もあるようだし、今の勤め先の人の中にも土いじりをし始めようとしてる人がいて、ITと土いじりは割りと相性がいいような気がする。

読書感想文『タタール人の砂漠』

 先ほどのエントリーのつづきです。あからさまにネタバレ的なことは書かないつもりですが、含む可能性があるのはご承知おきください。

 さて、今日私が読んだ小説『タタール人の砂漠』は第二次大戦前の1940年にイタリア人の書いた小説で、どこかで評判を聞いて、内容のさわりを聞いて読んでみたくなり、買っておいた本だった。さらに言うと、どこか想像力をかき立てるタイトルに惹かれたから、というのもあるし、あと、一応、ロシア世界に関心があり、タタールはロシアには欠かせないことから、ちょっとその辺りの事情も書いてあるのかなと思った、というのもある。しかし、読み始めてみたら、登場人物がイタリア人の名前で、タタールが舞台というわけではない、ということが冒頭で分かってしまったのだった。

 これは失敗したかも、と思ったが、訳文がひっかかることなく読める文章で、微妙な心の動きを伝えるような私好みの文体でもあり、途中飽きることなく読了出来た。

 解説にも書いてあったが、『タタール人の砂漠』は「人生そのもの」を対象にした小説といってよく、私はこういう読後感の小説はあまり読んだことがないように思う。カフカ的とも評されるようだが、思ってたのとは違った。カフカのはちょっと現実離れしてる面があるが、こちらの方がより現実に近いというか。あと、カフカでも悪意に直面するが、こちらは善意にも多く触れる機会があり、そういうのも逆に痛切に感じられてしまう仕掛けになっているようにも感じた。

ジョヴァンニの顔にも皺が寄り、髪は白く、そして足取りは重くなっていた。急激な人生の流れが、まだ五十には間があるとは言え、もう彼を脇の方へ、ふちの渦へと押しやっていたのだった。(p297)

 ちょうど私も今それぐらいの年齢で髪どころか髭にも白いものが混じり始めたこともあり、こんな文章にドキリとさせられる。主人公はそれまでずっと運命に痛めつけられつつも、何かを待ち続けるのだが、ある日、そうした老いを感じ始める。そして、……。

 出来れば、この本は取り返しの付かない人生を歩む前の若いうちに読んでおきたいところだが、様々な人生模様を経験することで、より深く感じ入るものもあるかと思う。

 私は祖母の最晩年にみっちりと付き添い、生前常々延命処置はしてくれるな、といいつつも、いざその時になってみると、そう簡単にはいかない、ということを身を持って知っているつもりで、祖母には前近代人の感覚があったんじゃないかと思うほどで、生への執着が人一倍強いわけでもなく、長生きしていることを恥じている風すらあったのだが、そんな祖母でも、そういう心境になることに、私は人生というのものの妙を見た気がした。

 今日、この小説を読み、そういう感覚が蘇ってきたように感じた。死を静かに受容したいと思いつつも、本当にそんなことが可能なのか、その時になってみないとわからないだろう。一日でも長く、とあがくかもしれないし、治療拒否なんて言い出して、煙たい頑固者になるかもしれない。

 スティーブ・ジョブスの「今日が人生最後の日であるかのように生きろ」という言葉(原文はこれかな。”If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.”)があるが、私のように「明日できることは今日するな」みたいな生き方をしている者からすると、そんな厳しい生き方はちょっとしんどい。しかし、そんな私でも、マンガのカイジだったかで、人工呼吸器を装着した寝たきり老人のシーンで、人生の最期で後悔しないか、という視点で人生を語る場面があるのだが、そのシーンをふと思い出すことがある。

 つい日々の雑事にかまけて、人生で何が重要で優先すべきかを見失いがちになるのだが、時々にでもこの感覚を思い出し、忘れないようにしたいものです。

 そういうわけで、一応、映像編集には着手しておりますので。。。

人生二度目三度目の閃輝暗点を発症し、頭痛に悩まされつつの読書

 今日は人生二度目の閃輝暗点が出て、その後、お決まりの頭痛に襲われ、寝込むこととなった。さらに、数時間後に人生三度目のが起こり、一体どうしたわけなんだろう。前回は初めてで冷静に観察することが出来なかったが、今回、閃輝暗点が移動することを発見した。だいたい視界の歪みで認識し、だんだん範囲が広くなり、目を開けていると気味が悪いので、つぶって休んでいるうちにいつの間にか消えている、というのがパターン、というのもわかってきた。

 閃輝暗点は収縮していた脳の血管が拡張するために起こるらしく、さらに何か引き金となるものが引き起こすようで、今回の一度目は窓から眺めた眩しい昼の光が、二度目はちょいとつまんだピーナッツかな、と思ったのだが、正直よくわからない。

 閃輝暗点が出ている間は視界の一部が欠損するため、ギラギラが気になって本も読めないし、ただただ症状が収まるのを待つしかない。不思議なことにこの症状が出てる間は痛みはないのだが、その後、半時間ほどで頭痛がやってくる。人によっては吐き気を催す場合もあるそうだが、私はその症状は軽め。ただ、頭痛と眼の奥の痛みはちょっと一時的に何もできず痛みが収まるのを待つしかないほど。

 一応、頭痛が来る前にネットで出てた後頭部マッサージや血管を収縮させるためにアイスノンで頭を冷やすなんてこともやってみたが、私の場合、あまり効果がないようで、しばらく(2,3時間ほど?)頭痛が続いたのだった。実はこれを書いている今もまだ頭痛が残ってたりして。

 こういうとき、本が読める身体的・精神的状態であれば、普段あまり読まないが、まとまった時間で読むのに適している中編か長編小説を読むのを試みることにしていて、今回は頭痛をやりくりしながら、なんとか読書が出来た。読んだ本は『タタール人の砂漠』という小説で、内容はネットで出ていると思うので、検索などしてもらうとして、私の読後感を書いておきますと・・・、ネタバレになる可能性があるので、別エントリーにしておきますw

ピロリ菌除去は必要か?

 ピロリ菌除去に成功したが、「体内の細菌バランスを崩すおそれはないか」との指摘を受け、ググってみると、確かに以下のような懸念があることを知った。

除菌治療後に直近で起こりうる一番大きな問題点は逆流性食道炎の増加です。ピロリ菌感染が胃食道逆流症に抑制的に働いている事は世界的に常識で、特にアジア人ではその傾向が強いといわれてます。現時点では日本での除菌後の逆流性食道炎のリスクに関しての検討はありませんが、台湾のデータでは除菌によって逆流性食道炎の罹患率が14%から28%へ倍増したとの報告もあります。

ヘリコバクター・ピロリ感染胃炎の除菌治療は必要か?

もともと愁訴(症状)が無い、あるいは胸焼けが強い人、それに非常に程度の軽い慢性胃炎の持ち主にピロリ菌存在を指摘された人に、除菌後もっとも多い愁訴は強い胸焼け感が発生してくることです。ピロリ菌は胃液中の胃酸を必要として生きています。それを消滅させれば、その胃酸がそのまま胃に存在し、胸焼けを生じさせる訳です。

ピロリ菌除菌療法への注意 それが是か非か?

 元々胃酸過多気味なのだが、ピロリ菌除去後、症状が悪化した、という実感はない。とりわけ快調になった、とも、悪化した、とも感じず、ともかく将来的な胃がん発生確率を予防出来たかのでヨシとしよう、というところで。いろいろ勘案するに、保険適応疾患以外で無理に除去するほどではないが、保険適応疾患で医師が勧めるのであれば除菌を検討すればよいのではないだろうか。

 実際にピロリ菌除去でどの程度胃がん発症が抑制されるのかはまだ明らかではないらしいので、どうしても必要な治療というのではなさそうであるが、やるかどうかは各個人の考えで決めればよいかと思う。私は胃の痛みをよく感じる方で、やってみる価値はあるという動機付けがあったので、医師の勧めもあり、あまり考えずにやることを決めましたが。