「卓球用品送って」の送り主は実在する?

 河北新報を見てたら、「卓球用品送って」ウクライナから宮城にも という記事が出ていた。

手紙はワープロ文字の英文で、送り主はルガンスク市に住む「ミカエイル・ズゥラヴェル」と名乗るプロ卓球選手という。「紛争の影響で入手困難になった日本製の卓球ラバーを私と2人の自分の子どもに送ってほしい」と書かれ、日本の卓球用品メーカー「バタフライ」の名前と「テナジー」など計15種類のラバー名が記されていた。

 記事内に名前が出ていたので、戯れに検索してみたら、おそらく英語読み「Mikhail Zhuravel」から来ていて、ロシア語だと「Михаил Журавель」となる人物ではないかと推測し、「卓球 ルガンスク」という検索文字列を追加すると、あっさり以下のサイトがひっかかった。

http://www.al.lg.ua/index.php?ELEMENT_ID=15607

 このサイトはルガンスク州アルチェフスクという街の議会のサイトで、2015年4月10日に行われた卓球大会でこのミハイル・ジュラヴェリ氏は40歳から49歳のカテゴリーで優勝している。

 このアルチェフスクという街は2014年5月1日に親ロ派占領地域となり、今もルガンスク人民共和国が支配する領域にあるようで、激しい戦闘の舞台となったデバリツェボから30kmもないところに位置する。

 なぜ東北地方を選んだのかは不明だが、親ロ派支配地域の実在の人物である可能性があるので、連絡を取って、話だけでも聞いてみるといいのではないだろうか。

秀丸エディタを購入するなら「秀丸スーパーライセンスパック」がおすすめ

 こんな記事が出ていた。

「秀丸」の秀まるおさん、そろそろMac版はいかがでしょう? 気になることを全部聞いてみた。

 秀丸を知らない方が見たら、冒頭の写真は生活感丸出しで、ちょっとびっくりすると思うが、秀丸利用者の私からしても、えーっ、こんなにキッチンのシンクに近いところで開発してるのー、ってかなりびっくりした。写真用にあえて、という可能性もあるが、そうだとしてもこんなところをチョイスするとは、と思ってしまうほどインパクト大な写真。まあ、私も今、シンクに数歩、風呂トイレにも数歩で行けてしまうようなところでキーボード叩いてたりしますけどね。(写真をアップする勇気はない……)

 私がエディタを使い出したのは、WindowsPCを購入してしばらくしてからで、ワードなど重いソフトで文章入力するより遥かに効率的と知り、WZエディタというのを購入し、以来ずっとWZを使ってきた。途中、乗り換えを検討し、いくつかフリーのエディタを試用したが、どうしても手がWZに慣れてしまっていて、使える限り使い続けようとしてきたが、さすがにWindows8になり、何かと不便を感じたので、一念発起して、秀丸に乗り換えることにしたのだった。

 秀丸エディタにはフリーソフト開発者優遇制度があり、昔、フリーソフトを公開していたこともあって、秀丸を無料で使える状態になっていて、一応、メールでやりとりしてOKをいただいてはある。ずっとメインではなく、サブのエディタとして利用していたが、私が勤務したことのあるソフト開発会社では多くの場合、秀丸エディタがインストールされていて、使う機会の多いエディタで、基本機能が網羅されている割にシンプルで必要十分な機能が付いているエディタであり、今も昔も日本におけるWindows開発環境の標準エディタといってもいい位置にあるんじゃないかと思う。

 秀丸は、名前が嫌い、という人もいたりするのだが、記事にあるように、一太郎が念頭にあった可能性、というのは長年の疑問が氷解した気分で。あと、作者が親指シフター、というのも今回の記事で初めて知り、ちょっと親近感が湧いた。

バージョンアップもずっと無料でやってますが、今でもそれなりに新規ユーザーさんに買っていただいてはいるので、まだ当分は食っていけそうな気はします。

 これに関して言うと、私はちょうど一年ほど前、Windows8環境整備中に購入を検討し始め、秀丸エディタ以外にも、ファイラー(秀丸ファイラーClassic)やメーラー(秀丸メール)も使い勝手がよく、「秀丸スーパーライセンスパック」というのがあるのを知り、購入を決断したのだった。

 ファイラーはキーボードベースのがいろいろ出てるが、私には秀丸ファイラーぐらいがちょうどいい。余計なゴテゴテした機能がついてイライラさせられるWindowsのエクスプローラが嫌な方は一度試用してみられるといいだろう。

 秀丸作者のソフトはちょっと素っ気ない感じがあって、好きになれない人が多いのは分からなくはないが、質実剛健で、私は好き嫌い関係なくツールとして優れているので、使っている。私はブログ記事でもツイートでも下書きで軽く書きなぐってからウェブ上で多少修正して投稿、というプロセスで記事などをアップすることが多いのだが、この記事も秀丸のアウトライン機能を使って書いている。余談だが、文章を書く人はワードなどにも付いているアウトライン機能は大変便利なので、使ったことがない方は是非使ってみることをおすすめする。

 秀丸はWindows95時代からずっと第一線で使われ続けているソフトウェアで、今後もバージョンアップが続く限り、私は使い続けていくことになるだろう。というか、せっかく購入したので、バージョンアップは続けていってほしい、っていうのが本音だったりw

ドニエプロペトロフスクからシチェスラウへ!? 地名変更 ウクライナの場合

 ついさっき、近江県、琵琶湖県? 滋賀県の県名変更についての個人的意見という記事を書いたが、ウクライナでも地名変更の話題が出ている。

 昨日、ウクライナとロシア 歴史評価巡っても対立というニュースが出ていて、

ウクライナの議会は9日、かつてその一部だった旧ソビエトを象徴するものを「全体主義の宣伝になる」として公共の場で使用することを禁止する法案を賛成多数で可決しました

 ということだが、これに伴い、通りの名前や地名の変更が検討されているらしい。多くの街でメインストリートはレーニン通りなわけだが、ついにこういうのにまで手を付けるのかどうか、個人的には、デフォルトに近い状態にある今のウクライナで、多大なコストがかかり、さらには、ただでさえ機能しない役所がさらに機能しなくなり、様々な難癖の元になるとしか思えない地名変更をこのタイミングですべきではないと思うが、もうドサクサで心機一転のためやってまうのもありかとも思ったりもする。いずれにしても、この先少なくとも何十年かはロシアとは犬猿の仲になる運命となってしまったので。

 地名変更では、人口規模でキエフ・ハリコフに次ぎ、オデッサと並ぶウクライナ第三の都市ドニエプロペトロフスク(ウクライナ語:ドニプロペトロウシク)が話題になっている。なんでも、この都市の名前の由来となったグリゴリー・ペトロフスキーというウクライナ人の政治家がウクライナの大飢饉「ホロドモール」を招いた元凶の一人とみなされているらしく、すでに2009年に銅像が撤去されたりしている。(以下はBBCの記事 Ukraine tears down controversial statue

 もっとも、この街は過去に何度も名前が変わってきた街のようで、Wikipediaによると、1776年の創建以来(アメリカ独立と同年!)、最初の十数年はエカテリノスラーフ、その後、10年ほどノヴォロッシーイスクとなり、1802年に再びエカテリノスラーフとなって百十数年が過ぎたが、ソ連時代に今のドニエプロペトローフスクに改名されたとある。

 ただ、1918年から19年までウクライナ人民共和国の時代にシチェスラフ(ロシア語:Сичеслав 英語:Sicheslav)という名前になっていたようで、今、この名前を復活させようという動きがあるらしい(ウクライナ語でシチェスラウ[Січеслав])。他に、元のエカチェリノスラフに戻す案も出てるようだが、これって、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名に因むわけで、どうなんかな。

 他に候補として、フィルムメーカーと同名のコダック(Kodak)というのも出ているみたいで。市内にコダック要塞があるが故か。ちなみに、Wikipediaによると「コダックという社名は、力強くシャープな感じがすると同時に、創業者のお気に入りでもあった「K」をはさんだ単語をいく通りも考えた結果として生まれたものであって、単語そのものに特別な意味はない」ということらしいので、コダック社とは関係はない模様。あと、地名のコダックの方はチュルク語系で「丘の上での和解」を意味するのだそうで。

 ウクライナには何度も行ってるものの、ドニエプロペトロフスクは通ったことしかなく、街を歩いたことはない。写真はドニエプロペトロフスク駅での乗り換え時に撮影したもの。乗り換え時間が短く、街歩きはできなかったが、また来た時はもう少し街を見てみたい。

ドニエプロペトロフスク駅前の様子
ドニエプロペトロフスク駅前の様子

近江県、琵琶湖県? 滋賀県の県名変更についての個人的意見

 私の住む滋賀県の県名変更が話題になっている。

滋賀が「近江県」に? 県名変更案に県は複雑

 しかし、私の周囲で話題になっているのは聞いたことなく、個人的にはあまり関心が持てない。というのも、私は滋賀県最北部に居住しているが、県立図書館など、県立の施設は最南部に集中していて、正直なところ、滋賀県民であることのメリットはほとんど感じられない。最北部県民としては、県名変更などどうでもいいから、この南北格差をどないかしてくれ、というのが本音だ。

 首都移転の話だと、候補として出てくるのは、岐阜、三重などなどで、根拠はやはり真ん中だから、というもの。それでいくと、県庁は真ん中当たりがよいわけで。彦根ぐらいなら、下道で一時間程度でいけるので我慢できるが、大津までは南部の渋滞もあって、ちょっと車で行く気になれない。ついでにいうと、鉄道だと大津で下車する理由はなく、大阪や京都まで行くことになる。

 もっとも、大津に県庁所在地が置かれたのは、明治新政府の彦根藩への嫌がらせ、という話もあり、また、ネット情報では、別の説として、新幹線の駅を設置させなかった彦根在住勢力の陰謀なんて話もあるが、この辺りはちょっとよくわからない。

 先日、神戸の北、兵庫県の中山間部に行ってきたのだが、行き交う車も少なく、人影もまばらで、京阪神地区のベッドタウンとして発展を遂げる滋賀県南部なんかよりも、「同じ境遇」にある感じがしたものだ。多数決が支配する今の世の中では過疎地域の声はかき消されてしまうので、こういう地域同士で連帯していかないといけない時代なんじゃないかと思ったりしつつ。

篠山の武家屋敷群
人影もまばらな篠山の武家屋敷群・・・

 ここで、道州制、という話になるわけだが、道州制になると、過疎化に拍車がかかるという話も確かにある。しかし、いずれにしても、このままでは未来が見えないわけで、コストが膨大にかかるだろうが、個人的には長い目で見て行政コストが削減される道州制には賛成かな。今の時代、都道府県という単位はちょっと中途半端な大きさなようにも思うし。

 とはいえ、当面、そう簡単に道州制に移行できるとは思えないし、現実的に都道府県という単位はそれなりに機能し続けていくことになり、この中でなんとか解決策を見出していくしかないだろう。書いてて途中で気づいたが、明日は県議会選挙だった。現状追認するだけのような候補者でない未来を見据えた候補者に投票したいもので。

 候補者の皆様のご健闘をお祈りいたします。

篠山線廃線跡
一部にレールがまだ残る篠山線の廃線跡

田舎と都会と福島と東京と

 「フクシマを描く善意が差別や偏見を助長したかも」 絵本作家の松本春野さん という記事が話題になっている。

 こうした発言自体、勇気のいることだと思うし、こうして行動に移したこと自体素晴らしいことだと思う。そして、福島が多様である、というのももっともな話で内容も基本的には同意する。ただ、どこかひっかかる点があって、どこかなー、と考えていたのだが、一つ気づいたのは、都会の人特有の田舎見下し感があることで、これもご本人が率直に以下のように述べていることからも、伺える。多分、福島に通うことで、少しずつ消えていったのだろうけど。

自分で認めるのはつらいのですが、心のどっかで福島の人を見くびっていたのでしょう。「たぶん、真実を知らないのではないか」「放射線に慣れてしまっただけでないか」と。

 確か震災後2年目ぐらいの時だったか、福島に行った時に首都圏の都市部から初めて福島に来た、という方と福島の人の放射能リテラシーについて、軽い口論になった。私からすると、福島の放射能被災地に住む方の放射能リテラシーが高いのは自明のことだったのだが、その方は福島の人の放射能リテラシーが低いと本気で思っていることがうかがい知れた。途中で「もう話してもしょうがない」と話を打ち切られてしまったのだが、その方は話している分には偏った考えを持っているわけでもなく、とてもよい方だったので、そのことが余計に私には新鮮な現実として感じられた。

 あと、これは関西でのことだが、集まりで福島に何度か足を運んだことについて話をしていた時に、ある関西都市部在住の方がこんなことを言い出した。「福島で鎌を持って追いかけられへんかったか」 最初、何のことを言っているのか分からなかったが、田舎者を揶揄するのにこうした物言いをしている、ということにすぐに気づいた。福島も郡山とか私からすると大都会の雰囲気なんだが、福島というだけで田舎認定、という有り様なのだ。

 私は田舎者歴が長いので、こういう都会もんの田舎者見下し発言には敏感な方である。都会もんが田舎もんを嫌う理由として、もう少し上の世代だと、戦争疎開の時にいじめられた経験があったりして、いくらか同情の余地はあるのだが、現行世代の田舎に住んだことのない都会もんにとって、田舎のリアルを理解するのはちょっと難しい、というか、基本的に無理なのではないかと思っている。都会もんが田舎にきて、「田舎いいなぁ、こんなところに住みたい」なんて言うことがあるが、残念ながら、それは本心ではないだろう。なぜなら、多くの場合、実際に田舎に移住するわけではないので。

 では、その逆はどうかというと、多くの田舎もんは都会のことを結構知っていて、私自身も大阪に数年住み、通勤もしていたこともあり、実感としてもよく知っている。この非対称性は割りと重要で、何かにつけ、地方創生などとお上が掛け声をかけているが、そのグランドデザインを描く側にいるのは、地方のリアルを体感したことがない都会もんだったりするわけで、その実効性は田舎側から見ると言葉ばかりが上滑りをしている危ういものに見える。

 東浩紀氏他の「福島第一原発観光地化計画」も、購入して一読したが、そういうのを如実に感じた。ある人が「アートっぽさ」が鼻につく、というような表現をしていたが、東京のお洒落文化人が福島をネタに話題作りしてみました感が満載で、関わった人たちはそれぞれ真摯に対応しているおつもりなのだろうけど、この地方と都会の非対称性を論者の多くは理解してないんじゃないかと思わざるを得なかった。

 ただ、私としては、そういういただけない面があるとして、こうした試み自体はよいことだと思っている。原発事故のように触らない方が無難、ということになりがちな事柄については無関心よりは話題になる方がよいと思うので、どんな話題であれ、いろんな考えの人が自分の考えを述べること自体、歓迎すべきことだと思う。そんなわけで、こうした多くの人が肯定するような記事に対し、ひっかかった点を述べることも大切ではないか、ということで、ゆうてみました。

追記:私は都会のリアルについては、大阪・京都・名古屋・神戸についてはいくらか知ってますが、東京や他の大都市のリアルについては正直わかりません。あと、都会に日帰りで行けるようなところに住んでいながら田舎者面するな、という声には、中途半端な田舎者ですいませんとしか……。