「田舎暮らし」カテゴリーアーカイブ

スチールのチェーンソーMS201をついに買ってしまった

 先週土日はまた二回目となる自伐型林業研修会に参加してきた。参加者がさらに少なくなり、経験のほとんどない一参加者としてはラッキーなことに、ほとんどプライベートレッスン状態となって、実技や安全面での心構えなど、多方面から様々な事柄を教えていただいた。

 今回もまた林業の奥深さを知ることとなったが、今回知ったことを徐々に自らの体験として知っていくのと最初に知っておくのとでは大変な違いがある。ある未知の分野に挑むとき、最初にこうしたレッスンを受けておくことは時間の節約になるし、我流のクセがつきにくくなるだろうから、自分で少しずつ知る楽しみというものの意義を認めるものではあるが、特に危険と隣合わせの事柄の場合、可能であれば最初からみっちりと仕込んでもらうのがよいと思う。

 今後、どれだけ本気で取り組めるかわからないし、いずれ引っ越すことになるので、どうしようか買う直前まで迷っていたが、昨日、意を決してチェーンソーを買うことにした。チェーンソーの扱いについては、初心者が知るべき事柄はほぼ伝授してもらったと思っているので、そういう面の心配はないが、これからどれだけ使い込んでいけるのか、という点は買ってしまった今も懸念事項ではある。とにかく、これをただの「高いおもちゃ」にしないようにしたいところ。

 今回買ったチェーンソーはスチールというドイツのメーカーの山林作業用のもので、決して安い買い物ではない。ホームセンターなどでは10000円程度で売っているものもあるが、アフターメンテなどの点では期待すべくもなく、ほとんど使い捨て感覚で使うべきもののようだ。講師の方が言っておられたが、最寄りの取扱店が扱っているメーカーのにしておくと、故障した時も対応してもらえるので、そこで買っておくと良い、とのことで、どのメーカーのものを買うか、という点ではあまり悩む必要はなかった。機種についても、私の用途(山林作業用)と希望(軽量であること)を考慮するとほぼ一択といってよく「STIHL MS201 C-M」というのを購入することになった。買うかどうかは最後まで悩んだのであるが。

 昨日は最寄りのチェーンソー取扱店である藤田機械店でフェアが開催されていて、スチールの社員の方もおられ、またしてもありがたくもチェーンソー講習を受けた形となった。とにかく、奥が深い世界でチェーンソー一つとっても、様々な極意があり、今回、最初からそうした知識を身につけた上で山に入れるのは大変よかったと思っている。

 今後、これを主な収入源とすることは現実として大変困難なので、基本的にはその可能性は大変低いが、それでも副業としてある程度成立させるところまではいきたいと思い始めている。木材は宅配便で配送、というわけにはいかない世界なので、伐採する地域の需給状況もあって、なかなか個人で生業(なりわい)として成立させるのは簡単ではないことは重々承知しつつも、森林の多い日本で林業従事者が増えること自体の社会的要請は間違いなくあるだろうし、まずは荒廃した自分の山の手入れから始めることとして、あまり身の丈に合わないようなことはせず、出来る範囲で始めようかと思っている。

STIHL MS201の箱
様々な言語で書かれたスチールチェーンソーの外箱。ウクライナ語だけMで始まる言葉ではないのが興味深い。(ベンジン(ガソリン)のピラー(のこぎり)という意味)

家庭菜園始めたが、出遅れたためか、発芽率がよろしくなく、さらに獣害対策も未完了でいくら時間があっても足りない

 昨日、近所のいくつかの畑がイノシシにやられた。金網で囲い、さらに上から網をかぶせてあったにも関わらず、ジャガイモの畑が見るも無残に全滅していた。

 うちの集落は山の中にあるようなものなので、獣が侵入してきた、というより、我々が彼らの住処に侵入してきた、と言えるのかもしれないが、なかなか上手に住み分け、というわけにはいかず、皆、頭を悩ませている。

 私も畑の真似事を始めてしまい、ここのところ、太陽が出てるうちは、ほとんどの時間を畑仕事にとられる始末で、その中でも面倒なのは獣害対策。作物の育て方もおぼつかないのに、そちらに力点を置く前に、まずは獣害対策をやらないとだいたいやられてしまうため、なかなか苗の世話にまで手がかけられず、ちょっと困っている。

 「芽出し」という作業があって、あらかじめ種から芽を出しおいてから畑に植えることなのだが、私などは面倒なので、畑に直播きすることが多い。しかし、発芽や生育に適した気温というのがあって、私は今年も遅れて始めたこともあり、あまり発芽率がよくない。それでも、いくつかの種は発芽してるので、ダメ元で育たなければ、また別の種を蒔けばいいや、ぐらいの気持ちでやっている。

 初心者は「間引き」に抵抗があるもので、せっかく発芽したのだからなんとか育てたい、なんて思ってしまう。去年はひまわりは発芽したのはすべて育てたが、やはり、育ちが悪かった苗は最終的に種がほとんど取れなかったのが結構あった。一度、こうして、自分でいろいろ経験してみると、間引きする理由が体得できる。そういうわけで、間引きはもう躊躇なくできるようになったw

 今年は「ごく小さい畑」「小さい畑」「そこそこの大きさの畑」の3箇所を苦労して開墾して始めた。「ごく小さい畑」は家の裏にあり、そこは四方を家に囲まれているため、時間・季節で複雑に日光量が変化し、なかなか育ちにくそうだが、去年はディルやイタリアンパセリ(要するにウクライナのウクロップとペトルーシュカ)はちゃんと育ったので、それなりに育てられるのではないかと思い、いろいろと種を蒔いてみたところ。「小さい畑」は立地上、午後からは日が当たらないのだが、菜園では朝の光の方が大切、って話を聞いたので、ものは試しと開墾して幅1mで長さ250cmぐらいの長さの畝を4本作って、輪作していこうかと思っている。「そこそこの大きさの畑」は元水田なので、日当たりは悪くないが、やたらと粘土質であまり土質はよくない。そういうわけで、粘土質にあった里芋なんかを植えてみたところ。

 しかし、出遅れたためか、全然芽が出てこないのが多く、こういう失敗を重ねて、もし来年も出来るのであれば、もう少し早めに始めなあかんなぁ、と思ったりしている。

自伐型林業研修会に行ってきた

 前々から自分の住む自治体で自伐型林業についての研修会をやってて、参加したいと思っていたが、この土日空いていたので参加してきた。

 ちょうど、こちらのNHKのサイトで自伐型林業についての連載記事が始まっていたので、詳しくはそちらなどを読んでほしいのだが、自伐型林業とは簡単にいうと、従来の大型重機を使った大規模林業ではなく、ごく小規模で副業レベルの収入を目指した林業で、自分で伐採して市場に売りに行く、というもので、前々から気になっていた。

 私自身は近所のおっちゃんと一緒にごくたまに山に入って下草刈りや枝打ちの真似事をする程度で、林業で収入など考えたことはなかったのだが、今現在、祖父の世代が植林した山が放置状態で荒廃していて、前から何とかしたいけど、どうしたらええんかいなー、と思っていたのだった。

 日本で林業が衰退した理由はいろいろあるだろうが、木材価格の下落が最大の要因だろうとは思う。あと、林業というのは、最たる3K職場で、特に危険性は全産業の中でも鉱山業と共にダントツでトップを独走しており、これも若者がやりたがらない理由の一つなんではないかと思う。

 厚労省のサイトに平成8年~平成23年の産業別死傷年千人率というのが掲載されているが、この15年の間でも全産業で3.4から2.1に下落する中、林業は30弱という全産業の10倍以上の値で高止まりしている。ちなみに鉱山は33から24に下落しているので、林業の特異性がわかる。とにかく、危険な仕事といっていい。そして、その危険性に見合った収入が得られるならともかく、決してそういうわけではないので、今時山に入るやつはアホ、とまで言われる始末なのだ。

 祖父の日記をちらと見たことがあるのだが、「今日も下草刈り」みたいな記述が毎日のように出てくる。当時は草刈機もなく、大鎌で刈っていたはずで、木をまっすぐにさせるための枝打ちなどもやっていて、そうやって祖父母世代が次世代のために苦労に苦労を重ねて守ってきた山を荒廃させているのは気分のいいものではない。しかし、山に入っても収入にならないので……という状態が続いていたのだった。

 こうした状況で多くの集落では森林組合などに委託する形を取っていて、個人個人が山に関わることはほぼなくなっていたのだが、ここに来て、自伐型林業という新しい形態が生み出され、今全国に広がりつつあり、うちの自治体でもこの流れに乗り、すでに何度か自伐型林業講習会が実施されている。

 今回は何回目か、ということで、参加者は以前よりは少なく、参加者としては実技で多く作業ができるし、質問も多くできるので、ラッキーだった。土日の二日間に渡り、朝8時から17時までみっちりと座学と実技の講習が受けられた。

 座学は主にチェーンソーの扱い方と危険回避についての勉強で、今までちゃんと学習したことがなかったので、大変有益だった。講師は実際に林業に携わっている方で、テキストにはこのように書いてあるが、実際はこうした方がいい、みたいな話もあり、みよう見まねでやっていた私からすると、なるほど、という事柄が随所にあって、何かと腑に落ちた。

 実技は実際にチェーンソーを使って、丸太を切ったり、二日目の最後には実際に講師の指導の元、立木をチェーンソーで切り倒すところまでやらせてもらった。今回参加したことで、いきなりバンバン切り倒せるとは思わないが、なんとか、自分でも伐木できそうかな、と思えるようになった。特にロープワークが大切であらかじめ倒す方向を決めてロープで引いておくとまず間違いなく、倒したい方向に倒れる、ということがよく分かった。

 私はマイ・チェーンソーすらもっていなくて、これから林業に携わるかどうかまだ決めかねているが、近くに一緒にしてくれる人がいるなら、始めてもいいのではないかと思い始めている。山仕事は危険であるため、山には一人で入るものではない、と言われていて、私は一応それを守ってきたが、そんなことをゆうてたら、全然山に入らなくなるので、伐採以外の仕事は一人でも何とかなるんじゃないかとも思えてきたこともあり、まずは現状確認がてら、山に再び入ってみるかな、と思っている。

 山仕事のための道具を揃えるのにそれなりの出費は覚悟しなくてはいけないので、そこら辺を自分の中で整理して、じっくりと検討していきたい。

自伐型林業_チェーンソー練習
丸太をチェーンソーで切る練習。ただ上から下に切るだけではなく、真ん中から切る「突っ込み切り」などもあり、いろんな切り方ができることを知った
自伐型林業_初めての伐採
初めて伐採した木。初めてにしてはまあまあ?
自伐型林業_自撮り
初めて伐採した木の前で自撮り

家庭菜園事始め

 ここのところ、週末は家庭菜園に時間を割かれている。去年、ひまわりを育ててみて、なんとか採種までいったのだが、同時に育てたトマトやナスはあまり実をつけず、その実も小さかった。ほとんど前知識なく適当にやったこともあるが、いろいろとよくないことを知らないうちにやってたようだ。(たとえば、草をすきこむとか、肥料を適切に与えなかった、水やりしすぎた、など。)

 そういうわけで、ちょっとした悔しさもあって、今年、ひまわりもやるが、野菜を何種類か育ててみようと一念発起し、小さな畑だが、ちゃんと計画をして家庭菜園やってみようと思いたった。

 去年はウェブでその都度検索して、というやり方だったが、今年は近場の本屋にまず行って、本を買い、一から一通り勉強することにした。私が買ったのはこの「これならできる!自然菜園」という本。

 子供と行ったため、あまり選んでいる時間はなく、店頭に平積みにしてあった本のうち、情報量が多そう、というのが選んだ第一の理由だったが、この本はいわゆる「自然農」の本で、不耕起栽培メインの本だった。

 一応、福岡正信、川口由一といった著者の本はなぜか家にあるのだが、具体的にどうやるのか、結局のところよくわからないし、また時間も手間もかかりそうで、なんとなく敬遠していて、まずは今、広く行われているやり方でやってみようと思っていたのだが、この本を指針にすると、いきなりそれから外れることになる。結構迷ったが、基本的にはこの路線で行くとして、ただ、あまりこだわりすぎずに、アバウトにやる、という方針でいくことにした。この本では化成肥料は一切使わないし、酸性土壌の矯正はもみ殻くん炭が使われるが、私はせっかく去年買ったのがあるので、化成肥料も使うし、もみがらも今からの入手は困難なので、苦土石灰を使った。

 ちなみにもみがらはここらでは、最寄りのライスセンターに余るほどあり、9月頃に袋を持っていくともらえると聞いたので、今年は貰いに行こうと思っている。

 というわけで遅ればせながら始めたのだが、畑の基本は土づくりから、というのは、鉄則中の鉄則のようで、まずはそこから着手したものの、週末ごとに時間をかけてやってるが、まだ終らないのだった。

 なぜこんなに時間がかかるのか、というと、まずゴミやら石が多く、その除去に半分以上の時間を取られている。ゴミといっても、農業資材の切れ端的なのが多いが、中になぜか瀬戸物やガラスの破片なんてのがあり、見つけ次第、取るようにしている。

 また、当地では獣害対策をしないと全部持って行かれてしまうので、それにも時間を割かれている。去年は面倒なのでしなかったし、今年もするつもりはなかったのだが、ちゃんとやろうとすると、さすがにこれは取られてはかなわんな、と思うようになり、後から取り付けた。(これも未完了なのだが。。。)

 性格上、ちゃんとやりたくなるが、時間がいくらあっても足りないので、今年のモットーはとにかくアバウトに、それらしいのができたら上等!、ぐらいの気持ちでいくことにした。あと、いずれこの地から出て行くことになるので、たまに来て世話を少しすると育つような作物がどれなのかを知っておきたい、というのも、今年のモチベーションとなっている。

 畑をやり始めるとしなくてはならないことが次から次へとやってきて、せなあかんことがますますできなくなるので、困っているが・・・、せっかく田舎に住んでいて、土地はいくらもあるのにもったいないなぁ、と前から思っていたこともあり、やっと自分的に「機が熟した」のかと思っている。一過性のマイブームにならないことを祈りたい。

「孫ターン」のメリットとデメリット

 「“孫ターン” 新しい移住の形」という記事が出ていた。私自身が約20年前に「孫ターン」した先駆者wなので、諸々の経験を通じて感じたことを書いておきます

 まず、孫ターンすることになったきっかけを書いておくと、最初の最初は一人暮らし歴の長い祖母がちょうど病み上がりで家に帰ってきていたタイミングで、自分自身がちょうどその時、生活を変えたいと漠然と思っていて、祖母の家にふと立ち寄ったのがきっかけだった。当時はインターネット界隈に生息していたのだが、このハッタリだらけの世界はしんどいな、と思い始めていて、一旦ちょっと距離を取ろうと思っていた。

 そのようにして住み始め、畑仕事などを手伝ううち、しばし住んでみたら、と言われて、同居するようになった。ただし、この時点では1年程度か、長くとも2,3年程度だと思っていた。少ししたらまた都市部、具体的には当時住んだことはないが一度は住んでおきたかった首都圏に住むことになると思っていた。

 ここに住むことを勧めたのは祖母本人でもあったが、伯母の一人がやけに強く勧めてきたのをよく覚えている。私が都市部へ行くことを「疲弊するだけでお金も貯まらないしお前のためにならない」などなど、あれやこれやと理由をつけて引き止めたこともよく覚えている。私は自分自身の意志でここに住み始めたし、住み続けたと思っているが、私よりも人生経験のある伯母の言であり、そんなもんかな、とちょっと思ったのも正直なところだ。当時はまだまだあまちゃんだったということだろう。今思うに、そうしたおためごかしの言葉の裏にドス黒い意志が当時からすでにあったことに気づかざるを得ない。

 その後、いろいろありつつも、祖母と住み続けることになり、80代後半になった祖母も体力が落ちてきて、入退院などを繰り返すようになった。そうした中、結果として、私が祖母の介護にメインで携わることになった。メインというのは、結局誰か一人が中心になって、あれこれ決めたり介護サービスを提供するところとのやりとりをしないといけない、という程度の含意があるのだが、逆にいうと、介護サービスを提供する側としては、誰に聞けばいいかわからない状態というのは、大変やりにくいし、話が進まない、ということが分かってきたからだった。

 私は再三、アラームを発した。なぜ自分がメインで担当しなくてはいけないのか、手伝いならいくらでも喜んでやるつもりだが、メインでというのは違うんじゃないか、と。介護というのは、その人に育ててもらった人がまずはやるべきであって、いろんな事情で出来ない場合もあるだろうし、育ててもらってもやりたくない、という場合もあるだろうけど、根底に何らかの「感謝」の気持ちがあってなされるべきものだと思っている。もちろん、昔のように、オムツ交換から何から自分でしてこそ、なんてことは言わないし、今は昔に比べて介護サービスが充実しており、「お金で解決」できることも多いわけで、そうしたサービスは積極的に利用すればいい。

 また、世代が一つ違う、ということもよく考えていた。介護を30代の人がするのと50代の人がするのとでは随分と違う。私は祖母の介護に携わること自体を問題視していたわけではないが、なぜ他に出来る人がいるのに人生で重要な時期である30代に祖父母世代の介護に時間と労力を割かなくてはいけないのか、私が病院通いをしている間、伯母は楽しく旅行♪・・・なんてことが重なるうち、いろいろと「黒い感情」が自分の中に沸き起こるのを認めざるを得なくなってきた。

 ある時、私はもうアラームを発するのをやめることにした。最後まで私が中心になって面倒を見ることを決めた。そして、基本的に私が最終的判断をすることも私の中で決めた。祖母が食べられなくなって胃瘻を造設するかどうか判断を迫られた時、それは結果として延命することになり、私自身の介護生活も伸びることを意味したが、私は造設することに決めた。「管だらけになって死ぬのは嫌だ」とよく言っていた祖母で、ビデオにその「証言」も撮影してあったが、それでも、病床の祖母と何度も話をする中で、祖母自身が胃瘻造設を望んでいることが朧気ながら分かったからだった。

 その後、しばらく胃瘻で生きながらえたが、ある日、介護施設での骨折を境に衰弱し始め、様々な臓器が機能しなくなりだした。そして、危機を脱し、いくらか病状が安定しはじめた時、一旦停止していた胃瘻からの栄養注入を再開するかどうか医師から問われ、私は迷いに迷ったが、再開しないことを決めた。これは大変孤独な決断だった。私以外はみんな、胃瘻継続という雰囲気だったからである。見ようによっては、私が祖母の死期を早めた、ということになるだろうが、私は今も自分の判断が間違っていたとは思わない。祖母自身、死ぬ直前、いつもとは違うちょっと奇妙な調子で「ワシはもう迷わんことに決めた」などと言ったが、優しい心遣いをする祖母特有の思いやりだったのだろうか、などと思うことがある。

 最初に書こうと思ってたところから随分と脱線したが、元に戻すと、デメリットとしては、上記のように、祖父母の介護をする羽目に陥る可能性が高い、という点があげられる。仄聞するところでは、孫世代が祖父母の介護要員をしていることも現代日本では多いようで、ただでさえ少子高齢化で大変なのにこんなんでええのか、と思わないではないが、現実としてこうした状況があるようだ。

 本来は皆が元気なうちに介護について事前によくよく話し合っておくのがいいのだが、なかなかそうもいかないのが実際のところだろう。一応、必ずしも理解がない親類ばかりではなく、出来る範囲で協力してくれる親類もいるので、うまく取り込むのが肝要なのだが、俗に「遠くの親戚より近くの他人」というように、最終的には「近く」かつ「親戚」の人がいるなら、その人が一番動かなくてはならなくなる、というのは知っておいたほうがいいだろう。ただし、そうなったら、逃げてしまうのも一つの手だと、経験から思う。世の中、意外と自分がいなくても回っていくもんなんで。

 ネガティブな面ばかり強調しているが、私自身孫ターンしてよかったと思っている。メリットは、一緒に住むことで自分の家族について多面的な見方ができるようになったことがあげられる。私は親とはいろいろあって思春期以降は特に心情的に距離を取り続けてきたが、そういう拘りがかなり軽減した。これは精神衛生上、かなりよい効果をもたらしたと言える。

 また、祖母の話すリアルな、ほとんど前近代的といっていい村社会の側面は私に強い影響を与えた。そうした話はなかなか聞けるものではないので、もし戦前の様子を知る祖父母がいたら、願ってでも、話を聞き出しておくべきだと思う。戦後社会の価値観とは別の生き様がごく最近までごく普通にあったことがよく分かる。

 思えば、私は本格的な孫ターンをする前に数ヶ月だけプチ孫ターンをしていたことがあったのを思い出した。ちょうど学生時代に休学していた頃だった。その経験が孫ターンに繋がったのは間違いないとも思う。ともかく、やってみたいが二の足を踏んでいる、という状態であれば、まずはプチ孫ターンから始めてもいいのではないだろうか。

 孫ターンの課題については、まずは、なんだかんだいって、仕事である。今やってる仕事をやめて、新しい土地で仕事を見つけなくてはならない。このハードルは決して低くはない。ちなみに、私は当時まだ今ほどネットは普及していなかったこともあり、タウンページで調べまくって、募集も出ていない会社に電話でアポをとったりしたものだが、それなりに創意工夫が必要ということになる。ただし、「どこの馬の骨かが知れている」という安心感が雇う側にはあるはずで、「ああ、あの地域の人の孫か」となる場面もあるだろうから、まったく未知の土地よりは受け入れられやすい可能性はある。

 私が移住できた最大の要因はインターネットの普及である。私が孫ターンした地域にはまだ「テレホーダイ」はなかったが、倍の値段を支払う必要があったものの「隣接テレホーダイ」が使える地域だったため、「深夜だけ常時接続」が可能となったのは大きい。今だとさらにサービスが拡充され、僻地にいても買い物に不自由することはまずないと言ってよい。仕事もネットの普及の恩恵で工夫次第で食べていくことも不可能ではないはずだ。

 あと、人というファクターをどう考えるか。都会の方が多様な人と知り合う機会が多く、刺激も多いので、若いうちは踏ん切りが付かないかもしれないが、地方の人が皆、保守的で閉鎖的なわけもなく、そう大きく違わないんじゃないかと私には思える。ただし、これは孫ターンする地方によって、大きく事情が異なるだろうから、なんともいえない。私の場合、都市部に日帰りでいけてしまう、というのが大きいが、そうでない場合、自他ともに説明可能な形で定期的に都会に行く口実を作っておくのも一つの知恵だろうと思う。

 私は多様性を重要視する方なので、こうした「孫ターン」の動きは基本的には歓迎だが、ズルイ大人も世の中にはいるので、そこらあたりに気をつけつつ、迷っているぐらいなら、えいやっと移住してしまうのを私としてはおすすめします。都市で消費する生活の楽しさも捨てがたいでしょうけれど、それ以外の生き方もあることがよくわかるし、世界が広がること請け合いです。