「田舎暮らし」カテゴリーアーカイブ

うちの集落の葬儀事情

 今年、私は集落内の組親を担当していて、実質、仕事としては配り物を配布することと回覧板を回すことぐらいなのだが、今週、組の中で2人が亡くなり、2度の葬儀を営む、という、このごく小さな集落としては異例の事態となっている。

 数年前に祖母が死んだ時、私が葬儀の喪主を担当したのだが、都市部住まいの実の子に当たる方々の強い要望もあり、葬儀場で執り行った。当地では葬儀は家でするのが通例であるが、家をほぼ完全に解放することになり、普段からそういう心積もりをしておかないとなかなか出来るものではない。

 ここら辺りではそういうこともあって、家の仏壇のある部屋とその続きの部屋にはほとんど何も置かずにきれいにしている家が多い。私はあまりそういうのが得意ではないので、家は絶えずごちゃごちゃとしている。

 私は法事には基本的には出席しないが、葬儀については、諸事情を鑑みて、手伝ったりするようにしている。葬儀では多くの雑用が発生するため、私のような役立たずでもいないよりはいた方がマシだったりするので、その場にいて、何か運んだり、木を切ったりとかの雑用をしている。

 今回、喪主の意向をお聞きして、一件はうちの今の事情を考慮して手伝いは免除させてもらったが、もう一件は手伝いすることになり、受付を担当するなどしている。

 今回、葬儀業者の方で墓標が準備できず、急遽、家の雪囲いに使っているヒノキの角材を墓標にする、という荒技で乗り切ることになったのだが、たまたま喪主がかつて大工修業をしていて、昔はこの地区で葬儀が出たら墓標を作っていた、とのことで慣れた手つきのカンナさばきで雪囲いの柱が墓標に生まれ変わったのだった。

 ここ数年の葬儀はだいたい秋から冬にかけての季節に執り行われていることに気づいた。祖母もこの季節に体調を崩し、12月に亡くなっている。どの季節の変わり目も身体の弱った人には大変だが、特にこの寒くなる季節がもっとも身体に堪えるのだろう。十分に栄養や休息を取って、この難しい時期を乗り切ってほしいと願うところであります。

台風対策で畑の支柱を固定、室内では子供の柵越えに対応

 ミニ家庭菜園を始めてから最初の台風がやってくるかもしれない、ということで、慌てて、支柱の固定を朝からやった。いつかやろうと思ってはいたのだが、いろいろとやることが多く後回しになってしまっていた。あらかじめ支柱を固定するための杭は作っておいたので、そこの手間は省けたが。杭は適当な端材をなたで適当に削って、適当に尖らせただけのものだが、十分間に合った。既成品を買ってくるのが手軽だし確実だが、「仕事」ではないので、こういうDIY的な所作も含めて楽しむもんなんだろう。

 あと、杭を削っていて思い出したのは、以前、祖母の畑の手伝いをしているときに頼まれてこういうのをいろいろと自作していたことで、初めて一からやる菜園であるが、それなりに畑仕事のやり方は少しは知っているといえるのかもしれない。性格上、諸々ちゃんとやりたい方だが、いくら時間があっても足りないので、適当でごまかすことが多いのだが、適当でもそれなりに育ってきていて、おもしろい。

 子育ても、どうしても適当ですます場面は多く、子供の相手ばかりもしてられないので、今、こうして文章を打っているすぐ横でいろいろとインタラプトしてくるのであるが、時にかまってやり、時に邪険にあしらいつつ、適度の距離感を持って接している。別に狙ってこうやっているわけではないが、バランス感覚として、この辺が適当ではないか、って感じで。

 今週から、子供がキッチンのエリアに入ってこないように設置している柵に身を乗り上げると乗り越えられることを発見してしまい、今まであの手この手で侵入しようとしてきた子供だったが、ついに方策を編み出した。ちょっと危険な方法なので、今朝その部分を手当したのだが、次はどこから侵入してくるか。

 侵入といえば、昨日、窓の外に比較的大きめの蜂がいて、その軒下には以前、スズメバチの巣があったところであり、アシナガバチにしては大きいなあ、と眺めていたら、窓の隙間から室内に侵入してきて、嫁さんと子供を急遽別の部屋に移動させ、カッパを着用して対決した。部屋をぶんぶん飛び回るので、困ったのだが、部屋の電気を消して、キッチンの電気だけにするとその周囲だけ飛び回るようになり、観察してるうちにある程度、行動パターンが読めたので、丸めた雑誌で一発で仕留めた。結果はスズメバチではなさそうだったのでよかったが、アナフィラキシーショックなどもあるので、蜂は油断できない。

 嫁さんと子供には蚊帳に避難していてもらったのだが、これは先日、この家にはムカデが時々出て、寝ているときも身体の上を這うことが以前あったので、下にも網のある蚊帳を購入したもので、早速役に立った。安物なので、ちょっと柔く、子供がすぐに壊してしまいそうなのが難点だが、今のところ、まだ持ちこたえてはいる。やはり、就寝中に足がムズムズした時に、ムカデであるはずがない、と思えるのは精神衛生上大変いい。

 畑の方でもイノシシ・サルの侵入対策で防護柵を設置しないといけないのだが、場所的に一部網を張るのが困難な箇所があり、頭を捻っているところ。その「ソフトターゲット」をやつらは的確についてきやがるので、それなりに手当しないとまずそうなので。

 トマトやナスは、始めるのが遅かったためか、あまり大きくはならず、芽かきや虫取りもやってるのだが、なかなかうまくいかないもので。それでも、初生りの小さいのを収穫して食べてみたが、普通にちゃんとトマトで、やや精神的にしんどい今日このごろだが、こういう小さな楽しみを見つけてしのいでいくのも生きていく技術なんだろう。

草刈りのコツ 刈払い機の使い方

 去年も書いたが、今年も毎年この時期にやる自治会の河川愛護の草刈り人足に出動してきた。そして、毎年同様、腕が上がらないほど疲れたのであるが、ひと休みして、キーボードを叩ける程度には回復したので、つらつらとメモを書いておこう。

 以前、チェーンソーの使い方のレクチャーを受けたことがあり、そのうち3分の2が目立て(刃を研ぐこと)の話だったりして、それはそれで興味深かったのだが、刈払機の使い方や草刈りの仕方については特に誰からもレクチャーされたことはなく、見よう見まねでやっている。しかし、夏場に月に一度程度しかやらないので、いつまで経っても、いらんとこに力が入って、毎度かなり疲れてしまう。ただ、これも毎度のことだが、やってるうちにいろいろとコツを思い出して、効率よくできるようになるのだが、その頃にはもう終盤で、そして次にやる頃にはその技もまた忘れてしまって、最初に戻る、という状態が続いている。

 どの分野でもそうだが、だいたいうまい人のを見て技を盗むといいのだが、地面の形状がいろいろでやってみて初めて分かることも多く、習うより慣れろの世界でもあり、やりながら覚えるのがやはりよいようだ。ただ、最低限の知識は持っておいたほうがよさそうで。

 今、ググっていて、最初に読んだページに草刈機は左から右にが基本とあり、「えーっ、そうだったのー」と驚いたのだが、どう考えても、右から左が楽だと思う。危険防止の観点から、というのだが、刃の回転の都合上、右から左側に刈り払うようにやらないと大変やりにくいように思う。草が密集している箇所をやる場合、刈った草の「捨て場」がある状態でやるのがよいので、やはり右から左じゃないかな。

 今日、「おまえのやったところは深い」と突っ込まれてしまったのだが、どうしても2mを超えるような草があったりして、そういう箇所はある程度、刈り払ってからでないとやりにくいし岩場だったので、あまり低くやると刃があたって危ないので、私は安全を見て、やや浅めにやってる。丁寧にやるなら、粗く刈った後、再度刈るのがよいのだろうが、こういう場所はあまり丁寧にやっても意味がないのでは、とも思ったりしつつ。

 余裕があれば、グリップを効かせて、右から左に刈り払うときに、草を左側の「捨場」に持っていけるようにやや左側を下に傾けるとよい、というのも、途中で気づいたところ。とにかく面積が広いので、私はスピード重視で、ある程度雑にやるのだが、達人の作業を見てると、丁寧、かつ、早いので、体力や腕力の違いもあるが、身のこなしなど、いらんところに力を入れなくても出来るように長年の経験で技を体得されているんだろう。

 あと、草が絡むこともよくあるが、これは大抵の場合、欲張って、たくさん刈ろうとしたか、回転不足、という場合がほとんど。密集してるところは少しずつにし、最初は怖くて回転不足になりがちだが、ちゃんと高速回転の状態にしてから草に当てないと刈れない。

 大人数でやる場合、他の人との距離もそれなりに気を遣いながらやる必要があり、位置取りなども見ながらやる必要がある。だいたい、うまい人が私のようなのを避けてくれるので、あまり考えなくてもいいわけであるが。

結構大きなカタツムリを何匹も見かけた
結構大きなカタツムリを何匹も見かけた

 今日もイノシシの沼田場があちこちに出来てたが、例年より多かったような。あと、バッタ、コオロギなど様々な虫もたくさんいて、刈った後は早速カラスが舞い降りてついばんでおった。

蔓草を引き抜くとサワガニの住処だった
蔓草を引き抜くとサワガニの住処だった

 ここのところ、個人的に気が滅入る出来事が続いているが、こうして一心不乱に単純作業をするのも時にはよいもので。

耕作放棄地の再生、というほどでもないが、草ぼうぼうの畑の草取りなど

 引き続き、育児担当の今日このごろ。先週から草ぼうぼうの家庭菜園の畑を「再生」というほどでもないが、せっかくなんで、何でもいいから植えようと思って、近所の皆さんはもうきれいに畝などを作って、畑らしくなっているところ、遅ればせながらであるが、畑作りの真似事を始めている。

 きっかけは、福島原発事故以来、お世話になっていた福島市のNPO法人シャロームのひまわりプロジェクトに参加してみようとふと思い立ったこと。これはひまわりの種を福島から送ってもらって各土地で栽培し、収穫した種を福島に送り返してひまわり油として販売する、というもので、問い合わせると、すでに募集期間は終わっていたが、まだ間に合うとのことで、種を送ってもらい、さて、どこに植えようか、と考えたところ、ずぐに植えられるような場所はなく、どこも草ぼうぼうで結構大変な作業が待っていたのだった。

 プランターなどでも十分咲くみたいなので、それでもよかったが、せっかくなので地植えにしようと一念発起し、祖母が畑に出られなくなって以来、放置されてきた家の裏の家庭菜園を使うことにした。

 びっしりと根が張っている雑草は草刈機ではどうにもなりそうにないので、鎌で手作業で取っていくことにしたが、普段こうした作業はほとんどしない私にとっては、それはもう大変な作業だった。学生時代からずっと腰を痛めていることもあり、草むしりのような前かがみの作業はかなりきつい。しかも、強固に根を張った部分も結構あり、小さな畑だが、2日に分けてせざるを得なかった。

 その後、酸性に傾いた土地を中和するために撒くといいという苦土石灰を撒いて、さらに均すために鍬で畑を耕したのだが、これもなまった身体には大変な作業で、腕と腰が悲鳴を上げ、これも2日にわけてせざるを得なかったのだった。

 他の人にとってはなんてことない作業でも、自分にとって習熟していない作業をするのは面白い体験で、ただでさえ自由時間が取れない日々が続く中、育児や仕事の合間に、少しずつでも進めていこうと思っている。
 
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子どもと近所を散歩

 今日は育児担当ということで、朝からつきっきりで対応中。うまくいかないこともある昼寝の寝かしつけが今日は何度かのトライアルの結果成功し、今、寝ている合間をねらって少し日記を書いておきます。

 今日は子どもの祖父・祖母が来訪し、久々の面会で最初は固い表情だったが徐々にいたずらっ子ぶりを発揮し始め、お別れの頃にはすっかり慣れた模様。

 朝夕は可能な範囲で散歩するようにしてるが、まだまだ危なっかしく、簡単に転んでしまう。柵のない用水路やコンクリ三面張の川とかを覗きこもうと走って行くので、一瞬たりとも目が離せない。

 マンション育ちの子などの間で「高所平気症」の子が増えてるというが、この子も高さを認識できているのかまだよくわからない。ただ、階段は四つん這いで上がれるようにはなっていて、向こう見ずにどんどん登って行くのだが、下りは親を頼ろうとするあたり、多少は分かっているようだ。

 あと、最近、机に体ごと乗り上げて這い上がり、机をお立ち台のようにして立ちあがってご満悦の表情をすることがあるが、降りるときは、子どもなりに時間をかけて慎重に降りるようにしてるように見えるので、やはりそれなりには分かっているのだろう。

 言葉は話せないが、「こっちに来なさい」的なのはシチュエーションや声のトーンで分かるようだし、いろんな人との「バイバイ」も出来るようになっている。

 集落に同年齢の子がまったくいないのが残念なところだが、学齢前の子は一応いて、先ほど少し遊んでもらった。一緒に遊ぶ、というのは、1歳程度ではまだまだ出来ないようだが、もう少しすると可能になるようなので、子ども同士で遊ばせるような時間も作ってやりたいが、なかなかその子どもが近所にいないので、悩ましいところ。

 仕事の問題さえ解決できれば、私は都会よりも田舎で暮らしたい方なのだが、家族が出来ると私の一存で決めることはできない。嫁さんの意向もあるし、何より子どものことを考えると、このままこういう環境で暮らすのがよいのか、なかなか答えは出ない。子どもの世界というのがあるので、子どものうちから世の中にはいろんな背景を持った人がいることを日常から理解できるような環境がよいと思うが、そうはいっても、様々な限定条件の中で人は生きているので子どものことだけを考えて、すべてを投げ打って、なんてことは現実的にはできない。

 散歩中、近所の小学生と四方山話をしてると、その子は全校児童数が10人の小学校に通っているのだが、ふと、学校が最近楽しくなってきた、と言い始め、その理由を話してくれた。いろいろと授業を楽しくする工夫してくれる先生がいるおかげなのだとか。「北の国から」みたいな少人数学級なのだが、きめ細かな対応をしてもらえるなどの利点もあるはずで、もう少し、いろいろ調べたり、体験談を聞いたりして決めようと思う。